爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「つながり進化論 ネット世代はなぜリア充を求めるのか」小川克彦著

著者の小川さんは私とほぼ同年なので、副題の「リア充」という言葉が何かは判らずに教え子の学生さんに教えてもらったそうです。リア充とは「現実(リアル)の生活が充実していること」だそうで、現代の若者もネットの中ばかりで生きているわけではないようです。

著者は電電公社勤務を経て現在は慶応の情報学部教授となりコミュニケーション学専攻ということですが、さすがに電話については技術的にも詳しいようです。それを使ったコミュニケーションというものが現代の人と人とのつながりを大きく変えてきたわけですが、否定するばかりではいられないということでしょう。

戦後少し暮らしが落ち着いてきた頃から、固定電話をひく世帯が急増してきました。その当時は電話をつなぐにも交換手が手動でやるというものだったのですが、それから電電公社は自動化を進め1979年に自動化完了の目標を定めて整備したそうです。しかし、その自動化完了の年の12月には早くも自動車電話サービスという現在の携帯電話につながる技術がスタートしていたのでした。
全国隅々にまで電波中継施設を建てて携帯化をすすめ、さらにデジタル化も進みネット接続も可能なものに発展してきました。

メールというものが徐々に浸透していくとともに、ネットの中でパソコン通信というものも広がり始めました。1980年代半ばには始まっていたのですが、それも2000年代になりインターネットが広がるとそれに座を譲っていきました。
ネット接続も電話回線のISDNからADSLへ、そしてFTTHへと発展していき、その中で従量制の料金から定額制に移行することでどんどんとネット利用環境が変わって行きました。
その中で、使用法というほうも激変していき、ホームページと掲示板であったのが、ブログやツイッター、そしてフェイスブック、など瞬く間に変わってきました。

失敗してしまったサービスというのもたくさんあり、テレビ電話というのも広がりそうで広がらず、仮装世界のセカンドライフというのも夢だけで終わったようです。キャプテンというのもニューメディアの旗手と言われたものですが、情報料がかかるということもあってか、あまり加入者もないままに消えてしまいました。

このような「人と人をつなげる」ものは技術として発展はしてきたのですが、一方人間の側から見ればいろいろな心情の変化というものをもたらしてしまいました。
プラスの面では、時間に縛られること無く伝達ができるということや、つながりというものの安心感から行動も自由になったということもあります。また、若い人には当然のことのように思えるでしょうが、携帯で相手の発信番号が表示されるというのは、実は非常に大きいことで昔の電話ではそのようなものはなく、発信者優先のサービスだったということです。つまり、発信者は相手が誰か知っていてかけてくるけれど、受信者は受話器を取るまで相手が判らないということで、心理的な苦痛があったものです。それが受信側が相手を判って対応できるというのは心理的に大きな影響があったということです。
またネット上で新たな仲間を探せるようになったということも無視できないものであり、それで結婚までしてしまうという人も出てきています。
しかし、マイナス面というのもあるのは確かで、若者たちの付き合い方というものが「みんなぼっち」というようなものになってしまいました。若者たちは仲間と一緒に居ても濃密なコミュニケーションができずに結局はひとりぼっちなのだということです。著者の研究室の学生さんが皆で記念写真を撮っている風景というのが載っていますが、なんと皆がカメラや携帯を同じ位置にならべて同時に写真を撮るそうです。昔のように一人が写真を撮って焼き増しして配るなどということはしなくなったそうです。
また、メールを確認したらすぐに返信とかいった束縛も問題化しており、疲弊してしまうなどということもあるそうです。
ネット上での演技が偽装となり犯罪につながるということもあるようで、中年の男が出会うまで少女を騙し続けるということもあるとか。
悪意を持ったネットの炎上やネットいじめなどというものも、匿名であるためにさらに燃え上がるということもあるようです。
学校でのレポートをネット情報のコピーエンドペーストで済ませるというのも有名な話です。ただし、オリジナルの情報というものが何なのか、それすらもあやふやになってきているのでしょう。

ここまで発展したネット社会というものはもはや抜け出すということもできないことになってしまいました。ならば少しでも良く付き合っていくしかないのでしょうか。