爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「NHKと政治支配 ジャーナリズムは誰のものか」飯室勝彦著

中日新聞記者として、そして論説委員として筋金入りのジャーナリストである著者が、最近のNHKをめぐる政治の報道支配を目指す動きについて昨年2014年に出版した本です。もちろん、今年に入ってからもこの動きは加速するばかりで、毎日のように聞くに堪えない状況が報道されています。

本書の4章のうち、最後の1章は以前の文章をまとめて掲載したものですが、前の3章はまさに今起こっていることです。
第1章は「報道の自由を封殺するNHKへの政治支配」ジャーナリズムなどにはまったく縁も無く知識もない籾井を会長にすえ、完全なNHK支配を目指した政権ですが就任早々から数々の問題発言を連発しています。しかし、その本質を見抜けない一部のメディアはその論争に巻き込まれたものを見当違いな批判をしている有様です。(見抜けないのではなく、意識的にやっているのかもしれません)
第2章は「客観報道を問いなおす」ですが、一見正当な姿勢のように見える「客観報道」が実は自らに批判的なメディアを牽制しようとする権力者側に利することになるということです。
佐藤栄作の退陣会見で、「今日は新聞記者とは話さない。テレビカメラだけに話す」と言って記者を退出させたというのは有名な話ですが、そのままを映し出すテレビカメラというものは客観的事実を報道しているとは言えないと言うことなのでしょう。
「あったことをそのまま何事も付け加えずありのままに伝える」ということが客観報道だというのは安易な考え方であり、事実の報道と論評をはっきり分けて伝えるのは当然です。しかし客観的とは何かということは非常に難しいもののようです。
ある検察幹部が退職する際に挨拶に訪れた新聞記者に「あなたの記事に抗議したいと思ったことは何度もあるが、書かれた事実に誤りはなかったし、論評意見はそれとは区別して自分の意見として書かれていたので、できなかった」と語りかけられたという話があったそうです。こう言われることほど記者としての誉め言葉となるというのは間違いないことのようです。
客観報道とは、主観を排除するということではなく、どっちつかずの中立でもない。どんなニュースでも伝え手の正しい視点・問題意識があってこそ命を吹きこまれる。ということです。
今こそ日本のジャーナリズムは安易な客観報道というものを捨てることが、「公正」につながるという意識を持つべきだという著者の主張です。

第3章では「取材源秘匿」について書かれています。これに関してはいくつも法廷の場でも争われていますが、司法や行政が情報の取材源について明かすことを強制するということには、あくまでも拒否しなければ国民の知る権利を奪うことにもなるのですが、逆に最初から取材源についてはまったく触れないような形でだけ報道するというのも間違った姿勢であるそうです。できるだけ取材源は明示してその根拠を明確にするのが取るべき姿勢ですが、どうしても秘匿しなければならない事情がある場合のみ匿名とするべきです。にもかかわらず、現在のほとんどの記事の情報源は初めから明らかにする努力をしていません。これも問題でしょう。

報道については極めて危険な状況に立たされていると言わざるを得ないようです。一部のメディアは完全に政権側に取り込まれているようなので、さらにその危険性は増大しているのでしょう。