爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

傍観者が原発を支える 毎日新聞コラムより

今日の毎日新聞のコラム「風知草」に編集委員の山田孝男さんが表題で原発再稼動裁判について書かれています。(ネットでは会員以外は記事全文は見られないようです)
今回の再稼動差し止め判決は画期的内容ではありますが、以前の最高裁判例に従っておらず、また専門的な内容に踏み込むなど問題のある判決でありやはり流れを変えるには至らないだろうということです。
コラム内にも触れてありますが、裁判官の多くは現在では政府主導の原発安全性の判定には疑問を持つようにはなっているはずだが、裁判所としてはそれを覆すまでにはなっていないということです。

しかし、そのような状況であっても実際に原発を再稼動させようとしているのは、実はそれらの論議を傍観しながら電気を使い続けている国民一人ひとりであるということです。

私もこのような政治的判断を裁判所に委ねるというやり方は上手くは行かないと思います。裁判とはあくまでも法律に適合かどうかを見るだけのものであり、法律自体がどうかということの判断はできません。
国会議員選挙の定数がおかしいという裁判はあくまでも法律論議であるためであり、再稼動可否ということとは大きな差があります。

法律がおかしければ国会で変えるだけの議席を取って変えなければいけません。その意味では原発に関する論議をまったくしないまま、それで選挙で審判を受けるということもないままに事を進めようとしている政権はその義務を果たしておらず、その資格が無いとも言えます。ただし、この点は変だと言うことを声を上げない国民にも責任があることであり、政権と同罪と言えます。
郵政民営化だけを問う小泉の手法には大きな批判が集まりましたが、問うべき問題を問わずにうやむやのまま政策を進めるというのも逆に大問題です。このような状態は許すべきではありません。

しかし、原発再稼動についてはエネルギーの将来を考えるということが必要となり、ひいては社会の構造自体にも変革を加えるような大きな問題となります。難しいのは確かですがそれをきちんと議論できなければ日本の将来は暗いものになるでしょう。