爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「石油と原子力に未来はあるか 資源物理の考え方」槌田敦著

エネルギー問題や二酸化炭素温暖化仮説について様々な自説を闘わせている反骨の物理学者というべき槌田さんですが、元来は表面物理と言う分野の研究者でした。
それがエネルギー関係の方面に進むようになったきっかけは本書のあとがきに書かれているように、1975年に核融合の紹介記事に物理学者が書いた「核融合反応は定常的に半永久的に獲得でき、人類生存の期間が大幅に延長できる」と言う文章に衝撃を受け、その方面の調査を始めたところ学者が率先して非科学的なエネルギー論を展開していることに対して正しい理論を解説する必要があるものと考えたことにあったということです。

当時は第1次の石油危機の時期であり、それに便乗したエネルギー危機説が横行し、それにつけこんで原子力開発も優勢だった頃です。それが不正確な科学理論で進められてはたまらないと言う物理学者としての使命感からそれ以降の人生をかけた闘いに入っていったと言うことです。

本書はその闘いの始めとなる、1970年代後半に様々なところで書き表したエネルギー関連の文章をまとめたものです。
なお、その直後にチェルノブイリと言う大きな事故があったためにその関連についても加筆し増補版として1987年に出版されたということで、その部分は原発事故についての詳細な推論も収められています。

内容は三部構成と増補で、1部脱石油文明の方向、2部核と人類は共存できない、3部資源物理の考え方、補論原発巨大事故の傾向と対策 となっています。

1部では当時のエネルギー観として、核融合炉ができればエネルギーは安泰と言うムードを作ろうとしていたのですが、その理論はともかく実際の装置にはヘリウムやニオブ・リチウムなどを多量に使用すると言うことで、もしも成功したとしても全くエネルギーを正味で作り出すことはできないという、まさに当然のことを指摘しています。40年前にこのように論破されているにも関わらず、まだ続けようとしているのはどんなものなのでしょう。
なお、核融合の有無に関わらず、「熱汚染」というものは無視できないもので危険であるということも指摘されています。これは二酸化炭素温暖化の話ではありません。石油燃焼や原発温排水など、熱を作り出して捨てていることが熱汚染にあたり、これは大きな問題であると言うことを著者は言っています。これが妥当な計算なのかどうかは実感が証明しています。二酸化炭素温暖化があるかどうかも不確実ですが、確実に暑くなっているのはヒートアイランド現象であるということになっています。これが熱汚染そのものでしょう。

石油も枯渇性資源であるという、極めて端的な指摘をされていて、これ以上枯渇資源に頼ってはいけないとういことを書かれています。更新性資源のみで組み立てなおすということで、「土に返せるものだけでやっていく」べきであるということです。

2部では原子力は故意の犯罪であると告発してます。なぜなら廃棄できない毒物を生産しているからです。この文章発表当時の1970年代には放射能の発生を消却できるかもしれないなどという技術待望論もあったようですが、そんなものは幻想であると主張し、それは著者が正しいことが証明されています。
そして、廃棄も消滅もできなければ放射性物質をこの先何万年も管理しなければならないのですが、それを子孫に押し付けるのも犯罪行為であると主張しています。それはもはや石油もなくなった時代になっても続くものであり、その管理に必要なエネルギーはどこにも残っては居ません。
もしも原発で利益が上がっているとしたら、それは将来の廃棄物管理のために積み立てられなければならないのですが、そのようなことは誰もしていません。そこに犯罪性があります。

3部では資源というものの物理的な意味と、経済的な意味の相違などを解説しています。エネルギーという言葉は物理と経済では意味するところに相当な違いがあり、物理学で言うエネルギー、例えば位置エネルギーとか運動エネルギーといった用語の感覚で経済で言うエネルギーを解釈するとまったく的外れになります。
経済で言うエネルギーは「価値のある」エネルギーに限定されているということを忘れてはいけません。エネルギーを消費すると言うことは、物理学的には間違った使い方ですが、経済ではよく使われており、それは「エネルギーの価値を消費している」ということだということです。
これらのすべてを理解するためには「エントロピー」を的確に使うことが必要なのですが、ほとんどの人はこれを理解していないということで、それが誤解の原因にもなっているようです。

資源の中でも良質なものは低エントロピーであるということです。それの代表例が石油であり、これをフルに使って発達したのが現代の科学文明でした。石油が減りだしたと言うことでこの本の書かれた1970年代には代替エネルギーということが盛んに言われだし、原子力もその流れの中で強く求められたのですが、原子力では電力しか作り出せないと言うことで、本当の石油の代わりにはならないと言うことも強調されています。

そして補論としてチェルノブイリ、スリーマイルの原発事故を受けた解説が1987年に付け加えられています。事故の状況の推定(どちらも正確な状況の発表は不完全なものでした)もさることながら、今後原発事故がまた再発した際の対処法まで触れています。そこの一番の記述は「当局に足止めされないこと」だそうです。どうせ判断ミスと情報隠蔽により間違った命令で危険地帯に足止めされることになりかねないので、当局の規制を早くくぐり抜けて逃れることが大切だと言うことです。はからずも福島事故で再現してしまいました。

本書の主要部分は40年も前に書かれたものですが、現在でもまったく古びていない主張であると感じます。