爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

いつか見た大臣更迭風景

女性登用の看板のような閣僚が政治資金規制法関連で辞任しました。
かつての自民党政権断末魔の頃の状況と似たような感覚を覚えます。
野党は勢いづいていますが、それしかできないのかという脱力感を覚えるのもかつての感覚と同じです。

民主党が政権を取った時にはようやく政策を討議できる段階まできたのかと思いましたが、まったくそうではありませんでした。
しかし、今となってはまともに国会議論をしたくても議席数に大差があればそれも無理でしょう。少しばかりの得票数の差で圧倒的な議席数の差ができる小選挙区制というもの自体の大きな欠点が明らかになっています。

それにしても、団扇がどうのこうのというのはあまりにも低次元で、小学校の学級会で言うような「決まりは守りましょう」ということすら国会議員ができていないということで、学校教育での道徳を云々するよりまずそこから守ってくれと言いたくなります。

後援会会員の観劇は、「まだこんなことやってるの」という素朴な驚きを覚えるばかりです。ご本人が認識していたかどうかという問題もありますが、それよりもご当地の後援会の人々がまだかつての××食堂などという時代の認識のままであるということがびっくりです。

こういった問題が起こるとすぐマスコミは「政治とカネ」といった言葉で取り上げたがりますが、政治と政治資金という問題であっても、それが政治を通して金を得る(贈収賄、ロビー活動)というものと、今回のような選挙のため、自らが当選するために金をばら撒くというものとは大きな質の差があります。

収賄事件などは政治家本人の資質に大きな問題があり、まあそのような政治家を見抜けずに投票してしまう有権者にも問題が一部はありますが、仕方のない点もあるでしょう。
しかし、選挙のために政治家が金を有権者にばら撒くという行為は、政治家以上に選挙民、投票する有権者に大きな責任があります。
そのような行為をするものに政治を任せるという行為自体が政治のレベルを泥まみれにするまでに低下させているということを自覚するのは国民ひとりひとりの問題です。

数万円の観劇費用を政治家にたかり、貴重な投票をそのような政治家に向けているということがどれほど政治をゆがめているか、それが分からないような国民なんでしょうか、日本人は。