八幡さんは通産省の役人だった方ですが、歴史などにはかなり造詣が深く、退官後に評論・文筆活動を始められました。この本も江戸時代の各藩の状況について細かく調べられたものをまとめたものですが、全国各地の個別の藩についてよく調べられたものと感心します。
江戸時代の藩というのは幕府の支配下にあり改易や移封などは強制的に実施されましたが、平時の自治は大きく認められており、よほどの失政がなければ介入されることもなかったようです。
しかし、その範囲というのは狭いもので、もっとも大きい藩でも加賀の前田藩の100万石でした。その範囲も石川県の全体までは行かない程度のものです。それ以下も仙台、尾張、紀州などですがいずれも現在の1県程度の大きさです。
小さい方では1万石ちょっと越える程度のところでは現在の市町村程度の大きさで、市町村合併が進んだ現在では一つの市でも昔の小藩よりは大きくなってしまったようです。
秀吉の全国統一から徳川が打ち破り幕府体制を整える過程で、外様の大藩は徐々に改易などの手段で整理されていき、徳川譜代の大名に代わっていきます。しかし、外様大名といっても信長・秀吉に仕えたものが多いため、尾張地方出身者が多く、また当然ながら徳川譜代の大名は三河出身が多いので、江戸時代の大名は現在の愛知県出身者が多いというのも当然でしょう。
なお、各藩の解説以外にもコラムがいろいろと書かれていますが、その中で沖縄の守礼の門についてはその由来が琉球王朝時代の中国に対する朝貢外交のシンボルであるので、これを紙幣の図柄(今はいずこの2000円札ですが)とするのは全くふさわしくないと主張されています。まさに正論でしょう。