爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「時代的の間違い探し」若桜木虔、長野峻也著

時代考証家の若桜木さんが、武術の専門家の長野さんとともに時代劇によく見られる描写のおかしな点を数々挙げたという本です。
こういった本は他にも読んだことがあるのですが、普通は時代考証だけ、武術だけといったものなのですが、本書ではその両方を取り上げたということで、時代劇全般について非常に分かりやすいものになっているものと思います。
私も知らなかったことが結構多くありました。

それまで非常な敵対関係にあった薩摩と長州が手を組んで薩長同盟となったのは土佐の坂本龍馬が仲立ちをしたという説がありますが、これは全くの創作のようです。実は福岡の黒田家の当主、11代黒田斉溥が西郷隆盛を使って仲介したということで、黒田は薩摩の島津家から婿養子として黒田家に入った人だったそうです。
江戸時代には「士農工商」という身分制度があったというのも後世の創作だそうです。明治政府が大赤字のスタートなったために、江戸幕府の時代が暗黒であったと宣伝するために強調したものだとか。
大名行列に一般庶民は土下座して見送ったというイメージがありますが、これもまったく存在しなかった話のようです。庶民は路傍で「立って」見物することが許されていました。ただし、将軍の行列と御三家だけには土下座をしたそうです。

真剣白刃取は存在しなかった。まあそうだろうとは思いましたが、後世の創作のようで、本気で打ち込んでくる刀を止めるなどということは非常に困難であるのはもちろんですが、それ以上に、もしもそれ以前に人を切って血糊がついている刀であればうまく両手で挟めてもツルリと滑って結局は切られてしまうことになったそうです。また、両手で挟み込まれたとしても刀を捻る技を使えばすぐに手のひらを傷つけることになったはずです。
なお、武士が切り合いの最中に刀を落とすともうダメとあきらめる描写が普通ですが、実際は刀など持っていなくても戦えるという格闘術が普通であり、素手でもなんでも立ち向かうものだったそうです。
また「刀が重い」というのも鋭い真剣を持つという心理から増幅されるもので、模造刀(刃がついていない)の全く同じ重さのものを持たせると軽く感じるのに、真剣は数倍重く感じられるそうです。

その他、「天領」と言う言葉は江戸時代にはなかった。御料所などと言われていたそうです。明治時代になり、以前の幕府直轄領はすべて天皇の領地となり「天皇領」と呼ばれました。それが略されて「天領」と呼ばれるようになり、それが以前は幕府直轄領であったことから、幕府の時代にも「天領」と呼ばれていたかのように錯覚してしまったそうです。したがって、時代劇で「天領」と使っているのは間違いとなります。
また、「脱藩」と言う言葉も江戸時代には使われなかったようです。そもそも「藩」という言葉も当時は使われることはなかったようです。1703年に新井白石が「藩翰譜」という書を著したのが藩という言葉を使った最初ですが、その後も藩とはあまり使われなかったようです。
明治になり「廃藩置県」と言うことが起きてからようやく以前の体制を藩と呼ぶようになったということで、当然ながら「脱藩」した人たちも自分たちを脱藩者とは言わなかったようです。

身分の高い女性が手紙を書いた場合、署名は「一文字」だけを書いたものだそうです。徳川秀忠夫人の江与(大河ドラマの主人公)は「五」だけを署名したということですし、細川ガラシャは本名の「珠」の一文字だけで「た」と署名したそうです。
そこで不思議なのが秀吉夫人の「ねね」ですが、これを「おね」という名前であるという説もあります。しかし、「おね」であれば署名は「お」だけとなるはずですが、そのような書状は現存しないということで、「おね」説は成り立たないと主張しています。

なかなか興味深い内容であったと思います。