爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「息子を国王にした女たち」川島ルミ子著

美術史を専攻し、現在はフランスに住んで活動している川島さんがフランスでは良く知られているのでしょうが日本ではさほどではないと思われる3人のフランスの女性について書いた本です。
その三人とは、まず、9世紀にカール大帝シャルルマーニュ)の息子ルイ1世の後妻となったジュディット・デ・パヴィエール、後にフランク王国を3分割し兄弟3人で分けたときにフランスの王となったシャルルの母親です。
次に名前だけは有名ですが実体がなかなか知られていない、16世紀のアンリ2世にイタリアフィレンツェから嫁ぎフランソワ2世など3人の国王の母親となった、カトリーヌ・ド・メディシス、そしてナポレオン・ボナパルトの母親であったレティツィア・ボナパルトでした。

フランク王国国王のルイ1世には亡くなった妻のエルマンガルドとの間にロタール、ピピン、ルートヴィヒという3人の息子がいましたが、その後妻となったジュディットとの間にもシャルルが生まれました。3人の兄は年長でシャルルが幼い頃にはすでに現在のドイツ・イタリア・フランスをそれぞれ勢力下においていましたが、ジュディットが国王に働きかけなんとかシャルルにも領土を与えようと画策します。兄のあいだにもいさかいを生じさせ、術策を尽くしてシャルルにフランスを確保させます。ベルダン条約で3分割が成立し、その後国境線の変更はありましたが基本的には分裂した国家で現在まで至っています。そういったおおまかな所は世界史でも有名なところですが、このような母親の執念があったとは盲点でした。

カトリーヌはメディチ家からフランス王に嫁ぎましたが、商人の娘でそれほど器量も良くなく金のためということは明らかでした。しかし、アンリ2世との間に多くの子供を産み確固たる地位を築きます。ちょうどその頃はカトリックと新教の宗教対立が激しく、王族や貴族の間でも両派に分かれて激しい争いを続けていました。ユグノー戦争、サンバルテルミーの虐殺など、多くの事件が起こりますがその多くにカトリーヌは関わってきたようです。しかし、子供が王となっても病弱で皆若死にしてしまい、結局娘の嫁いでいたナヴァール王アンリがフランス王位につきアンリ4世となってヴァロア朝は絶えブルボン朝に替わってしまいました。

レティツィアはコルシカの田舎貴族にとついでナポレオンなどを産みますが、生涯フランス語が良く話せず皇帝の母親となっても質素な生活をしていたようです。ナポレオンばかりでなくほかの子供も無謀な異性遍歴を重ねるという中ですが、子供たちにかける愛情は大きなものでした。フランス革命とその後の大きな波の中ですが子供たちのために全力を使ったものの、結局子供には皆先立たれたようです。

皆歴史上大きな意味をもつ時代の中心となった国王の母親ですが、さまざまな人生だったようです。