爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「マリー・アントワネット」安達正勝著

マリー・アントワネットといえばルイ16世の王妃でフランス革命の際に死刑に処せられたということぐらいしか知らなかったのですが、生涯を詳しく解説された本書でだいぶ知識が増えました。

まず、マリー・アントワネットオーストリア王家の王女でありルイ13世の王妃であったアンヌ・ドートリッシュと同じく”ドートリッシュ”(オーストリアの)という呼称がつくはずなのになぜアントワネットなんだろうとは疑問に思っていましたが、実は正しい呼称は”マリー−アントワネット・ドゥ・ロレーヌ・ドートリッシュ”(フランス語読み、本当はさらにファーストネームあり)だったようです。したがって、マリーとアントワネットの間は・(ポツ)ではなくハイフンなのですが通常は中ポツで表されているということです。
オーストリア女王のマリア−テレジアの末娘として生まれたのですが、兄弟の中ではもっとも大きな国に嫁ぐこととなりました。しかし、その性質はきらびやかなものを好みやや軽薄であったようで、縁談が決まってからあわててフランス語などを教え込んだようです。

フランスの王家には王が公式の愛人を持つという慣例(悪習?)がありました。ただし一時には一人に限るということで、隠れて何人もの妾を持つのと比べてどちらが不道徳かということは不明確です。しかし、マリー・アントワネットが嫁いできた時には相当な違和感を覚えたようです。ただし、夫のルイ16世はそのような振る舞いは全く無く妻一人のみの関係しかなかったようです。
ただし、王妃の方はそれでは済まずに半公式の愛人を持っていたということで、それが国民の反感を強くしたということもありそうです。

ルイ16世自身は言われているほどの暗愚な王というわけではなく、かなり優れた王だったようですが時代がすでに矛盾を隠せないほどになってしまい革命の動きは留められなくなってしまいました。
フランス革命の経緯というものはそこまで詳しくは知りませんでしたが、バスチーユ襲撃で華々しく始まったように見えてもその後の進展は紆余曲折があり、ジャコバン派ジロンド派に加え王に味方する勢力というものも数多く王制復古というチャンスも相当あったようです。
そのためか、国王一家も逃げようと思えば可能だった時期が相当あったものの、その時には巻き返しの可能性も強かったために逃亡には踏み切れなかったようです。
結局、ヨーロッパの他国からの軍事行動の脅威が強まりそれに国王や王妃が協力しているという疑いを強めたことが処刑につながりました。
最悪のタイミングで逃亡を企てて失敗し、捕まったことで一気に裁判ということになりまず国王が処刑、ついでマリー・アントワネットも死刑にされます。

ルイ14世の時代であれば宮廷の華やかさをさらに増したという王妃であったのかもしれませんが、革命という時期に当たったのは不運でしょうか。しかし歴代の王妃にはほとんど存在も知られない人が多いことを思うと名を残したのは事実でありその意味では貴重な生涯だったのでしょう。