爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「奇貨おくべし 飛翔篇・天命篇」宮城谷昌光著

呂不韋の物語ですが、前半の部分はあまりにも想像の部分が多いようで気になったので最後の2巻も一気に読んでしまいました。
そもそも呂不韋という人は前半生の部分はほとんど知られていないようで、記録に出るようになったのは秦の公子子楚と出会ってからでしょう。その頃には商人としては繁栄していたとはいっても歴史の表舞台とは関係のないところで活躍していたでしょうから、世に知られるようなものは無かったはずです。

本書のあとがきに著者が書いているように、生地もよくわからず矛盾する伝がありその特定にしばらく時間がかかり、また生年も不明でその後の活動から考えてだいたいのところを決めたようです。なお、荀子と交わりがあったという可能性は強いと言うことですが、他の人々との関係は不明で著者の創作ということでしょう。

著者の初期の作品では当時の歴史資料(春秋、戦国策、史記等々)に現れているところだけで物語を組み立てていこうと言うものもありましたが、晋の文公重耳などはそれでもやっていけたでしょうが段々と資料の少ない人物の描写となるとそうは行かないということになったのでしょうか。
それにしても呂不韋のように世に現れてからの活躍の記録はあってもその前半生の人格形成の部分がまったく分からないという場合の作り方は作者の考え方次第ということになるのでしょうか。

宰相になってからの呂不韋はそれまでの秦のやり方とは異なり理性的で穏健な政策を取っていたようです。しかし、頼みの子楚(荘襄王)が若くして急死し、その子供の政(始皇帝)が即位すると直ちに暗転してしまいます。もし荘襄王が長生きしていれば秦の世はかなり違ったものかも知れないというのは間違いのないところでしょう。

この2巻の部分は史書にもかなり記述があるところです。ここに入ると急に著者の筆の進みも速くなってしまい、あっという間に終わってしまったように感じます。創作の余地がなくなり面白みも減ったのかも知れません。