爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「運輸交通の姿」

最近の石油価格の高騰は円安による輸入価格の上昇によると捉えられているようですが、はたしてどうでしょう。そればかりではないはずです。元々高止まりしていたのがさらに厳しくなっているというのが本当でしょう。
それに対して、漁業者からは燃料代に補助をくれとか、運輸業者も収支圧迫とか、いろいろな軋轢が出ているようです。

まあ、この現象は起こるべくして起こっていますし、その対策として国庫補助というのも無理でしょう。価格上昇させるしかないのですが、それができないのは業種間の力の差でしょうし、さらに言えば業者数が過剰だからでしょう。
皆が廃業して止めてしまえば運賃も、魚の取引価格も上昇してくるでしょう。現状の業者がすべて仕事を維持したまま価格上昇というのは無理です。

ここで言いたいのは、そういった現状はともかく、今後もさらに燃料費上昇は続くということです。おそらくこのエネルギー依存文明が続く限りはずっと続くのでしょう。

化石燃料依存になる前の江戸時代はどうだったのでしょうか。(ただし、江戸時代が完全に”エネルギー非依存”とはいえません。その頃のエネルギー源の大きなものは薪炭ですが、それが日本という世界で稀に見るほどの森林資源に富む国でありながら、森林は徐々に減っていったと見られるからです)
人間の移動はほぼ徒歩だけと見なして良いかと思います。馬に乗れるのは限られた場合だけのようです。馬車なども全く発達しませんでした。
物資移動は同じ町内などのごく近距離は荷車や牛馬も使われたのでしょうが、大きなものは船だけと考えられます。もちろん、船も季節風依存ですので頻繁に行き来できるものではなく、ほぼ米の輸送だけと考えられます。
このような状況だったからこそ、現在の県や郡単位程度の藩体制でほぼ独立政が営まれたのでしょう。

そのような時代の姿から、現在の国内の姿を考えると、おなじ日本という国の話かどうか不思議に感じるほどです。商圏というものも拡大する一方です。ちょっと前まで残っていた地方資本のデパート、スーパーもどんどん消えていきます。全国規模の大企業に集約されています。
これも、すべて石油エネルギー依存の姿でしかないということは覚えておいて良いでしょう。それが無くなれば、無くならないまでも高騰すれば、一気に姿を変えるでしょう。