爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「生食のはなし リスクを知っておいしく食べる」川本伸一編集代表

生食(なましょく)というものに対する日本人の嗜好というのは世界でも稀なほどのものですが、それが多くの食中毒の原因ともなっています。

そこでいろいろな食物を生で食べるということの現状、危険性などを専門家が詳しく解説してやろうという本です。

読者の想定は、一般社会人はもとより、食品管理を目指す学生や業界の人にも読んでほしいとされており、十分にそれにふさわしい内容を備えています。

しかし、問題が一番多い「業界」の人たちはこんな本は読まないだろうな。

 

本の構成としては、まず「食文化の中の生食」として、世界でも一番生食好きと思われる日本から始まり、東アジア、そしてヨーロッパの中ではもっとも生食が見られるフランスの食文化を紹介していきます。

次に食品別に、第2章「食肉・卵・乳製品」第3章「魚介類」第4章「野菜・果実」と進めていきます。

そういえば野菜・果実も生食であり、さらにその危険性もかなり大きいということは忘れがちですが、かなりの食中毒発生を見ています。

 

多くの食中毒原因微生物は流通過程で増殖することで危険になりますが、それを防ぐために発達したのがコールドチェーンという低温流通でした。

ただし、その間常に冷凍機を運転させなければならずその所要燃料はばかになりません。

このエネルギー消費は地球環境への負荷ともなります。

意外に感じるのが、チルド輸送を飛行機を使って行う方が、冷凍設備を持つ貨物船で運ぶより所要エネルギーが多いということです。

さらに国内流通でもチルドのトラック輸送の方が冷凍船輸送より4倍も環境負荷が多いとか。

冷凍したことによる品質劣化というものがありますが、これも冷凍技術の進歩で減少しており、チルド輸送というものも考え直す必要がありそうです。

 

鶏肉の生食による食中毒発生は頻繁に起きています。

これは鶏の屠殺・解体を衛生的に行ない生食可能とするような施設は現在の日本には無く、流通している鶏肉はすべて加熱用なのですが、それを誤解して新鮮だからと鳥刺しなどで提供する飲食店が絶えないためです。

流通している鶏肉には非常に高頻度でカンピロバクターが含まれており、半分近くから検出されたこともあります。

なお、鹿児島など南九州では鶏肉生食の習慣が強く、地域限定で食肉製造の衛生管理基準があり、他地域より厳しくなっておりカンピロバクター食中毒の発生も少ないと言われています。

それでも検査してみると全く汚染がないというわけではないようで、2019年の報告によれば30%の検体で50gあたり100個以上の菌数が見られるようです。

 

最近イノシシやシカを駆除することが多く、その肉を食べるジビエというものが人気を集めていますが、これを生食しようという人もいるようです。

しかし家畜と比べてはるかに衛生環境の悪い中で育っているだけにその危険性ははるかに大きいものです。

特に寄生虫がいることが多く、その危害も激しくなります。

またE型肝炎ウイルスを持つ場合も多く、その被害も出ています。

十分に加熱(肉の中心部で75℃1分以上)することを確実に行いたいものです。

 

魚介類ではビブリオを初めとした細菌類、ノロウイルスなどのウイルスも食中毒原因となることが多いのですが、アニサキスとクドアという寄生虫の被害が多発しています。

アニサキスはサケやサバ、イカなど多くの魚類などに寄生していますが、肉眼で見える程度の大きさなので注意すれば除去は可能です。

クドアはヒラメに多く寄生していますが、こちらは肉眼では見えません。

どちらも十分な低温で冷凍すれば死にますので冷凍品を用いることが避ける方法です。

最近は冷凍技術の進歩で味も落ちないのでそれを利用するべきでしょう。

 

野菜の生食の危険性というのは盲点になるのかもしれませんが、現代ではサラダをはじめ野菜を生で食べる機会が多く、それによる食中毒も頻発しています。

大腸菌サルモネラなど、土壌中でも死滅しない細菌による汚染があり、十分な洗浄や殺菌がされない場合の危険性は大きいものです。

これは海外でも多発しており特にアメリカなどではサラダを食べる習慣が強い割には生産者の衛生管理が悪く、多数の被害者を出す事故が出ています。

 

野菜を使った漬物類の食中毒もあり、昔は保存性を高めるために高濃度の食塩で漬け込んでいたものが減塩が進められて細菌が増殖可能な環境になっている場合が多くなっています。

それにもかかわらず漬物だからという油断があり、製造環境の衛生状態整備や温度管理が不十分な場合には食中毒菌が増殖してしまうことがあります。

 

なかなか参考になる記述が多く、特に食品製造業者や飲食店関係者は必読のものかもしれません。

だけど読まないだろうな。

 

 

「鬼平犯科帳(八)」池波正太郎著

またも強敵が現れ、火付け盗賊改め方全体が危機となります。

 

「用心棒」茶店笹やの主お熊の昔馴染み、高木軍兵衛が久しぶりに江戸に現れ、大店の用心棒に雇われる。しかし彼は一時盗賊の手伝いをしたことがあり、その頃の仲間に見つかって今の店への手引きを強要されるが。

「あきれた奴」火盗改同心小柳安五郎は自ら捕らえた盗賊鹿留の又八の妻子が川に身投げしようとするところを偶然通りかかり助ける。その話を聞いて又八に同情した小柳は逃亡した又八の共犯者を捕まえさせようと又八を牢から逃し、代わりに自分が牢に入って待つことになる。その小柳を平蔵が評したのが、あきれた奴。

「明神の次郎吉」盗賊明神の次郎吉が旅のさなかに出会ったのが老僧が倒れ死に際となったところ。老僧から形見を届けるよう託されたのが岸井左馬之助。届けられた左馬之助は次郎吉にお礼がしたいと精一杯の接待をする。次郎吉はその後櫛山の武兵衛一味の盗みに加わるが火盗改の監視により一味すべてお縄となる。

「流星」大坂の大盗賊生駒の仙右衛門がいよいよ江戸進出を企てその邪魔となる平蔵を葬る覚悟を決める。飛びぬけた腕前の浪人を江戸に送り込み、火盗改の同心の家族や小者たちを惨殺して平蔵を追い詰める。しかしかつて平蔵の煙管を盗んで見せた元盗賊で今は船頭の友五郎の息子が拉致される事件を追った火盗改の調べで生駒一味とつながり、下手人の浪人を倒す。

「白と黒」奉公を装って大店に入り込み金を盗んで逐電する下女泥という盗みが続けて発生、木村忠吾を探索に当たらせるがなかなか捕まらない。ちょうどその頃平蔵は巣鴨に出かけた時に以前取り逃がしたもんどりの亀太郎という盗賊を見かける。それを追っていくと下女泥の容疑者であった女二人(色白と色黒)に半ば監禁されているような亀太郎を発見。

「あきらめきれずに」岸井左馬之助に縁談。昔の道場仲間であった小野田治平の娘で出戻りのお静だった。しかし左馬之助と共に武州多摩の小野田の家に向かった平蔵はそのお静が怪しい男と出会っているのを発見する。

 

今も昔も、捜査員の家族を狙われるという刑事物ドラマは緊迫感が溢れるものになるようです。

 

 

「美の考古学」松木武彦著

これまでの考古学、歴史学では発見された遺物の利用法とか製造法、そしてその発展といった方向ばかりが重視されてきました。

そこに欠けていたのが「美」という概念です。

縄文式土器弥生式土器といったものを見て、それを古代人はどのように感じていたのかを想像してみると、そこには確実に「美」という思いがあったに違いありません。

その方面から考えていくとこれまでの考古学とは違ったものが見えてくるということです。

 

縄文土器も1万年前くらいのものではシンプルな粘土の帯を水平にめぐらせたり、細切れにしてまばらに張り付けるといった、素朴な段階のものでした。

それが5500年前以降になると積極的な表現が見えてきます。

火焔土器や水煙土器といった目を見張るような形状のものが出土しています。

これらは決して眺めるだけの目的で作られてはいません。

その出土状況を見るとススやコゲが付着したものもあり、実用で使われていたことが分かります。

こういったものは「複雑段階」と見ることができます。

それが徐々に「端正段階」ともいえるものに代わっていきます。

弥生土器となると非対称や不連続といった土器の自然形に逆らったような造形は影を潜めるようになります。

これは決して実用本位になったということではなく、美というものの求め方が変化したのでしょう。

 

弥生時代に入ると大陸から金属器が入ってきます。

銅剣などのものですが、その造形を真似た木や石の剣というものが作られます。

金属には直線や正円など、他の素材では作りにくい造形があるのですが、それを木石で形だけ似せることがありました。

こういったものはもちろん剣としての実用性はありません。

やはり祭祀などのために作られたのでしょう。

なお、さすがに富裕層は金属のものを使っていたようで、木石製のものが出土するのは少し小さい墓からのようです。

 

古墳も作られた当時は色とりどりの石材を敷き詰められていました。

その状況を再現するということが各地で行われており、神戸市の五色塚古墳を始め宮崎県西都市の西都原100号墳、高崎市の保渡田八幡塚古墳などに見られます。

そこには強烈な美意識があったのは間違いないことでしょう。

そしてどうやらそれは日本各地で同じように存在していたようです。

それはその時期以前には見られないことでした。

その頃から意識の上でも日本が統一されたのかもしれません。

 

美からの考古学、なかなか証拠も集めにくいものでしょうが、想像するだけでも面白そうです。

 

 

「ウクライナ戦争をどう終わらせるか」東大作著

ロシアのウクライナ侵攻で始まったウクライナ戦争はすでに2年を経過しました。

戦線は膠着状態となり決着する様子は見えません。

 

この本はウクライナ侵攻からちょうど1年が経過した2023年2月の出版であり、この戦争を終わらせるための方策も進められていた時期です。

著者の東さんはNHK勤務のあと大学や国連で国際政治に関わってきた方です。

 

このウクライナ戦争が今後どうなっていくか、予測される5つのシナリオから書き進められます。

それは、世界大戦に至る破滅的な展開、”汚い”妥協、プーチン体制の崩壊、西側諸国とロシア・中国経済圏の分離、中国やトルコの働きかけでロシア軍が停戦・撤収といったものです。

 

そして、第二次大戦後に起きた戦争がどのように終わったかという実例を示します。

そこでは完全な軍事的勝利というもので終わった例がほとんどないことが分かります。

ベトナム戦争ソ連のアフガン侵攻、アメリカのアフガン侵攻等々、多くは大国の侵攻なのですが、大国側が決着をつけられないまま撤退という例です。

 

このウクライナ戦争でも多くの和平調停、仲介の動きが見られています。

トルコなどが仲介の動きを強め、特に初期には奏功する可能性もあったのですが、ブチャなどでのロシア軍の残虐行為の発覚でそれもつぶれてしまいました。

 

欧米日は開戦初期から強い経済制裁をロシアに課すという姿勢を見せていますが、どうも効果が見えるとは言えないようです。

これまでも多くの経済制裁実施例があり、米国はベラルーシキューバ、ロシア、シリア、ジンバブエ、イラン、北朝鮮ベネズエラに制裁を加えています。

しかし経済的な打撃は与えたとしても目指す目標は全く達成していません。

経済制裁には限界がありますが、それ以上に問題なのが経済制裁の解除の条件が決まっていないことです。

それを明示すれば戦争自体を終わらせる糸口にもなるかもしれません。

 

 

この戦争を終わらせるための条件には多くの難問があります。

領土問題、戦争犯罪、安全保障の枠組みなど、双方が譲れないものが多数山積です。

国際刑事裁判所ICC)がプーチンの犯罪を認めましたが、「和平を受け入れたら戦争犯罪で起訴されると分かっていて停戦に応じる指導者はいない」というのが当たり前の感覚でしょう。

 

最後に日本にできることという項目が設けられています。

ウクライナについては難民支援や非軍事支援ですが、ウクライナ難民が逃れている周辺各国への支援も重要であり、モルドバなどはヨーロッパ最貧国でありながら多くの難民を受け入れており、その支援は日本としても重要です。

国際社会でのグローバルな脅威が増大していますが、それに対して日本ができることをやっていく姿勢も必要でしょう。

 

なお、主題とは関係ありませんが、「クリーン・エネルギー大国となって国際貢献を」という記述があり、そこでは政治学者が陥りやすい再エネ妄信が見られました。

「洋上風力発電はこの10年でコストが劇的に下がり、1kWあたり6円と火力発電の12円より大幅に安くなっている」とか、「太陽光発電は2030年には1kW8.2円から11.8円とLNG火力発電の10.7円から14.3円より安くなる」といったあり得ない数字を信じているようです。

もしもそれが本当ならすでにFITなんていうバカバカしいものは無くなっているはずですが、そうではないことが分からないのでしょう。

 

まあ、そういった点はありますが、ウクライナの戦争を終結させるということは考えるべきなんでしょう。

 

 

 

「鬼平犯科帳(七)」池波正太郎著

この巻にも小品7編が収められています。

 

「雨乞い庄右衛門」老いた本格派盗賊の庄右衛門が最後の盗みをしようとしますが、もはや昔の手下たちはそのような悠長な盗みより殺人強盗をやりたがります。

「隠居金七百両」この話も引退した盗賊が貯めこんだ隠居金をめぐる争い。平蔵の息子辰蔵がまた働きます。

「はさみ撃ち」貸本屋として家々を回りながら盗みの標的をさぐり、その家の女をたらしこんでしまう友蔵という盗賊が狙いをつけたのは薬種屋ですが、実はその家の主人は元盗賊、若い女房の浮気も面白がって見ています。

最後には友蔵一味が押し入るのですが、前には主人と番頭、後ろからは火盗改がはさみ撃ち。

「搔堀のおけい」密偵の大滝の五郎蔵は昔の配下、砂井の鶴吉とばったり出会いますが、鶴吉は盗賊のかしら搔堀のおけいの色ごとの相手にされてしまい、骨身までしゃぶられており、五郎蔵に何とか助けてほしいと泣きつきます。

しかしおけいは兇賊和尚の半平と組んで押し込みを図ることとなり、火盗改がすんでのところで一味を捕らえますが、鶴吉だけは目こぼしをします。

泥鰌の和助始末」平蔵が昔荒れていた頃にもう少しで盗賊の片棒を担ぎかけたのですが、それを身を挺して止めた道場の先輩、松岡重兵衛が現れます。それが老盗泥鰌の和助の盗みとそれを横取りしようとする不破の惣七の争いに巻き込まれます。

「寒月六間堀」平蔵が昔世話になったお熊は今は茶店を開いています。その店先で倒れた老いた武士は仇を付け狙っていました。それを火盗改の誰にも知らせずに平蔵は一人で助太刀します。

「盗賊婚礼」平蔵が母の実家三沢家に行き、従兄の仙右衛門と共に近頃評判の料理屋瓢箪屋で昼食を楽しみます。そこの主人は本格派盗賊傘山の弥太郎の腹心でした。その弥太郎の父親も同じように本格派盗賊で、気の合った名古屋の盗賊鳴海の繁蔵と子供同士を夫婦にする約束をします。しかし繁蔵亡き後あとをついだ息子は殺しもいとわぬ兇賊となってしまいました。ところが繁蔵は弥太郎に親の約束通り婚姻を執り行いたいと言ってきます。これは江戸での盗みの手伝いをさせられるに相違ないと見た弥太郎たちでしたが、結局は繁蔵の思い通りに進みます。しかし婚礼のその時に繁蔵のやり方に不満を持っていた繁蔵の配下久五郎が刀を抜き繁蔵に切りかかり、そこにちょうど通りかかった平蔵と岸井左馬之助も刀を抜いて飛び込み繁蔵一味をお縄にします。

 

実際の世間の人間模様というものもこういった話と同様複雑に入り組んでいるのでしょうが、短編小説でそれが右往左往してくるとちょっと分かりづらくなります。

 

 

「メガソーラーが日本を救うの大嘘」杉山大志編著、川口マーン恵美、掛谷英紀、有馬純他著

メガソーラーなどという大規模な太陽光発電設備が日本のあちこちに設置されて異様な光景を形作り、そればかりかがけ崩れや洪水といった災害すら引き起こしています。

そのようなおかしな状況がなぜ作られてしまったのか。

キャノングローバル戦略研究所の杉山大志さんが主となり多くの現状に通じた人たちが著者として報告しています。

 

東京都が実施しようとしている新築住宅への太陽光発電パネル設置の義務化については杉山さんは強い反対運動を展開していますが、それについての記述から始まります。

現在は太陽光発電パネルはほとんどが中国製となっています。

なぜかと言えば圧倒的に安い価格だからなのですが、その低価格の要因としてそれが中国の新疆ウイグル自治区で作られており、現地住民を非常な低賃金で強制的に労働させているということが言われています。

さらにその製造には大量の電力が使われるのですが、その発電も安価な石炭火力発電で賄われています。

このような不当に安いコストとされている中国製パネルを強制的に東京都の新築住宅に使わせようとしているのですから、それが何のためかということを問い直すことは必要でしょう。

 

また太陽光発電システム設置の費用は「6年で元が取れる」などと宣伝されています。

これには高額となっているFIT(再生エネルギー賦課金)の資金が投入されることもあるのですが、さらに「撤去費用や廃棄費用などは含まれていない」という欺瞞があります。

そこまで考えるととても採算が合うわけがないということは施工業者も認識しています。

 

環境原理主義者ともいうべき連中がこの脱炭素化の方針を引っ張っていますが、その最たるものがドイツの緑の党です。

しかしその現実はすでに破綻しかけています。

石炭火力は目の敵にして廃止を迫りながらロシア産の天然ガスを頼りにしていたのですが、ウクライナ戦争の結果ロシアの経済制裁天然ガスの輸入も禁止に向かいますがそうなればもはやエネルギー調達もできません。

一方で現実路線を突き進む中国はエネルギー基本計画として石炭火力と原発の大増設を目指しており、脱炭素化で再エネ路線にこだわるヨーロッパや日本を置いていこうとしています。

 

再エネ賦課金は民主党政権時代の2011年に導入され、当時の菅首相は一般家庭の負担は一月コーヒー一杯程度と説明しましたが、多くの事業者が参入して賦課金も跳ね上がり、すでに月1000円以上の負担となっています。

これは企業にとっても大きな金額であり、鉄鋼業の購入電力費は2019年で6700億円に上るのですが、このうち1000億円程度が再エネ賦課金の負担額です。

他にもセメント、紙パルプ、化学などのエネルギー多消費型産業では賦課金の負担が重くなっており、経営に大きな影響を与えています。

これはスーパーやデパートなどの小売業でも同様です。

こういった賦課金は電力消費をするすべての人に掛けられます。

一方、電力事業者だけでなく一般家庭でもパネル設置者はそれを貰える立場であり、一般的にはこういった設備を設置できるのは富裕者が多く、彼らのために多くの窮乏者の電力料金に加えられた賦課金が投入されるという事態になっています。

 

他にも多くの興味深い事例が報告されていました。

 

 

「今どきコトバ事情」井上俊、永井良和編著

社会は変化し続けますが、それを捉えた言葉というものを見ていくと社会のある面を見ることになるのかもしれません。

 

この本ではそういった変わり続けていく社会を表す言葉を取り上げています。

ただし「最近10年の」としていますが、この本が出版されたのが2015年ですので、そこを遡る10年ということになります。

それからすでに9年たっていますので、もう本の内容とはコトバも社会も変わってしまったのでしょう。

そういった、ちょっと前の社会を表す言葉について、編著者のお二人をはじめ多くの社会学者たちが書いていきます。

 

LGBTという言葉が日本でかつてないほどメディアに登場するようになったのが、この本出版の2015年だったそうです。

それからますます拡大を続けているようですが、実体はどれほど進んでいるのでしょう。

この本での記述にもあるように、「LGBTが少数派目線のコトバではなく、商業主義的なラベリングに感じられてしまう」といった状況が今でも大きいのではないかと感じます。

 

コミュ力」(コミュ”りょく”です、”コミュか”ではありません)

もちろん「コミュニケーション能力」を略した言葉ですが、日本人は4文字以上のコトバが使いにくいのでこうなってしまいました。

しかしそもそも「コミュニケーション」というのが何かということもはっきりとしていません。

それでも就活に当たって採用側では「コミュ力のある人を取りたい」と言い、就活生もそれに合わせるようなふるまいをするということにもなります。

社会や会社から若者に要請されるコミュニケーション能力ですが、若者側から見ればまた別のコミュニケーション能力があります。

学校や友人付き合いでは全力を尽くして何とかうまくやろうと立ち回っています。

そういったコミュニケーション能力は相手や場所、場合によって変わるため、測ることもできません。

いわば「正体のないもの」のようです。

それが下手な人が上達するためにはどうすればよいか、これも正体がない以上はよくわかりません。

結局はそういったよくわからないものに振り回されているだけなのかもしれません。

 

風評被害は「根拠のない否定的な評価が広まることで無関係な生産者などが経済的損失を被ること」です。

しかし、よくそう言われる場合に「根拠のない」わけではないことも多いようです。

1954年の第5福竜丸被爆事件で他の漁場のマグロなどが売れなくなったのは風評被害でしょうが、福島原発事故に関してはあまりにも東電や国のやり方が悪かったことが要因であることが多く、これを風評被害というのは間違いでしょう。

事故の隠蔽などが度重なれば人々が不信感を持ちそれが過剰かもしれない自己防衛行為となっている可能性は強いものです。

あくまでも詳しく正確な情報提供を行うことが必要であり、風評被害を防ぐなどといった言葉だけでは被害を拡大するだけです。