爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「波よ鎮まれ 尖閣への視座」沖縄タイムス「尖閣」取材班編

石原東京都知事尖閣諸島購入を打ち上げ、それに慌てた民主党政権が国有化を進めたことで、中国や台湾の猛反発を食ったのが2012年ですが、そのような動きが地元の意向を無視した対応であるとして、沖縄の新聞社沖縄タイムス尖閣諸島の地元と言うべき石垣市や台湾を取材し、多くの人々のインタビューを行なったそうです。

その声をまとめて本としました。

 

1879年に琉球処分沖縄県を設置しました。

1895年には日清戦争勝利、台湾とその付属島嶼を日本領とします。

その結果、尖閣諸島はどちらの所領ということもなく沖縄も台湾も日本であるということになりました。

その当時は国内ということで石垣などの住民と台湾の住民は相互に移住して農業や漁業に従事するなど、交流していたそうです。

1945年に日本が敗戦した後も、沖縄は形だけは琉球政府となり、アメリカ軍の施政下に入りました。

1970年にはアメリカ軍施政下の琉球政府が「領土権声明」を発表、尖閣諸島領有を宣言しました。それに対し台湾も中国も領有権を主張しました。

1972年、沖縄が日本に返還。尖閣諸島も日本政府が領有権を主張

1978年、鄧小平中国副首相が尖閣諸島問題の棚上げを表明、日本も同調しました。

2010年、石垣市長に保守派の中山義隆が当選、その後尖閣諸島領有権主張が強まります。

2012年、石原東京都知事尖閣諸島購入を表明。

同年9月、日本政府が尖閣諸島国有化。中国各地で反日デモ

2013年、日台漁業協定発効

 

地元の多くの方が話しているように、戦前の同じ国の中であった時代はもちろん、その後も先島地方(宮古八重山)と台湾の人々との交流は深く、それが国の政策に振り回されて互いに近づけないようにされてしまったということです。

尖閣諸島周辺の海域は台湾漁民にとっては貴重な漁場であったそうです。

台湾は中国と比べてもはるかに入り込める漁場が少なく、漁民も零細であるために大型船で遠洋漁業に出ることもできず、近海の漁場に入れないのは困るということです。

 

石垣市や台湾の地元の方々、特に漁業関係者は領土問題などは触れたくないようです。それよりもとにかく協同でよいから漁場を利用したいという希望があります。

なお、台湾漁業者も漁業資源の保護ということには関心はあるものの、組織が弱体であるために規制が難しいようです。これも日本と協同で節度ある漁業ができれば良いという意見があります。

 

領土は一片たりとも渡せないという主張が双方で高まると、肝心の地元の人々の漁業などの操業が著しく困難になるようです。

歴史的に見ても共同利用といった時期のほうが長かったようです。そのあたりで妥協できれば良いのでしょう。

 

波よ鎮まれ (尖閣への視座)

波よ鎮まれ (尖閣への視座)

 

 

「エトロフ島 つくられた国境」菊池勇夫著

エトロフ島といえば、ロシアとの間で領土問題の焦点として意識される「北方領土」の国後・択捉・歯舞・色丹の四島の一つとして捉えられることが多いでしょうが、その実像はほとんど知られていないでしょう。

近藤重蔵の「北方探検」、ソ連の侵攻と住民引揚げ、領土返還運動程度のものしかないという状況でしょうか。

 

そこで、エトロフ島や周辺の千島列島の歴史を振り返ってみるというのが本書です。

北海道でも東北部や、さらに千島列島へは日本中央はほとんど関わっていなかったものが、ようやく江戸時代中期以降に交易などで接触するようになりました。

しかし、ちょうどその頃にロシアが進出してくるようになり、数々の事件も起こします。

日本中央の江戸幕府もそれに対抗する必要上、様々な対策を取ることとなります。

そのため、この地についての史料も多く残されるということになり、かえって北海道の他地域と比べても記録が残っていることになりました。

 

著者の意図は、「エトロフ島が固有の領土である」ことを証明することではありません。もともと国境などというものには関係のなかったエトロフを国境の中に取り込んでいく課程を見ることによって、国境とは何か、国家とは何か、国民とは何かということについて考えを深めてもらいたいということです。

 

エトロフ島には江戸時代にはアイヌ人が居たのは確かですが、それ以前には北方のオホーツク文化の人々が住んでいたようです。しかし、中世以降に北海道からアイヌ人が北進してきて、それに吸収・融合されてしまったようです。

18世紀の前半までは、エトロフ島を含む千島列島は「くるみせ」と呼ばれていたのですが、その地域への関心が持たれることはほとんどなかったようです。

ただし、ラッコの毛皮が穫れる場所ということだけは興味があったようで、「ラッコ島」という名称で呼ばれる島もありました。

しかし、これは千島列島全体なのか、その中のウルップ島なのか、説も定まっていないようです。

 

ラッコの毛皮はすでに室町時代には日本にもたらされ、珍重されていたようですが、直接取引をすることはなく、北海道東北部のアイヌたちが取引したものが松前を通して流入していました。

しかし、1669年にその地方でシャクシャインの戦いというアイヌとの争いが起き、ラッコ取引も中断したために直接買い付けようという動きが出てきました。

松前藩が直接交易船を出そうとしたのですが、最初はアッケシがその最東端だったようです。

一方、ロシアもすでに1649年にオホーツク沿岸に町を築きカムチャツカ半島にも徐々に進出してきます。

千島の住人とも交易を始めていたようです。

 

しかし、それもスムーズにいったわけではなく、1771年にはロシア人数十人が殺されるウルップ島事件も起きてしました。

 

18世紀には日本の千島認識も変わっていき、1780年代の林子平の「三国通覧図説」にも蝦夷地全図が納められていますが、その形状はまだまだ実際とはかけ離れていたものでした。

しかし、「蝦夷地は日本の内か外か」というのは幕府も重要視していたようです。

それに対し、松前藩は北海道ばかりか樺太や千島も自藩領だと主張したようですが、それは根拠あっての主張ではありませんでした。

幕府や松前藩も、その時期から蝦夷地東北部や千島樺太の調査ということを繰り返し実施するようになります。

最上徳内近藤重蔵といった人々が活躍するのもこの時期からということです。

 

そして徐々に日本の版図とされていくわけですが、エトロフ島まで治めたあとはその地のラッコ漁を禁止しています。

これは、ラッコの毛皮を欲して南下するロシア勢力を防ぐためだったそうです。

生業をなくした住民たちはその後サケ・マス漁に転換していくことになります。

 

その後も様々な混乱を経て日本の統治が進んでいくこととなります。

しかし、北海道東北部といえど驚くほど最近まで日本の統治が及んでいないということは知りませんでした。

それだけ過酷な環境だったのでしょうか。

 

エトロフ島―つくられた国境 (歴史文化ライブラリー)

エトロフ島―つくられた国境 (歴史文化ライブラリー)

 

 

「文化の戦略 明日の文化交流に向けて」加藤淳平著

著者は外務省に入省し各国大使館勤務を経て、国際交流基金に勤務したという、この本の内容に沿って仕事をしてきたような方です。

 

世界各地にそれぞれ異なる文化が存在しますが、現代ではそれらが否応なしにふれあい、こすれ合い、場合によってはつぶしあいをする状況です。

文化交流という美名だけではすまないようなこともあるかもしれません。

それを実行していくのはやはり戦略というものが重要ということでしょう。

 

文化の違いというものを端的に示しているのが、「名前のラテン文字表記の場合の、姓と名の順序」というところに出ているのかもしれません。

日本人が名前をラテン文字(ローマ字と書かないところがいかにも)で書く場合に、ほとんどの場合「名・姓」の順序に書いてしまいます。

人の名前を「名・姓」の順に書くというのは欧米の習慣であり、東アジアでは「姓・名」の順番で書きます。中国人や韓国人は欧米に行ってもその順序は変えません。

また、「姓」なんていうものは無い国もあります。

 

日本人の名を「名・姓」の順番で書くということは、現代であればそれほど抵抗はないのかもしれませんが、歴史的には困難な場合が数多く出てきます。

紀貫之は「ツラユキ・キノ」とするのでしょうか。しかしこの「ノ」には何の意味もありません。

大伴坂上郎女などはどうするのでしょう。

紫式部などは、どちらも姓でも名でもないのですが、これを「シキブ・ムラサキ」と表現している人がいたために、「シキブ」が名であるかのように理解してしまった人もいます。

 

このような矛盾点が多いために、著者が国際交流基金に居た時には日本人の姓名は「姓・名」の順で書くこととしたのですが、なかなか理解されなかったそうです。

 

世界の歴史のあちこちで異文化の衝突が起きましたが、近代のアジア・アフリカなどの国々のヨーロッパ各国による植民地化はその中でも非常に大きなものと言えます。

植民地からの財産の収奪ということが起きたのですが、それと同時に欧米からの価値観の押しつけというものも強く表れました。

特に、植民地側の支配階級にその価値観が多く取り入れられたために、現在でも植民地から脱した国がほとんどとはいえ、その支配階級には欧米の価値観に浸かりきった人々が残っています。

こういった植民地主義の後遺症というべきものは今でも大きく影響を及ぼしています。

 

さらに、それがインターネットの普及と経済のグローバル化の進展で拡大していく状況にあります。

このまま行けば世界画一化文化に行き着いてしまうかもしれません。

しかし、文化の一元化というものは世界全体から見れば衰退といえるものです。

異文化と異文化の対話と交流があることが必要なのです。

 

日本の文化交流といえば、次のようなものが実施されています。

政府・文化交流機関の実施するもの、留学生交流、日本語教育と日本研究の振興、学術交流、芸術交流、スポーツ交流、文化協力

 

しかし、中には「悪い交流」と言わざるをえないものもあります。「差別型交流」と呼んでいます。

「良い交流」、「誠実型交流」とは大差がありそうです。

 

これは、日本人の欧米コンプレックスが大きく作用しているようです。

欧米の、特に白人に対しては必要以上に歓待してしまうのに対し、アジアなどからの留学生には非常に冷淡という例が頻発しています。

 

日本人に必要なのは「文化多元主義」であるはずです。

西洋文化至上主義などというものから脱却しなければならないということです。

 

文化の戦略―明日の文化交流に向けて (中公新書)

文化の戦略―明日の文化交流に向けて (中公新書)

 

 

「グレーな本」高城剛著

高城さんという方は全然存じ上げなかったのですが、世界で活躍されるクリエーターということです。

この本は、高城さんが毎週発行されているメールマガジンの中で、読者の質問に答えるというコーナーを再構成したものということです。

これを最初は「白本」と「黒本」という形で電子出版したのですが、それが電子書籍ランキングで上位となったために紙で出版したいということになって、合わせて「グレーな本」ということです。

 

内容は非常に刺激的なものであり、特に現在の日本社会、その中でテレビや出版などのマスコミ業界に対する非常に激しい攻撃を含んでいます。

そのために、最初は出版は無理と言われていたのだそうですが、いくつかをカットすることで出したのだとか。

 

著者はノマドという生き方をしているのだそうです。ノマドとは訳せば遊牧民ということのようですが、世界各国を転々としながら稼いでいくということなのでしょう。

著者に対して質問を出している人たちもそういう生き方に憧れを持っている人が多いようです。

 

「日本式システム」というものを著者は忌み嫌い激しく批判していますが、そのイデオロギーを支えているのが日本のテレビであるということです。

上下関係というものが強い日本社会のしきたりを絶対化し見ている人たちに植え付けようというのがテレビの役割であり、そのマインドコントロールが日本式システムに従う人を作り出しているのだそうです。

テレビは1%の人が99%の人を騙すためにある装置です。

 

ネットでチェックすべきサイトはアメリカCIAのザ・ワールド・ファクトブックというところだそうです。特にアフリカや中南米に行く際には役に立つそうです。

これはありそうな話です。

 

グレーな本

グレーな本

 

どうも毒気が非常に強い本で、私のような小心者には耐えられないように思えました。

 

 

「ナチスドイツの実像から中東問題を読み解く」中川雅普著

著者が言いたかったのは、どうやらナチス・ドイツユダヤ人虐殺などは必要以上に誇張されており、それはイスラエルの宣伝活動によるものだということのようです。

 

とは言っても、ネオナチなどのように「虐殺は無かった」とまでは言うつもりはないようです。ただし、犠牲者人数などは誇張されているということです。

 

しかし、そういった主張が出てくるのは巻末の最後の最後。ほんの数ページのことで、本書の大半はナチスの詳細な歴史と、日本側の駐独大使大島浩の物語です。

おそらく、著者の意図としてはナチスの正確な歴史を知ればイスラエルなどの宣伝の矛盾が明らかになるはずということなんでしょうが、どうでしょう。

 

ナチススターリン毛沢東国家に比べ、戦争犯罪の規模が下回るとされながらも、常に悪の筆頭に挙げられ、研究者によってその目的、犠牲者数にあまりにも差異が見られる。

としているところからも、それが察しられますが。

 

ドイツの情勢の詳細な記述については触れませんが、日本関係ではいくつか興味深い指摘がありました。

日独伊三国同盟を結んだドイツ側の希望は、あくまでもソ連に対し日本がすぐに参戦することであり、それによりソ連の反撃の余力を失わせ一気に勝利した上でアメリカを片付けるということだったようです。

しかし、日本はその期待を無視しかえってアメリカとの戦争を選んでしまいました。

これはヒトラーにとっても非常に失望したことであり、日本の戦争遂行姿勢を見誤ったところだったようです。

 

著者の意図の、イスラエルの世論操作という点では、1982年のレバノン侵攻と数多くの国家テロを取り上げています。

そして、それに対する国際社会からの反発を抑えるためにアメリカのアメリカ・イスラエル広報委員会と実施したのが、「シンドラーのリスト」といったユダヤ人のドイツによる虐殺を扱った数々の映画だということです。

 

ユダヤ人虐殺という歴史を隠すことはできませんが、それを利用している勢力もあるということでしょう。

 

ナチスドイツの実像から中東問題を読み解く

ナチスドイツの実像から中東問題を読み解く

 

 

 

「現代数学小事典」寺坂英孝編

かなり古い本で、1977年出版ですが、大阪大学などで数学教授を歴任した寺坂さんが編者となり多くの数学者を著者として、現代数学のほぼすべての分野を解説しています。

 

もちろん、記述はほんのサワリだけであり、せいぜい術語の解説くらいまでしかできませんが、まあ詳しいことは各分野の専門書に任せてとにかく数学の概観を示したいということでしょうか。

 

したがって、部門としても「数学基礎論」「代数学」「解析学」「幾何学」「トポロジー」「応用数学」を取り上げ、漏れのないようになっています。

 

また、各部門の大数学者と言える人々の略歴なども簡単に紹介しており、ガウスやフィッシャーといった超有名という人たちばかりでなく、初めての女性数学者と言えるロシアのコワレフスカヤなど、あまり名も知らない数学者の略歴も知ることができました。

 

高校までの数学はなんとかこなしたものの、大学に入ってからはまったくついていけなくなった私としては、この辺から数学を捉えなおして挽回をと思ったものでしたが、結局はよくわからないままです。

 

現代数学小事典 (1977年) (ブルーバックス)

現代数学小事典 (1977年) (ブルーバックス)

 

 

 

「地理 8月号」古今書院編

また貰い物の雑誌「地理」の8月号です。

 

この号の特集は「◯◯マップを読む・活かす」と題し、6編の記事。

その他に「1967年の神戸土石流災害から50年」「学術用語と教育用語どうちがう?」、「鳥の目で地形や風景を見てみよう」といった記事が並んでいます。

 

特集記事ではやはり災害関係が話題にのぼりやすいようです。

2016年の台風10号による豪雨災害は東北・北海道に甚大な被害をもたらしました。

これについて、駒沢大学講師の平井史生さんは細かい地形図と気象情報から解析し、特に豪雨になりやすい場所で被害が出ていることを明らかにしています。

なお、平井さんは他にも糸魚川の大火災、熊本地震東日本大震災の時の首都圏液状化被害についても論じています。

 

群馬大准教授の青山雅史さんは、地震による液状化被害を読み取るために旧版の地形図を読み取るというアイデアを紹介しています。

現在の地形図だけでは分からないようなその場所の履歴というものが、旧版の地形図を見ることで分かるため、液状化の発生が予測できるのではということです。

 

静岡大学教授の牛山素行さんは長年ハザードマップの開発と普及に関わってこられた経歴から、整備は進んだもののまだ一般に広く普及しているとは言えないハザードマップの今後について書かれています。

1980年代のハザードマップ黎明期には、「このまま公表すれば国民に不安を増すだけ」として公表されないといった事例も多かったそうですが、ようやくその段階は過ぎたものの、まだまだ一般にまでその意味が浸透すると言うところまでは行かないようです。

東日本大震災では「想定外」という言葉が多く流ましたが、実は多くの災害ではほとんどの犠牲者は「ハザードマップで示される危険箇所付近」で遭難しているそうです。

言ってみれば「想定の範囲内」で被害にあっているわけで、ハザードマップの理解が進めば防げたものかもしれません。

 

琉球大学准教授の尾方隆幸さんが書かれている「学術用語と教育用語」という記事はなかなか興味深いものでした。

地球惑星科学といった、複数領域にまたがる分野では、専門用語などの術語の食い違いと言うものが頻発し、時には学術的議論が噛み合わない事態も発生します。

これが、どうやら中学高校などの教育現場にも原因がありそうです。

この分野では、まず教科書会社による教科書の中での不統一というものがあります。

例えば、会社によって「プレート内地震」と「直下型地震」が同じ事例に対して使われていることがあります。

さらに、「地学」と「地理」の分野による名称不統一もあります。

同じ事象が異なる用語で説明されていたり、逆に異なる事象が同じ用語で説明されている例があります。

その上に、中高生の教育現場で使われている言葉が、大学以上の学術分野で使われている言葉と異なる例も頻発しています。

そのような教育を受けた高校生が大学で地球科学系へ進学した場合、いきなり違う用語に接して混乱することがあります。

この記事は連載で続いていくそうです。なかなか興味深い話です。

 

この本には地理学の最先端の研究者の方々の記事が多く、読み応えがあるものでした。

 

地理 2017年 08 月号 [雑誌]

地理 2017年 08 月号 [雑誌]