爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「道教の世界」菊地章太著

著者の菊地さんはカトリック神学が専門と言うことですが、道教も研究していくうちにそちらの面白さに捕らえられ、現在は比較宗教学がご専門となってしまったそうです。

 

中国は大きく見ると3つの宗教が力を持っていますが、儒教が社会ではメインとなっています。それに続いて仏教勢力を持つ一方、道教というのは表社会としては公式の体制には入り込んでいません。

 

しかし、民衆の生活にもっとも取り入れられているのはその道教であるという見方もできそうです。

しいたげられた者たちの宗教としては道教がその存在感を示しているようです。

 

そもそも、「宗教」とは何か、道教が果たして「宗教」と呼ぶにふさわしいものかどうか、そこから見直さなければならないのかもしれません。

 

宗教とは、「教義」と「教団」を完備していなければいけません。

創始者がいて、教祖がいて、宗旨があり、聖典が整備され、それにそった儀式が実施される。その儀式を執り行う教団がある。

そういったものが「宗教」の中でも「成立宗教」と見なされるものであり、それを備えていなければ「民間信仰」と呼ばれます。

 

道教は本当に成立宗教となっているのか。その成立年代には諸説ありそうで、研究者によって異なりますが、道教では経典すら十分にはまとめられておらず、また教団組織を構成すると言うことにもなじまなかったために、疑問視される場合もあったようです。

しかし、仏教のような教義と教団が確固な宗教とは別の捉え方をするならば、道教も立派に教義と教団が整備された高等宗教とみなすことができそうです。

 

日本への宗教の伝来では、仏教が最もはっきりと、力強く影響を見せるのに対し、儒教は公式ルートではある程度の道筋が見えるということが言えそうです。

しかし、道教はそのようなはっきりとした渡来が見られず、日本への伝来は疑問視する人も多いようです。

 

そんな中で、中国の医療、それも身体の中に虫が入り込み病気になると言う考え方は実は道教の信仰と非常に強く関係を持っています。

その思想は日本へも伝来しているのは間違いなく、それに対する虫除けの儀式も日本では数多く実施されています。

平安時代から行われている「庚申」の夜の儀式というものは、自分たちもあまり自覚しないまま実施されているのですが、実は道教の思想に基づく儀式だったそうです。

 

この点は「庚申信仰の日本固有説」を柳田国男も唱えており、道教研究者の吉岡義豊が中国撰述説を出してもやはり日本固有説の方が優勢であったようです。

 

他にも、道教が日本に伝来したと言えるのかどうか、影響がどの程度あるのか、といった点はまだ研究もそれほどされていないようで、定説もできていないようです。

 

中国の道教というものはまだ、議論されているものがありますが、日本への影響ということはあまり聞いたこともなかったので、本書は新鮮なものでした。

 

道教の世界 (講談社選書メチエ)

道教の世界 (講談社選書メチエ)

 

 

「博多祇園山笠大全」西日本新聞社、福岡市博物館編

博多祇園山笠といえば、博多総鎮守の櫛田神社への奉納神事で、毎年7月1日から始まり15日明け方の「追い山」でクライマックスを迎える祭として有名です。

 

その起源は800年近く前の鎌倉時代に遡るという記録もあるそうですが、その後さまざまな変遷を辿り現在の形になりました。

そのためか、これまでも全体を紹介できるような資料が少なかったようです。

西日本新聞社福岡市博物館がその持てる資料と知識を持ち寄り、祇園山笠の全体像を描いたと言うものです。

 

祇園山笠は博多の町民にとっては非常に重要な祭祀であったため、古くから数多くの絵画が描かれ、さらに明治期以降は写真も多く撮影されてきました。

こういった絵画、図版、写真を本書冒頭に掲載しています。

これらの絵画では、その細部までの描写も残されており、当時の山の実像、祭の運営方法等、絵画から読み取れるものも多いようです。

 

次章には祇園山笠小史として、まとめられています。

起源には諸説あるようですが、多くが支持しているのが1241年(仁治2年)説です。

この年、博多では疫病が流行したため、祈祷をしたのが始まりということです。

戦国時代には続いてはいたのでしょうが、戦乱の中で大きなものはできなかったのでしょう。

しかし、江戸時代に入ると安定した社会の中で祇園山笠も大きく発展していきます。

それが明治維新を経て明治新政府ができると、山笠も大きな危機を迎えます。

明治5年には福岡県から山笠等の祭の禁止令が出ます。

ようやく明治16年に復活しますが、その頃には電信・電話線、電灯線などが街中に張られるようになり、舁き山ができなくなるという事態になります。

そのために、明治31年には再び山笠中止を県知事が命令するということになりました。

この結果、飾り山笠と舁き山笠の分離と言う、現在の形になるきっかけでもありました。

 その後も戦争時の空襲で町がほとんど焼けてしまったり、その後の区画整理で町の区域が変わったりと大きな危機もあったのですが、文化財としての価値が評価されるようになり今日の隆盛へと向かったのでした。

 

続いて、町ごとの法被や手拭(てのごい)の図柄や、各流(ながれ)の紹介等々、祇園山笠を理解する上では重要なものが紹介されています。

 

さらに山笠用語事典まで備え、この本を持っていれば山笠のことは何でも知ったかぶりできるのではと思わせるものでした。

 

事典の中で、誰もが興味を持つ舁き山笠の舁き手(かきて)の交代について

舁き山笠の重さは約1トン。26-28人で舁くとしても、一人が走れるのはせいぜい50メートル。余力のある間に離れないと、特に表の舁き手は危険だ。転んだら山笠台に巻き込まれる恐れがあるからだ。離れた棒の位置にはそのポジションを得意とする次の人が入り、これを繰り返して山笠は前進する。よく見ると、6本の棒は外側の一番棒が地上から高く、内側の三番棒が低い。二番棒がその中間。背の高い人も、低い人もそれぞれに合ったポジションがあるのだ。

非常に懇切丁寧な説明かと思います。

 

博多祇園山笠大全

博多祇園山笠大全

 

 もう半世紀以上前になりますが、小学生の頃に父の仕事で福岡に住んだことがありました。

町々に飾ってある飾り山を見に行った覚えはありますが、追い山などは「あんなものは子連れで見に行けるものではない」と言う父の考えで見にはいけませんでした。

祇園山笠の全容がわかったのは、福岡を離れてしばらく経ってからのことでした。

しかし、当時父がつぶやいていた「この時期になると仕事にならん」という嘆きが懐かしく思い出されます。

 

「〈見た目〉で選ばれる人」竹内一郎著

「人は見た目が9割」という本が結構話題になりましたが、これはその著者が書いた続編のような本です。

 

前作はその題名からの印象で、「美人は得だね」というだけの本かと思い、まったく触れても見なかったのですが、実は「非言語コミュニケーション」と言うものを扱ったものだったそうです。

 

著者は劇作家、演出家としても活躍する一方、大学で演劇を教えてもいるという人ですが、そこに共通しているのが「非言語コミュニケーション」つまり仕草や表情などで相手に与える印象というものを操作するということです。

これは、当然のことながら俳優という職業の人たちは意識的にしろ無意識にしろ、工夫を重ねていることなのですが、それ以外の人はほとんど考えもしないことのようです。

そして、それを意識的に向上させることができれば、相手に与える好印象が倍増し、それで「見た目で選ばれる」ということになります。

 

前作もこういった内容であったようですが、編集者からのアドバイスで題名を決めたためやはり私と同じように誤解した人も多かったようです。

 

 

「一目惚れ」と言うものは間違いなく存在するものですが、これは単に「美女・美男子」であるからというのではなく、「自分にとって魅力的」であることを瞬間的に判断するからだそうです。

そこでは、表情を読むということを無意識に行なっています。

 

著者は職業柄、多数の人と初対面で会うということを頻繁に行なっていますが、それらの中には「表情の読めない人」も相当数居ます。大企業の社員などはそういった人が多く、これは「表情を見せない」ことを普段から訓練しているからです。

一方、俳優などは表情を見せなければ話にならないのでそれを見せると言うだけでなく、表情を自分の思い通りに作るということもするわけです。それが演技の訓練でもあります。

しかし、ベテラン俳優といえど、自分の後ろ姿がどう見えるかということは分かりません。そのためにも演出家と言う人たちからの指摘が必要になるそうです。

 

「見た目」と言う言葉を本書でも主題としていますが、じつは「見た目」と言うものは相手にしか分からないものなのです。

したがって、自分の見た目がどうであるかということを感じるためには、自分を見てくれる相手の感情を推し量るしかありません。

そのため、そういった心理的な働きを使う必要がない人たち、大学の先生などはこの能力がかえって衰退してしまい、自分の「見た目」に無頓着な人も多いようです。

 

これは能の創始者とも言える世阿弥の言葉にも残っており、「我見の見」と「離見の見」と言われているそうです。つまり、自分が見る自分の像「我見の見」だけでは芸は判断できず、離れたところから見る観客の「離見の見」を意識していなければならないということです。

 

前書「人は見た目が9割」がヒットした頃、メディアでも取り上げられることもあったそうですが、その中で、「見た目を気にしすぎて子どもも整形手術」なる記事があり著者も驚いたそうです。

「見た目」と言う言葉が誤解され、単に「美醜」という意味だけで使われてしまった。

 

美醜というものはどうしても人の外見を左右しますが、実は若い頃に美人と言われてちやほやされた人ほどその感覚のまま年を取り、中年以降にはただ痛々しいだけになる例が多いようです。

かえって、普通以下の外見でも周りから自分がどう見えているかを意識して、表情や仕草など「見た目」を磨くように努めている人の方が最後には勝つのかもしれません。

 

「見た目」で選ばれる人

「見た目」で選ばれる人

 

 

 

「日本人と中国人」陳舜臣著

 中国人貿易商の子として日本で生まれ、家庭では中国人としての教育を受けながら、学校教育は日本人として受け、日中両方の教養を深く身につけた陳舜臣さんは、その後小説家、著述家として数多くの本を出版されました。

 

最初の頃は推理小説などが多かったようですが、その後、随筆も多く書くようになりました。

本書は新書版は1978年出版ですが、元々の単行本は1971年、長編の随筆集としては著者の最初の作品だそうです。

 

内容は、著者が精通している中国文化と、日本文化の比較、特に相違点に着目したものです。

これにはやはり戦前の日本が、中国大陸を侵略するにあたり、「同文同種」とことさらに唱えてそれの口実としたということがあり、陳さんとしてはその「違う所」を強調しておきたいという思いがあったのでしょうか。

 

数多くの事例をあげていますが、大きなものでは「日本は尊血主義」(つまり血統優先)「中国は人間信頼の”形式主義”」というところでしょう。

やはり、日本の血統主義というのは目立っていたようです。

 

相違点はあれど、隣人として長短補い手を取り合って進んでほしい。日中の狭間に生まれ育って暮らしてきた著者の願いだったのでしょう。

 

 

「ウイルスと地球生命」山内一也著

著者はウイルス研究に長年携わってきた方ですが、その最初の研究対象が天然痘ウイルスであり、その後もずっと病原体としてのウイルスに関わってきました。

一線を退かれた後は一般向けにウイルスについて啓蒙活動をしてきたのですが、その中で読者から「細菌に善玉があるように、ウイルスに善玉があるのか」という質問だったそうです。

 

これで目を開かれ、世界各国の研究報告を見直していくと、2000年に「ヒト内在性レトロウイルスが胎児を守っている」という報告に接し、さらに様々な動物と共生しているウイルスの存在というものに気付かされたそうです。

 

さらに、ヒトなどの生物のゲノム情報の解析が進むにつれ、ヒトゲノムの実に半分以上がウイルスに関係するもののようだということも分かってきました。

 

これまでの、「病原体としてのウイルス」だけを考えていてはウイルスの全体像とは大きく違うものを見ているようです。

 

ウイルスは動物や植物のそれぞれの種と結びついた特有の種があると考えられていますが、ウイルス自体の出現は30億年以上前と考えられています。

猿人の最古のものですら、わずか700万年前、現生人類は20万年前に出現したに過ぎず、現在のヒト固有のウイルスといってもほんの少し過去にヒトに取り付いたもののようです。

 

本書の最初の部分はウイルスの基本知識についてのものですので、そこは略し一番興味を覚えた「病原体以外のウイルスの働き」の項のみ紹介します。

 

ヒツジで研究された「胎児を守るウイルス」に関する研究ですが、母親の胎内で発育する胎児は半分は父親由来の遺伝形質ですので母親の免疫系にとっては異物です。

この免疫反応を無効にする機構があるはずとして、長年研究されてきたのですが、ヒツジのヤーグジークテ病と言う病気を引き起こすウイルスと非常に似た内在性のウイルスが健康なヒツジにも感染しています。

これは病原性はなく、病原性ヤーグジークテウイルスの侵入を阻止すると考えられていました。

そして、それに加えてヒツジが妊娠し受精卵が着床する時期にこのウイルスの作るタンパク質が胎盤形成に重要な役割を果たしていることが証明されたのです。

 

同様な例は他の動物でも見つかっており、ウイルスのプラスの働きがあることが分かってきました。

 

さらに、ウイルスによる遺伝子の伝播が進化にも重要な働きをしてきたということも間違いのないことのようです。

 突然変異と自然選択で進化が起こり新しい種が生まれてくると説明されてきましたが、どうもそれだけでは進化が進まないように見えました。そこにウイルスによる遺伝子の水平移動を考えると進化の速度というものも考えやすいようです。

 

北米の大西洋沿岸に住むウミウシの一種のエリシア・クロロティカという種は光合成をしてエネルギーを得ています。葉緑体を持っているのですが、それにエネルギーを供給する機構は緑藻の遺伝子から来ているそうです。

これも内在性レトロウイルスが持ち込んだ可能性があるそうです。

 

 

ウイルスの種類、数量というものは、これまでの病原体だけを考えてきた常識からは想像できないほど大きいもののようです。

研究されてきたのはヒトや家畜、栽培植物の病原ウイルスのみと言ってもよいほどでした。しかし、これらの動植物に関係するウイルスだけでも非常に多くのものがあり、さらに昆虫や雑草など研究の対象となってこなかった動植物のウイルスも多数存在します。

さらに、生物に直接寄生・共生するウイルス以外にも海水や淡水の中に存在するウイルス粒子と言うものが多数見つかってきています。

 

ウイルスと地球生命 (岩波科学ライブラリー)

ウイルスと地球生命 (岩波科学ライブラリー)

 

 

ウイルスの世界というものは、これまで知られていたものより遥かに大きいようです。

もしかしたら、ここはウイルスの地球であり、動植物はその中に存在させてもらっているだけかも。

「さすらいの仏教語 暮らしに息づく88話」玄侑宗久著

今、普通に使っている言葉で、その起源は仏教語であるというものがかなりあるということは知ってはいました・。

しかし、その意味が本来の仏教でのものと相当変化して現在使われていると言うものが多いようです。

それを著述をしながらも臨済宗住職である著者が列挙し、それについて簡単な説明を加えるという体裁の本です。

 

88の言葉が取り上げられていますが、有名なもの、知っていたもののあり、また初めて聞いたものもありました。

 

初めて聞いたと言う言葉をいくつか紹介しておきます。

 

☆分別 (ふんべつ・”ぶんべつ”では別の意味になってしまう)

 「分別ある大人」といった意味で使われるのが普通のようです。

しかし、仏教語としての本来の意味から言えばこれも使い方が変化してきたものです。

仏教では、「分別」というのは良い意味ではありません。

凡夫がしてしまう、間違った判断のことを「分別」と言います。

したがって、分別を乗り越えた「無分別」の状態が悟りに近いものとして求められています。

現代の社会で言われる「分別」「無分別」は逆の感触を持っているようです。

 

☆台無し

この「台」とは、本来は仏像が置かれる台座のことです。

通常は仏像本体と台座と一体のものとして扱われますが、火事に遭遇したりすると仏像のみを持ち出すということもあります。

この「台座なし」の仏像というものが、いかにも情けないものに見えるそうです。

おそらく、高さが低くなり視線が下がるせいだと思いますが、やはり仏像は少し見上げる角度で有難く見えるように作ってあるそうです。やはり台座なしは「台無し」ということです。

 

☆藪と野暮

藪医者の「藪」、野暮天の「野暮」ですが、これはもともと同じ起源であり、中国で田舎の占い師のことを「田野の巫師」略して「野巫」と称し、それが日本に伝わり「藪」と「野暮」の祖先となったそうです。

 

☆言語道断

現在の使われ方では、「もってのほか」のことを呼ぶことが多いのですが、本来の意味は「言語で言う(道は”言う”の意味)ことが難しいほど不可思議な仏法」のことを褒め讃えた言葉です。

それがなぜか意味が正反対に移ってしまいました。

 

 言葉というものは、うつろいやすいものということでしょうか。

「日本を再生! ご近所の公共哲学」小川仁志著

著者の小川さんは商社勤務やフリーター、市役所勤務を経て高等専門学校の教授となったという、変わった経歴の方です。

現在は、高専で教えながら地域での活動ということで「哲学カフェ」なるものを開いて、自分たちの周囲に密接に関係のある問題を自ら考えるということを広める活動をされています。

 

本書第6章に触れられているように、現代はインターネットを使わない人は居ないと言えるほどネット社会になっていますが、そのために特に若者の間に「ネット頭」というようなほとんど自分で考えるということ無しに、全部ネットで検索して済ませようという人たちが増えてしまいました。

学校のレポートも「コピペ」で済ませようというのですが、さらにテレビを見るときもスマホでネットの書き込みを見ながらでないと番組を見ることができないという人も居るそうです。

 

このような「ネット頭」は確実に思考力を侵食しているとしか言えません。

そこで、自らの頭で考える「哲学頭」養成のために「哲学カフェ」という活動を始めたということです。

そこで考えることは、哲学という語感から思いやすいような「人間どう生きる」といったことばかりではありません。

地域社会をどうするかといった、身近な話題から考えていくことも哲学であるということです。

特に、著者の住む山口県などでも地方の衰退ということが大きな問題となっています。これに対処するように考えていくのも哲学だそうです。

 

もちろん、それらの問題に対しての解決策を討議するということもありますが、それ以上に狙いとしては「思考力の向上」「プレゼンテーション能力の向上」「コミュニケーション能力の向上」「哲学に関する知識の習得」「純粋に哲学を楽しむ」というものだそうです。

 

そのためか、本書前半に書かれているその討論内容と言える部分はややつながりがわかりにくいものでした。

「公と私は対立するか」「エリート民主主義は克服できるか」「共同体について」等々、これらも哲学カフェで取り上げられた討論内容であるならば理解できます。

 

最後に付録として「哲学カフェマニュアル」なるものも付けられています。しかしどうも著者の一番言いたかったところはこのマニュアルを活用し、哲学カフェをあちこちで開催してねということだったようです。

 

日本を再生!ご近所の公共哲学 ―自治会から地球の裏側の問題まで (生きる技術!叢書)

日本を再生!ご近所の公共哲学 ―自治会から地球の裏側の問題まで (生きる技術!叢書)