爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「なぜ、あなたの料理はちょっとマズイのか?」小田真規子著

著者の小田さんは料理研究家としてこれまでにも料理初心者の指導といったことをしてきたそうなのですが、どうもそういった人たちは共通して何か抜けているところがあるようです。

基本中の基本といったところで、これまでの指導書などにはそこまでは触れないというものが多かったのか、その部分がいい加減のままやってしまうので出来上がりも何か変というところが多かったということです。

 

そこで本書は編集者のオギさんが著者の小田さんの指導を受けながら料理に挑戦していくという体裁になっていますが、おそらく実際にこういった状況でオギさんの料理の仕方を見ながら書き進めていったのではないかと思います。

 

野菜は洗い方にも基本があるということで、それをいい加減にジャーっと水で流して終わりでは上手く行かないのも当然でしょう。

野菜の水洗いには水分補給という意味もあるのでよく洗ったらしばらく水に漬けることが必要な場合もあります。

また「肉を常温に戻す」というのもいい加減になりがちで、勢いでエイヤとやろうとしてしまい、肉を冷蔵庫から出しておくなどと言う手間も掛けず、出したらすぐに料理に掛かるために肉の温度の入り方がバラバラになります。

「まずフライパンを温める」ということもその意味を考えずに行うため、ちょこっと10秒ほど火にかければもういいやとなります。

 

フライパンも使い慣れたものを何年も使い続けるということがあり勝ちですが、現在のフライパンはコーティングがされており、それはやはり徐々に落ちていくのでそれほど長くは使えないそうです。

こういった道具への気配りも初心者はなかなかできないのでしょう。

 

私も時々料理はしますが、こういった常識以前の知識もないものが多いのか、いつまでたっても初心者を抜け出せません。

 

 

早くも国会圧倒多数の慢心、自民党党大会で現職自衛官に君が代を歌わせる

ちょっと国会で議席が多くなるとすぐに出てくるのが与党の慢心です。

自民党の党大会で現職自衛官が制服で出席、君が代を歌わせるということをやりました。

agora-web.jp

防衛大臣や首相はこれは法律に触れていないからよいなどと言っているそうですが、明らかに自衛隊法抵触でしょう。

 

しかし法律はすべて政府の都合の良いように作られていますから、そんなものに触れようが触れまいが何の言い訳にもなりません。

 

「そんなことをして恥ずかしくないのか」というのが最低限の判断です。

それを失ったら政治家というだけでなく人間としても終わりでしょう。

 

「あねのねちゃん」梶尾真治著

梶尾さんの小説はいくつか読んでいますが、様々なネタを使いそれを人々の細やかな生活に混ぜ込みながら独特の世界を作り上げていくように思います。

この小説ではそれが「イマジナリーコンパニオン」というものでした。

 

イマジナリーコンパニオンとは、特に幼児期に多いようですが、空想の友達を作り出しそれが実在しているかのような幻想を持つというものです。

幼児が他の人には見えない友達に話しかけたりするという行動を取ることがあるのですが、それが実生活における問題からの逃避の意味もあり、それで何とか精神的安定を保つということもあるようです。

 

この小説では主人公の女性玲香が子どもの頃から「あねのね」という友達と付き合うことで孤独な少女時代を過ごし、そして大人になってからしばらく会っていなかった「あねのねちゃん」に再会するのは彼女が極めて厳しい状況になったからということです。

 

なお、さすがに梶尾さんで、単なるイマジナリーコンパニオンの話だけではとどまりません。

それであれば、一人の人物の空想だけの存在であるはずが、実際に他の人々の状況を大きく変え、彼女に悪辣な仕打ちをした人物は破滅させられます。

そこにはもう一つの重要な要素が影響しますが、それが解決されるのは話も最後になってからのことでした。

 

そしてそれは玲香に辛く当たっていた実母にも大きく影響しており、実際の母親は違うものだったというところまで行ってようやく解決です。

 

まあかなり不思議な読後感となった小説と言えるでしょう。

 

 

夢の話「クラス会に出席しようとする」

今でも時々昔の学校時代の同窓会などが開かれており、できるだけ出席したいと思ってはいるのですが。

 

夢の中で、大学時代のクラス会が開かれることとなり、出発しようとしています。

私が住んでいるのは神奈川県の実家のようです。

会場は東京渋谷。

電車で行けば1時間半くらいかかりますので、それに合わせて出発しようとしています。

 

しかしいざ出ようということになって、あれ、会場の名前はなんだっけ。と思い当たってしまいます。

あわてて開催連絡のハガキを探しますが見つかりません。

たしか「AI(アイ)」という名前の店だったような気がしています。

そういえば前回のクラス会会場もそういった名前だったような。

しかしそれは渋谷ではなく神田あたりだったのでは。

決め手もなくハガキも見つからなければどこに行って良いのか。

仕方なく今回も出席のはずの友人に電話して聞こうかと。

しかしE君もT君も携帯の電話番号を聞いていなかったと思い当たります。

もう始まる時間まで1時間ほどとなりどうしても電車に乗らなければ間に合いません。

どうしようどうしようと焦りながら目が覚める、といういつもの夢パターンでした。

 

それでは夢と現実の話。

今でも高校時代と大学時代の同窓会は時々開かれています。

どちらも東京か神奈川なので、熊本から出ていくのは飛行機となり費用の面で大変なのですが。

昨年は高校の同窓会に出席しましたが、今年はどうするか。

高校の方は学年全体での開催のため出席者も100名以上で会場も限られているのですが、大学時代の方はクラスだけなのでせいぜい10名ちょっと。

そのため毎回普通の飲食店での開催となるのですが、幹事役のなじみの店といったことになり、東京都内あちこちで開かれますので、店の場所を探すのが大変というのはいつものことです。

それにしても開催案内がハガキというのはもう相当以前の話になってしまいました。

今は当然ながらメールなどで連絡が来ますので、ハガキを無くして慌てるということもなくなりました。

LINEで連絡ということもありますので、写真などの共有も簡単になりました。

そういった同窓会、いつまで続きますやら。高校の同窓会の学年幹事だった人は昨年逝去してしまいました。代わりに誰かが受け継いだはずですが。

 

「すでに7か国が再エネほぼ100%を達成」というプロパガンダ記事

GIGAZINEというニュースサイトに載っていた記事です。

表題はセンセーショナルなものかもしれません。

gigazine.net

電力供給のほぼ100%を再生可能エネルギーでまかなっているという国がすでに7か国あるということです。IEAとIRENAの発表したデータということですので、嘘ではないでしょうが。

 

このブログでも何度も書いているように、再エネでも太陽光発電や風力発電というのは安定性が非常に悪く、特に現代のようにIT化などで高度に安定した高品質の電力供給が不可欠な場合には使いにくいものです。

 

その7か国というのがアルバニアやアイスランドなど。

そこには何かカラクリがあるのではと思いました。

そこで知識だけはあるChatGPI頼り。

結論から言うと、「条件付きでは可能だが、一般化できる話ではない」です。
そしてその「7か国」という話は、多くの場合かなり誤解を招く形で語られています。


■ まず「再エネ99%」の正体

この手のデータは、多くの場合
👉 「発電量に占める再エネ比率」
を指しており、

  • 最終エネルギー消費(交通・暖房・産業含む)ではない

  • 安定供給できているかは別問題

です。

つまり「電気はほぼ再エネ」でも

  • ガソリン・ガスは普通に使っている

  • 電力の安定性は別途工夫している
    というケースがほとんどです。


■ なぜそんなことが可能なのか

代表例の アルバニア を含め、こうした国には共通点があります。

① 水力発電が圧倒的

  • 山が多く降水量が多い

  • ダムで調整できる(=蓄電池の役割)

例:

  • アルバニア → ほぼ水力100%

  • ノルウェー → 水力主体で90%以上

👉 つまり「風力・太陽光でやっている」わけではない


② 国が小さい・電力需要が小さい

  • 人口が少ない

  • 重工業が少ない

例:

  • アイスランド
    → 人口少・地熱+水力

👉 大規模工業国とは条件が違いすぎる


③ 電力の輸出入で調整

  • 足りなければ輸入

  • 余れば輸出

例:

  • バルカン諸国は相互に電力融通

👉 「国内だけで完結」ではない


④ 気候・地理に強く依存

  • 水力 → 雨が降らないと詰む

  • 実際アルバニアは渇水で電力輸入が急増した年がある


■ 「7か国」の典型例(だいたいこんな顔ぶれ)

よく挙げられるのは:

  • アルバニア(水力)

  • パラグアイ(巨大水力)

  • ネパール(水力)

  • アイスランド(地熱+水力)

  • エチオピア(水力)
    など

👉 共通点はほぼ「水力国家」


■ では日本や大国でも可能か

ここが一番重要ですが、かなり厳しいです。

理由:

● 水力だけでは足りない

日本(日本)は

  • すでに水力は開発し尽くし気味

  • 電力需要が大きい


● 風力・太陽光は不安定

  • 出力が天候依存

  • 大規模蓄電が必要(現状コスト高)


● 産業構造が違う

  • 製鉄・化学・半導体などは安定電源が必要


■ よくある誤解

この話が広まる理由は:

  • 「再エネ=太陽光・風力」というイメージ

  • 「水力の存在を意図的にぼかす」

  • 「電力とエネルギー全体を混同」

👉 結果として
「どの国でもできる」ように見せる議論が出てくる


■ 現実的なまとめ

  • 水力中心なら「電力99%再エネ」は成立する

  • ただしそれは
    👉 地理・規模・産業構造に強く依存

  • 大国や工業国で同じことをするのは別問題


 

非常に分かりやすい説明がされています。

まず、電力100%といってもエネルギー100%ではあり得ない。

これも何度も強調していますが、電力化率が低ければその電力が100%再エネであっても他で大量の化石燃料を使っていることはあり得ます。

さらにいずれも小国で電力消費量も少ない。

多くの大国の状況とは全く異なる。

 

そして最大の要素は、そのほとんどが「水力と地熱」だということです。

そういえば挙げられている国の中でもアイスランドは地熱で有名、アルバニアなどもほぼ水力で賄えるとか。

 

再エネといっても水力・地熱と太陽光発電・風力ではその性格が全く異なり、水力・地熱発電はかなり高い安定性を持っています。

 

結局、当然すぎることを言っているだけのものですが、その記事の書き方は完全にプロパガンダというよりほかないような雰囲気です。

 

水力と地熱発電が化石燃料を(発電時には)あまり使わない(ただし建設工事などには大量に使う)のは事実です。

しかしそれができるところは限られており、世界の他の多くの地域にとってはほとんど参考にもなりません。

 

冒頭の記事は執筆者署名もありませんが、そういった事実を理解したうえで書いているならその認識は問題と言えるでしょう。

 

 

江戸時代初期まで八代は国際貿易の拠点だった。新たな文書発見

熊本大学永青文庫研究センターと八代市博物館未来の森ミュージアムが共同で、かつて八代城を預かっていた松井家の文書の解析が進められていますが、その中で江戸時代初期の鎖国前まで海外の貿易をおこなっていたという文書が見つかったということです。

kumanichi.com

八代は戦国時代には支配者が入れ替わる状況でしたが、16世紀半ばまで支配していた人吉の相良氏の時代には海外へ進出した商人がいたことは分かっていました。

その後、江戸時代に入ってからの活動は不明だったのですが、現在熊本大学と八代市博物館が共同で進めている松井家文書の解読の中で、鎖国になる寸前まで海外に進出していた商人がいたということを示す文書が見つかったということです。

 

当時は徳淵の津というところが商人の拠点だったのですが、そこの町頭であった森与次右衛門という人物は鎖国前まで海外に10年以上居住し貿易をおこなっていたということです。

森家はそれ以前の相良氏支配下でも商人として活躍していたことが分かっており、それがその後支配者が変わっても続いていたのだとか。

 

八代の貿易は長崎からの中継だと言われていましたが、直接海外にも手を伸ばしていたということなのでしょう。

 

少子化が進んでいるのはなぜか

少子化がどんどんと進んでいる一方、その対策がなかなかできないままです。

その原因についてYoutuberのすあし社長という人が書いた本を元にした記事が出ていました。

gendai.media

日本では「子どもを持たない」ということが合理的になってしまったということです。

その根本原因を、職業の不安定化、ジェンダーギャップ、そして教育費の高騰(公的扶助の欠如)としています。

 

しかしそのような条件というものはこれまでの歴史の中で前時代の方がはるかに厳しかったはずです。

それでも子どもを産み続け、しかし多くの場合は幼くして死亡していきました。

そういった時代の条件を考えていく必要がありそうです。

 

日本の道徳や宗教というものは独自のものもありますが、多くは中国の影響を受けました。

それを儒教的道徳ということもありますが、実際には儒教が確立した中国戦国時代よりはるかに昔から中国の地に生きた人々に信じられてきたものです。

その根源が何かというと、「祖先を祀る」ということです。

そしてそれは血統を継いだ男子が行うものとされていました。

この点はそれを受け継いだかのようにみられる日本とは大きな違いがあります。

日本では血統をつながない養子でも家を継ぎ祖先の祀りを行うことができました。

それは中国では認められず、男子が継がない家は絶え祖先は妖鬼となりました。

そのためか、中国では男子誕生がより強く求められたため、家を守る必要のある富家では多くの妻妾を持つこととなりました。

 

そのため、祖先を祀ることを継続し、やがてはその祀られる祖先の一人として自分自身がその中に入ることが当然であり、子どもを産むこと、それも男子を設けることが必須でした。

 

日本ではその規範がやや崩れてしまったかのようですが、それでも子どもを作り家を継がせることは道徳の基本でした。

そのような道徳は今は全く残っていません。

先祖の祀りなどということも意識する人はどんどんと減少しています。

そうなれば、子どもを作るかどうかということは「経済的」に考えるという人も増えてくるでしょう。

そんな中では「経済的勘案」で子どもを持たないという選択は当然あり得ます。

 

もう一つは「親自身の経済的事情」でしょう。

上記のような中国伝来の家というものを守る規範という以外に、家というものが前代までは経済の基盤でした。

公家、武家などではもちろん家、一族というものが政治的経済的集合体であり、それを血縁で守っていくことは当然でした。

それ以外にも農業、商業、工業等々の産業を支える人々も家、一族単位での操業が当たり前。それを離れると何もできないことになりました。

その中では一部に血縁外の使用人が入ることはあっても主要部分は血縁の人々で占められていました。

このような団体が存続していくためにも血縁である子どもを産んでいくということがその団体を維持していく必須条件でした。

そこには子どもを作らないという選択肢はありませんでした。

 

そのような経済構造は明治以降どんどんと崩れていきましたが、就業が個人単位となってもやはり家族一族の一体性というものは簡単には意識の中から消えることはなかったのでしょう。

特に家族の中で働き手が男性家長一人という労働形態では家長が養う人、それ以外は養われる人という身分制だったのでしょう。

(一家単位の業務形態の農業商工業ではそれとは異なりますが、支配層の意識が広まったのでしょうか)

そこでは働けなくなった老人は隠居という形で支配権を譲り、養われる側に移行しました。

隠居を養うのは次の家長の当然の義務でした。

それが家としての職業でなくとも、個人的就労であっても簡単には家意識が無くなることはなかったのでしょう。

 

しかし現代では家単位の職業というものはほぼなくなってしまいました。

農業や小売業、家内工業でも子どもが職業を継ぐこともほとんどなく、自由に進路を選択するのが普通かのようです。

そうなれば子どもが親の代わりを受け継ぐという意識もなくなり、勝手にやりますということになるでしょう。

そして、ここに冒頭に挙げた意見の「給与水準の低下」がようやく絡んできます。

子育て世代の収入充実などということは言われますが「親介護世代の収入」にはほとんど意識が向きません。

親世代は勝手に自分の年金や貯金でやっていけというのが通常の道徳となってしまいました。

国民年金だけしかない人はほとんど自立は不可能ですが、それでも親を子どもが援助するというのが普通ではなくなっています。

 

現代の老親世代を見ている現役世代がどう思うでしょう。

もはや自分たちがやっているように、親の面倒を見るなどと言うことは期待できなくなれば、自分たちも子どもを産み育てて余計な金を使わずにせっせと自分の老後に向けて貯金し投資して財産を増やしておく方が確かな事ではないか。

 

こういった全世代の意識の方向性が高まれば、どう転んでも少子化は進むばかりでしょう。

その対策?

年金というものを全く廃止するか。

そうなれば子どもが親を世話しなければ親世代は貯金が絶えれば生活できません。

まあ今さらそんなことを言っても変えようもありませんが。

もう日本なんて大地震で滅亡するか、何とか有事に巻き込まれて滅亡するかしか残されていないのかも。