爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「遊楽としての近世天皇即位式」森田登代子著

ちょうど天皇の譲位があり、即位式などが話題となっている時ですが、本書はそれには関係なしに江戸時代の天皇即位式について書かれているものです。

 

著者の森田さんは、江戸時代の明正天皇の「御即位行幸図屏風」に出会ったときに衝撃を受けます。

その図に描かれているのは、御所の南庭で多くの庶民が即位式を見物しているというものです。

重箱や酒器を抱えた女性や、仮眠をしている女性、そしてなんと胸をはだけて子供に授乳をしている女性も描かれています。

今の(明治以降の)天皇即位式などというと、最高に厳格な儀礼であるというのが常識でしょう。

しかし、どうも多くの庶民が物見遊山のように即位式に出かけているような図に、天皇即位式というものを調査しようということになりました。

 

このような、天皇即位式の変遷を調べてみようとしたのですが、実は明治以降の方が制限が多く、簡単には触れられないようになっていました。

平安時代から江戸時代まで、1000年近く続いた天皇即位式と、明治以降のそれとは大きな断絶があったのです。

天皇制の強化は明治維新以降に徐々に強まっていたのでしょうが、すでに天皇即位式の変革は明治天皇のそれ(慶応4年)から始まっていました。

明治天皇みずから、古来の典儀に代えて「古礼に則って新儀を加える」と希望しました。

それまでの(江戸時代までの)典儀は多くは唐制の模倣であるという認識で、新たに「皇国神裔継承」の規範を立ち上げるというものでした。

そのため、中古以来の唐制礼服も廃し、唐風装束は一掃され、束帯と衣冠のみの和様に統一、出席者も政府高官、外国要人のみとして一般人は遠ざけられました。

このように、現在の感覚でみる即位式はその時に作り上げられたものだったのです。

 

戦国時代の混乱の中では、天皇即位式も大掛かりに行うこともできなかったのですが、江戸時代になりようやく落ち着いてきました。

さらに、幕府との関係も改善されると、天皇譲位の際には幕府からある程度の費用が出され、儀式も実施が可能となっていきます。

 

なお、江戸時代の天皇即位でも、庶民でも見ることができた部分と、誰も見てはならない部分があったのは事実で、それは「見せつける」儀式と「見てはならぬ」儀式と分けられます。

天皇即位式は庶民にも見せつける儀式、剣璽渡御などの秘儀に属する儀式は「見てはならぬ」ものでした。

 

この本では、庶民との関わりも深かった「天皇即位式」について、各種の史料に現れたものを描いていきます。

 

 1557年の正親町天皇の即位は、まだ戦乱の世の只中であり、ほとんど儀式らしいものもできないようなものでした。

その後、秀吉により戦乱が収められるとようやく天皇即位式も落ち着きを取り戻していきます。

さらに、江戸幕府との関係が改善すると幕府からの祝い金も出され、途絶えていた儀式の備品新調もまた実施されるようになります。

こういった品々を見るということも庶民の楽しみになっていきます。

 

皇室や公家が即位にまつわる儀式を組み立てていく変遷を見るというのも歴史研究としては興味深いものでしょうが、著者がもっとも興味をひかれまた本書で書きたかったのは、庶民側からみた即位式への視点だったようです。

京都の町内に出された町触でも庶民への連絡が為されました。

これには、即位式を知らせるというよりは、音曲などを禁止したり、特に厳しく火事の防止を命ずるという意味も強かったのですが、即位式を見に来ることを僧尼や剃髪した隠居などに禁じるという内容もありました。

ただし、厳密に守られては居らず、僧が入り込んでいたという記録もあるようです。

 

民衆が集中して押し合いとなり、死者まで出たこともあるとか。

これはあまりにも忌むべきことと思われ、その後は入場券を配り人数を制限したようです。

それでも、天皇の姿を間近で見るというわけには行かず、やや距離を置いてだったとか。

と言っても、庶民は遠ざけられた明治以降の即位式とは全く違ったものであったようです。

 

遊楽としての近世天皇即位式

遊楽としての近世天皇即位式

 

 つい最近、今回の天皇即位式の光景が報道されたものを見たばかりですが、その衣装など見ても、「これはいつ頃の風俗なのか、さほど古くもないだろう」と感じていました。

しかし、なんと明治以降に決められたものだったとは。

そんなことは報じられることもないでしょうが。

 

 

イギリス駐米大使が、本国への極秘公電で「トランプは無能」と報告した件にトランプ反撃

イギリスの駐米大使が、本国への報告で、「トランプは無能」と書いたことが漏洩してしまい、どうなることかと思っていたらトランプの反撃が始まりました。

www.excite.co.jp何をするかと思えば、大使とは「絶交」ついでにイギリスのメイ首相もボロクソにけなすという、予想通りの態度です。

 

まあ、「大人の対応」などというものとは対局にある人ですので、こんなものでしょうが。

 

それにしても、これを報じる報道で、英大使が「トランプを無能呼ばわり」とか「トランプを酷評」と書いているものがありますが、これはあくまでも極秘の母国向けの公電であり、公開などはまったく考慮していないものです。

それをきちんと評さなければいけないでしょう。

 

このような極秘扱いのものがなぜ漏洩したか、そこにも問題がありそうですが、これが「アメリカの国家機密の漏洩」と書いているところもありました。

トランプが無能なんて、国家機密でもなんでもなく公知の事実でしょうが。

 

7payでの大失態はセブンイレブンの経営の劣化によるものか

完全な準備不足とセキュリティーの認識不足にも関わらず、他社との競争心だけで始めて、すぐに大きな不正を誘発してしまった、セブンイレブンの7payについて、ITmediaビジネスオンラインというところで、窪田順生さんという方が書いています。

headlines.yahoo.co.jp不正アクセス問題の謝罪会見に出てきた株式会社7payの社長は、記者からの「二段階認証」についての質問に答えられなかったそうです。

 

経営者が自らこのような技術的問題についての質問に完全に答える必要はないという声もありますが、窪田さんの記事ではそこも明確に解明しています。

 

すなわち、このような謝罪記者会見において、聞かれるような内容は想定して応答も用意しておくべきであり、それができていないのは取材記者、ひいては顧客や社会がセブンの何に問題を感じているかということを想像する能力が欠如しているからだということです。

 

そして、これは少し前に問題として噴出し今もくすぶり続けている「24時間営業の可否」にも表れているところです。

もうぎりぎりの状態になっているオーナーたちの苦境に、社会も注目しているのが明らかであるにも関わらず、セブン全体の経営のことばかりが頭の中心にあるということが、端々に感じられるそうです。

 

これはどうやら、セブンの経営姿勢そのものに原因がありそうです。

コンビニ業界ではトップのセブンイレブンですが、かなり危ない面もありそうです。

「文豪の凄い語彙力」山口謡司著

日本語にも同意語というものが多数存在しますが、それらは完全に同意であるということはなく、微妙にその意味や使用法が異なるものです。

文豪と言われる、多くの作家たちはそのような同じような意味の言葉を、それでもしっかりと使い分け、さらにこのところしばらく使われていなかったような言葉でも使ってその作品を仕上げているということが多いようです。

 

この本では、明治以降の文豪と言われる作家たちが、ちょっと一般に使われている言葉とは違いものを使ってその作品とした例を挙げ、作家たちにとって一般的に流通している言葉とは少し違う使用例を確立していったところを描いています。

 

なお、その「言葉に焦点を合わせる」方向性は一緒としても、やや違う使い方をしている場合等、タイプごとに分けて例示しています。

 

「糖衣を脱いだ地声」という文を、幸田文さんが使っています。

来客と思えた来訪者が、女中の募集にこたえて来たものだと知った途端、作り声は捨てて地声に戻ったときの描写ですが、それまでの未知の来客用の少し作った声質の言い方を、すぐに捨てていつもの地声に戻った様子を描いたものです。

「糖衣」とは、薬などでも見かけますが、苦い本体を隠すために砂糖の層を付着させるというもので、「糖衣錠」といった言葉ではよく見かけるものです。

しかし、これを来客用の作り声に使った幸田さんの用法は独特かもしれません。

なお、最近では「オブラートに包む」という方が普通かもしれません。

ただし、「オブラート」自体すでに死語に近づいているかも知れませんが。

 

吉川英治が里の低いながらになだらかな山を「秀雅な山」と表現しています。

明治期までは雅な文章表現を「秀雅」と表現することもあったようです。

今ではあまり使われなくなってしまいました。

なお、「雅」を使った言葉で「雅致」というものがあります。

現在では、相撲やプロレスなどの真剣勝負のことを「ガチ」と表すことがありますが、それとは全く逆の意味を著します。

ちなみに、「雅致」の発音は鼻濁音のng音から始まり、「ガチ」の尖ったG音とは発音もまったく異なります。

なお、江戸に鼻濁音以外のG音が入り込んだのは、天明の大飢饉のときに東北から多くの人が江戸に逃げてきたときからだということです。

特に銭湯で客の背中を流す三助が東北出身者だったとか。

彼らが、鼻濁音が発音できずにG音ばかりだったそうです。

 

 宮本百合子の「前進的な勢力の結集」には、「左袒」という言葉が出てきます。

中国の前漢の時代に劉邦亡き後に呂后専制の時代があり、呂后が死去した後に呂氏を一気に葬り去ろうとした周勃が、旗揚げをしたときに「呂氏につく者は右袒せよ、劉氏につく者は左袒せよ」と迫り、全軍が左袒したという故事から、「味方になる」という意味に使われます。

「加担」という言葉に近い意味ですが、加担では積極的に手を貸すことまで含みますが、左袒では力を貸すまで至らなくても味方になることを表明するだけでも可です。

 

本書では、このような数々の言葉を、それに使われている文字の原義にまでさかのぼって解説されています。

それらの言葉を使った文豪たちがそこまで詳細に考えて使ったかどうかは分かりませんが、同義語でも微妙な意味の差がある場合が多いので、心して使いたいものです。

 

文豪の凄い語彙力

文豪の凄い語彙力

 

 

 

水俣病救済特別措置法成立から10年、まだ救済には程遠い

水俣病救済特別措置法が成立して、7月8日でちょうど10年だそうです。

熊本のテレビでは報道されていましたが、全国ではどうだったでしょうか。

水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法

 

これがどういうものかと言うと、1950年代から発生が知られていた水俣地区の病気がメチル水銀によるものであり、チッソ(当時は新日本窒素)の排水に含まれる水銀が原因とわかったのが1960年代、そして、水俣病と認定する基準ができたのが、1971年でした。

水俣病 - Wikipedia

しかし、この認定基準は条件が厳しすぎるもので、それで認定された患者はわずか3000人弱に過ぎません。

そのため、認定に漏れた患者たちが国やチッソを相手取っての裁判が続けられてきました。

その人々に不十分ながらも給付をするというのが、1995年村山内閣のときの和解案でした。

12000人以上の人に一時金が支払われました。

 

しかし、それでも救済をされなかった人々が多かったために、さらに裁判が続けられました。

その救済のために2009年に作られたのが救済特別措置法だったわけです。

 

しかし、この特措法でも認定されない人たちがまだ残っています。

その人達の起こした裁判がまだ続いています。

 

水俣病が知られるようになっても、それがメチル水銀によるものだということが確定するまでには長い年月がかかったということは多くの記録に残っています。

それがなぜかということも記録されており、会社や国などが多くの金と人を注ぎ込んで責任逃れと先送りに終始したことが明らかにされています。

しかし、その後の患者の救済と補償も極めて乏しいものでしかありません。

 

それにしても、不十分としか言えない未認定患者救済ですが、それでもそれを実施できたのは村山内閣と、民主党内閣の時だけだというのは偶然ではないでしょう。

このような最低限の処置でも自民党ではできないということなのでしょう。

いろいろと考えさせられる日でした。

 

 

 

「世界が動いた『決断』の物語 新・人類進化史」スティーブン・ジョンソン著

「人類進化」という文字に惹かれて読みましたが、あまり進化には関係ないようです。

 

最後の章に書かれているように「学校で過ごした長い期間で、意思決定そのものを教える授業はひとつも記憶にない」そうです。

アメリカでもそうでしょうが、日本でもまったく私も記憶にありません。

 

これほど大事な「意思決定」ですが、それについてバラバラに研究する分野はあっても、たいていが経営や方針立案に留まっています。

 

そんなわけで、古今の意思決定が行われた史実をめぐり、マッピング、予測、決定、選択という過程を解説し、よりよい意思決定を可能とできるようにしようというものなのでしょうか。

どうも、それについて効果的な解説は無かったような気がします。

 

取り上げられている史実としては、ダーウィンが結婚すべきかどうか迷ったこと、ビンラディンの隠れ家を突き止めた時にオバマが突入するかどうかの決定、アメリカ独立戦争でワシントンがニューヨークを守ろうとしたこと、などが取り上げられています。

オバマの選択は聞いたことがありますが、他の例は知りませんでした。

 

これらについて、様々な関連事項を地図のように並べてみる(マッピング)、そしてそれぞれがどのように進行するのか予測する、そしてそれらをふまえて決定する、といった手続きで進めるということです。

まあ、そんなものでしょうというところで、それほど目新しい方策があるわけではないようです。

 

 

アメリカでは市民による陪審員制度が長い歴史を持っていますが、その構成人員と決定結果を調べた研究があるそうです。

すると、白人の中年男性ばかりといった同質の集団より、人種・年齢・性別・社会階層等が異質で多様なメンバーを含む集団の方が、正しい容疑者を特定する回数が多かったそうです。

そのような多様な集団では、どのメンバーも取り調べの評価から決定に至るまできちんと思考し、討論するということが見られ、同質集団ではそれがおろそかになりがちだとか。

 

人間の脳の働きを研究する場合に、「安静にして何も考えずリラックスして」と指示したのですが、結局誰も「何も考えず」には居られないようです。

逆に、そういった場合に人間は何を考えるかを調査した研究があるのですが、それによれば、過去の出来事より将来の出来事を考える方が3倍多かったそうです。

 

将来の予測をするというのは難しいものですが、専門家や著名な知識人に将来の出来事を予測してもらうという調査が行われました。

長期(10年)の予測をするという課題を出したところ、専門家と言えどその予測は「つねに変化がないと考える」か「現在の変化率がずっと続く」でしかなかったそうです。

長期の予測を立てることについては、専門家と言えどチンパンジーが投げるダーツを同程度でしかないとしています。

ただし、いくつかのグループだけは正解率が優位に高かったそうです。

それは、「自らの思想信条を中心に考えるグループ」と「現実的に考え様々な分析ツールを駆使するグループ」だったということです。

 

まあ、意思決定というものは大変なことですが、誰もそれをまともに考えたこともないというのが真実でしょう。

 

世界が動いた決断の物語【新・人類進化史】

世界が動いた決断の物語【新・人類進化史】

 

 

大雨など災害が予測される場合の「全員避難」、でも本当に全員避難所に来たらどうするつもりか。

先週の豪雨で、危険な状態に達した鹿児島などでは、「全員避難」の避難指示や避難勧告が各地の自治体で出されました。

しかし、報道によると、鹿児島市でも全人口59万のうち、避難所に避難したのはわずか0.6%だけだったとして、問題視されています。

 

しかし、本当に、「全員避難」で避難所に全員が向かったらどういうことになるのか。

そんなことは、住民であれば誰でも簡単に想像できます。

避難所とされているのは、地区の公民館のような建物で、数百人も入ればもう一杯。

実際に、テレビ報道で避難所の様子として流されていたものでも、かなりの数の住民が避難していましたが、ほとんど横になることもできないほど混雑している様子でした。

全員避難であれば、その数十倍の人が押し寄せることになりますj.

 

ちなみに、私の住んでいる熊本県南の地方都市では、今回の豪雨では避難勧告も出ませんでしたが、もしものことを考え防災マップなどを参考に避難所の状況を調べてみました。

すると、私の住む校区に一次避難所は実質1箇所、公民館(今では名称は「コミュニティーセンター」としていますが、前と同じ建物です)だけです。

ところが、この地域の住人はこのところの住宅建設ラッシュで11500人を数えます。

公民館にいくら詰め込んでもせいぜい200人から300人程度でしょう。

あとの11000人以上はどうすればよいのでしょうか。

 

これについて、まとめているサイトがありました。

www.businessinsider.jp「ビジネス・インサイダー」というサイトに、西山里緒さんという方が書いています。

 

やはり、鹿児島の人でも全員が避難できる避難所はないと認識しているようです。

 

さらに、鹿児島市の担当者の言葉として、

災害救助などの業務を担う鹿児島市の地域福祉課によると、59万人に避難指示が出ているとはいえ、基本的に「自宅が安全だと感じる人は避難の必要はない」という。無理に避難所に移動することで、かえって危険な目に遭う可能性もあるからだ。

というものも出ています。

これが、まさにほとんどの人が感じていることだと思います。

 

ところが、避難勧告、避難指示は細かい地区の指定もなく「市内全域」といった形で出されてしまいます。

 

この点について、防災システム研究所の山村武彦所長(テレビで見たことがあります)は次のように語っています。

防災システム研究所の山村武彦所長は、この避難指示について「本来ならば、エリアを細かくしぼって(指示を)発表しないと意味がない」と苦言を呈する。「全域に指示を出したのは、いわば責任逃れ、アリバイ作りの側面も半分、あるのではないか」。

ここに、今回のような避難についての混乱の基があるのでしょう。

 

やはり、行政の責任逃れ体質が影響をしているようです。

 

ただし、危険な場所というのは間違いなく存在しており、がけ崩れや土石流などの起きる可能性がある場所ではたとえ昔から数百年崩れたことがなくてもいきなり崩れることがあるということは事実です。

そういった危険地域は速やかに避難することが必要で、しかもこの場合は2階建ての2階に逃げる程度のことでは被害を免れない危険性が大きいと考えられます。

 

問題は「河川の近く」をどうするかなのでしょう。

これには、昨年の西日本豪雨の際の岡山県倉敷市真備町の水害が大きく影響をしていると考えられます。

この地域で河川氾濫により51名もの犠牲者が出ました。

大雨による水害の被害といっても、最近は河川の堤防強化の成果もあり、堤防破壊による外水氾濫の被害というものは減ってきたのでしょう。

そのためか、それに対する警戒感が薄れていたというのが真備町の被害を大きくした要因だったと考えられます。

 

ただし、がけ崩れなどの土砂災害の危険地域はかなり絞り込むことができますが、河川氾濫、特に大きな川の場合はどこまでが危険かという線引きは難しくなります。

堤防の破堤箇所もその危険性がある場所は何か所もあるのでしょうが、それが少し違っただけで水の流れ方が大きく異なり、被害状況も変わってくるでしょう。

その危険性が大きければ、ある程度広い範囲に避難を呼びかける必要性はあります。

それでも、「市内全域」といった乱暴なことは混乱を招くものでしょう。

 

いずれにせよ、この問題には現状と災害の危険性を十分に考えた慎重な議論が必要です。

ここ数日のテレビ報道や新聞に溢れている「全員避難なのに、◯◯%しか避難しなかった」などという単純な数字の報道は何の役にも立ちません。