爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

やはり出てきた「安倍4選待望論」

それまでの自民党総裁2期までという規定をあっさりと覆し、3期まで可能とした上での総裁選で当選したという醜態を演じたのがまだ記憶にも新しい中、4期まで可能とするようなルール改定をやってしまおうという議論が早くも出てきました。

headlines.yahoo.co.jp

そこまで独裁を待ち望んでいるなら、「終身総裁」にでもなんでもしてしまい、同様の身分の金正恩と延々と争い続けていればいいんじゃないですか。

 

何度も書いているように、あのマヤカシの「アベノミクス」で一見景気が上向いているような幻を見せ、それに金の亡者の有権者が誤魔化されて票を入れ続けているのが、「安定」と勘違いして、安倍に代わる者がいないと思いこんでいるのでしょう。

 

しかし、安倍のマジックに対抗できるような真剣な政策議論ができていないのも事実であり、それができない自民党内の反主流派も、野党も同様に情けないのは間違いありません。

 

新しい日本のたどるべき道筋を示すことができなければ、そのための政策も作ることができません。

私が信じる、「脱エネルギー社会構築」は社会存続のための道筋となりうると思いますが、現行の経済も企業もほとんど廃棄せざるを得ないので、一般社会の同意などはほとんど得られないというのが残念です。

 

結局は、世界恐慌で日本国経済も崩壊するのを待つばかりなのでしょう。

 

”賀茂川耕助のブログ”を読んで No.1247 人類存続へ有機栽培転換を

今回の賀茂川さんブログは「有機栽培」への転換が人類の存続にも関わるという主張です。

kamogawakosuke.info現在の地球では多くの生物が次々と絶滅しており、賀茂川さんはそれに農薬などが関わっているため、有機栽培への転換が必要だと言うことです。

 

これには多くの自然の真実とそれを歪めた人類の行動があり、実現は難しいのかもしれません。

 

まず、「有機栽培」と言う用語ですが、これは英語でも「organic agriculture」ですのでこれを「有機」と訳すのは仕方がないのですが、ならば「無機農業」とは何かというと少し困ります。

無機化学肥料や無機農薬を使うから「無機農業」と言えるかということですが、あまりそういった使い方はしません。

 

ただし、世界的にも「有機農業」というものはほぼ定義が決まっており、化学肥料や農薬を使わない(一部のものは使用可能)ものを指します。

 

こういった有機農業は、確かに微生物や昆虫などを含む環境をなるべく撹乱しないという意味で推進されていますが、ヨーロッパでもまだそれほど多く実施されているわけではなく、日本ではまだ非常に少ない比率の実施のみです。

(宣伝されているものは非常に多いのですが、実際に有機農業として認定されているものは少数です)

 

有機農業の問題は、コストが高くなることと収量が減少することです。

現代の70億人に達しようとする世界の人口を支えるためには、有機農業の生産力では不足します。

まず、多くの病虫害により農産物の減収が避けられず、さらに化学肥料の不使用も生産量減少に直結します。

 

化学肥料の代わりに有機肥料を使うということになりますが、植物の栄養分を地中から取り去り、それを別の場所に農産物として移出したら、代わりに何らかの方法で戻さなければなりません。

実は、それはかつて日本などで行なわれていた「人糞堆肥の投入」なのです。

この代わりに畜産動物の糞尿などと言っても絶対量が足りません。

出したものはそのまま帰すということが守られなければ栄養分の循環もありません。

 

賀茂川さんは実際に自分でも農作業を行っているということですが、大きな栄養分の循環ということまで考えておられるのでしょうか。

 

完全な栄養分循環農業を可能とするためには、今のようなすべてが東京一極集中という社会では不可能です。

せめて数十万人程度の地方都市に別れ、堆肥も地域で循環させるような社会の実現が不可避でしょう。

 

新潟と佐渡を結ぶ高速船がクジラと衝突し負傷者多数

佐渡へ向かう高速船がクジラと衝突して多くの乗客が負傷したそうです。

news.livedoor.com

この高速船は時速80kmのスピードで走行しているということで、クジラなどを発見しても回避は不可能でしょう。

 

こういった事故は、九州と韓国を結ぶ区間でも時々起きているようです。

 

クジラに警告を与えるような音を出すと言った装置もあるようですが、クジラがそれを認知できるかどうかも不明ですし、せめての対策としては上述のように乗客にすべてシートベルトを着装してもらうしかないのでしょう。

 

たしかに、このような高速船の運行は旅のスピードアップという意味では非常に画期的なものですが、大型海洋生物のことを考えると危険も避けられないようです。

 

なお、例の捕鯨再開が日本近海でも始まるようでしたら、クジラも船の音を聞けば逃げ出すことになるかもしれません。

そうなれば事故も減るかも。

「発酵文化人類学」小倉ヒラク著

発酵食品といえば、なんとなく身体に良さそうといった捉え方が普通でしょうか。

しかし、多くの人にとっては、その内容については微生物が関係しているということは知っていても細かくは分からないものでしょう。

 

その、「発酵」について、「発酵デザイナー」と称する著者の小倉さんが非常にくだけた口調で語って説明しているのが本書です。

小倉さんは、大学では文化人類学を専攻し、世界各地を歩き回ったという経歴の持ち主ですが、デザイナーとして発酵会社と関わったところから発酵に興味を抱き、東京農大の研究生として発酵を学んだという方です。

説明口調は非常に軽い感じを受け、都会の若者たちの興味をひくようなたとえ話を連発するという、斬新な雰囲気を受ける本ですが、書かれている内容は非常に高度な生物学の基本に基づいており、間違いないようです。

(ただし、やはりそういった高度な学問内容を説明する部分は少し文章が硬くなります)

 

私のような、初老を通り過ぎようとしている人間にとっては分からない表現もけっこう頻出していましたが、まあ私などは元々著者の想定読者とは違うでしょうから仕方ないか。

 特に分からなかった文章が、参考図書の紹介で「静かにエモい名著」

そして、「日本酒業界関係者からするとパンク極まりない原則」

見当もつきません。

 

発酵の記述として面白かった点があるので紹介しておきます。

「スタンダード発酵」と「ローカル発酵」

世界各地で同じように行なわれているのが「スタンダード」で、パンやビール、ヨーグルトなどは立派に「スタンダード」を名乗る資格があるのでしょう。

それに対して、ごく狭い地域だけで享受されているのが「ローカル発酵」

発酵茶や熟れ寿司、キムチやブルーチーズも入ります。

その地域の人には愛される食品ですが、慣れない人にはちょっと抵抗がありそうです。

 

また、発酵の未来と人間の未来について語っている最終章は、フランスの文化人類学レビ・ストロースの意見をひいて語られています。

「冷たい社会」と「熱い社会」というのがそれです。

「熱い社会」とは、直線的に進化する社会で、常に現状に改良と変化を求めるという現代文明のパラダイムというものです。

それに対し「冷たい社会」は円環的に循環する社会、根本的な変化が起こらない未開社会というイメージです。

完全にどちらかに属するという人は居ないでしょうが、どちらかに偏るという人は居るのでしょう。

発酵で有用な食品を作っていくという作業はやはり「冷たい」方に属するようです。

 

発酵食品の造り手として紹介されている、日本酒、ワイン、醤油、味噌の例はどれも本格的に昔の作り方を意識してこれまでの大量生産品とは異なる製品製造を目指すものです。

その品質は個性的なものであり、その製法の意味を知るものにとっては貴重な製品と言えるでしょう。

ただし、値段が非常に高くなる(醤油の場合は普通品の約7倍)のは仕方のないことでしょうか。

 

この本の軽く若者向きの口調に驚かずに読める人にとっては分かりやすい本と言えるでしょう。

 

発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ

発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ

 

 

地震発生時の津波浸水予測地域に新築住宅 宮崎市の場合

NHKのニュースを見ていましたら、南海トラフ地震が発生した場合に浸水が予測されている地域に、新築住宅が多数建設され、人口が増えているという方動画ありました。

津波で浸水想定地区 半数近くで人口増 住宅新築も相次ぐ 宮崎 | NHKニュース

このリンクはおそらくすぐに切れるでしょうから多めに引用しておきます。

 

 

NHKは東日本大震災の発生のよくとしの平成24年と、ことしの、それぞれ1月時点での宮崎市の人口の変化を、行政上の区画、町や字ごとに独自に分析しました。

その結果、一部もしくは全域で津波による浸水が1m以上と想定されている76の地区のうち、47%余りにあたる36の地区で人口が増加していることが分かりました。

国は、浸水が1mを超える津波に巻き込まれた場合、ほとんどの人が死亡すると想定しています。

宮崎市南海トラフ地震が発生した場合など、津波が押し寄せることが予測されており、行政でもその浸水予測を発表しています。

しかし、NHKがそれらの地域の人口動態を調査したところ、多くのところで新築住宅が建設され人口が増加しているということです。

 

行政側は危険地域であっても住宅を建設するのは住民の自由だと言っているようですが、その反面、その地域に区画整理事業を実施し住宅地化を進めているのも行政のようです。

 

 

市の区画整理事業が新築を後押し

津波の浸水のおそれがある地区で住宅の新築が相次ぐ要因の1つになっているのが宮崎市区画整理事業です。

東日本大震災の8年前、平成15年に工事が始まりました。

それ以前には田んぼや畑が広がっていた地区に、最終的にはおよそ40万平方メートルの新たな宅地を作り出す計画です。

道路や公園の整備も進んでいます。

近くには大型のショッピングセンターがあり、整備された道路沿いに商業施設が建ち並んでいます。
 
東日本大震災のような災害は自分の街には関係ないと思っているのでしょう。
これは、住民も行政も同様のようです。
 

 

「歴史は実験できるのか」ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン編著

科学の多くの分野では「実験」というものが重要です。

物理学や分子生物学では、これが最大の課題解決の手法でありそれ以外の方法がない分野も存在します。

 

しかし、多くの科学の分野では「実験」が不可能と考えられています。

とくに、「過去」に関わる科学においてはそれが顕著であり、進化生物学、古生物学、疫学、地史学、天文学などでは過去を操ることはできません。

 

そういった分野で「科学を行なう」新たな手法として考えられたのが、「自然実験」あるいは「比較研究法」というものです。

これは、異なったシステム同士を統計的な分析を交えて比較するというものです。

疫学というものはすでに数々の成果を挙げていますが、これも「自然実験」の一種と見なすことができるものです。

 

このような「自然実験」というものを用いて、様々な歴史上の問題を解析していこうというのが本書です。

取り上げられているのは、ポリネシアの島々の運命、19世紀の植民地の比較、一つの島(イスパニョーラ島)の東と西がなぜ異なる状態になったか、奴隷貿易がアフリカに与えた影響、などのものです。

 

もちろん、このような自然実験という手法にも落とし穴が存在します。

実験を行なう研究者がまったく気が付かない要因が隠れており、その影響の方が実際は大きければ不適当な結果を出してしまうこともあるでしょう。

因果関係というものが実際は存在していないにも関わらず、あるように見えてしまうということも良くあることです。因果を逆に判断するということも起きます。

 

しかし、特に社会科学系の学問ではすでに自然実験という手法を盛んに用いて研究を進めて来ています。

経済学、政治学、心理学、考古学などの分野では多くの実績があるようです。

それに比べると歴史学の分野への応用はまだまだ進んでいません。

歴史学者の中にはこのような手法への抵抗感を強く持つ人も多いようです。

本書ではこのような自然実験という手法の実例を示し、その妥当性をアピールするという意味が強いようです。

 

ポリネシアの島々、ニュージーランド近海からイースター島、ハワイまでには、共通の先祖を持つポリネシア人が徐々に広がっていきました。

大航海時代になってクックなどの探検家がそれらを発見したのですが、その時点で島々の様相はすでに大きく異なる状態となっていました。

武力闘争が頻繁なところもあり、イースター島のようにすでに資源を使い果たし滅亡しかけていたところもあり、ハワイでは王政が機能していました。

これらは、もともとは同じ人種の文化も同じ人々が移り住んだものの、島々の物理的な状況に差があったために生まれた社会構造の差と言うことができます。

 

アフリカからの奴隷貿易というと、アメリカ大陸に向けてのものが有名ですが、それだけではなく各地に送られた奴隷が居たようです。

その総数は研究者によって諸説あるようですが、1200万人とも言われています。

奴隷が多く連れ去られた地域では人口の減少によりその後の社会の発展が阻害されたと言われています。

しかし、その事実を証明することは簡単ではありません。

まず、本当に奴隷とされた人々がどこから連れ去られたのか、それを明確にすることはかなり困難です。

それらの障害を越えて算出した結果を解析するとある程度はっきりした結果が出てきます。

奴隷を多く出した地域というものは、その当時では比較的発達した社会であったようです。

だからこそ、外部の商人と接触して奴隷貿易を行おうという動きも出てきました。

さらに、ある程度の人口があり、それら同士が内部抗争などをしているという段階でなければ戦争捕虜の奴隷化といったことも起きませんでした。

さらに、日常的に近隣住民を奴隷として売って金銭を稼ぐという行動も、それを知らなければ不可能でした。

つまり、ある程度発達した社会で、奴隷を作り出し商人に売り飛ばすという動きが活発になったとみなせます。

それが、アフリカ西部で顕著だったのですが、現在ではその地域はアフリカの中でも最貧困として知られています。これには奴隷化により人口減があったということ以外に、近隣の住民まで襲って奴隷化するという行動のために、モラルが低下して地域社会を発展させるという意志が崩壊したということの影響も強かったということです。

 

本書あとがきに、編者のダイアモンドとロビンソンがこの「自然実験」という手法についてのまとめを書いています。

説明された事例では自然実験という手法がきれいな結果を導いているように見えますが、そういう例ばかりではないようです。

さらに、同じように初期条件の違いや、撹乱の発生が起きていても、その結果がまったく同じになってしまったという事例も観察されるそうです。

なかなか魅力的な実験手法であると感じますが、まったく間違った結果を導き出す危険性も多いのではと感じます。

 

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

 

 

新元号決定のための「有識者会議」って何をするつもり

元号の決定まであとわずかとなりましたが、今回、その決定の手続きのための「有識者会議」のメンバーが発表されました。

www.asahi.com

iPS細胞の研究でノーベル賞も受賞した山中伸弥さんもメンバーに入っているとか。

他にも前経団連会長や前最高裁長官なども入り、広く各界の意見を聞くということのようです。

 

しかし、山中さんも医学界での業績は非常に優れたものですが、元号といった分野にも卓見をお持ちとは知りませんでした。

経団連会長や最高裁長官といった方々も、元号についてどのようなお考えをお持ちなのでしょうか。

 

選定をするという連中がだいたい数案に絞ったものを、「まあそれでいいでしょう」と言う以外の役割が何かあるのでしょうか。

 

またも、カッコだけのポーズ付け政治が見えています。