爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「歴史は実験できるのか」ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン編著

科学の多くの分野では「実験」というものが重要です。

物理学や分子生物学では、これが最大の課題解決の手法でありそれ以外の方法がない分野も存在します。

 

しかし、多くの科学の分野では「実験」が不可能と考えられています。

とくに、「過去」に関わる科学においてはそれが顕著であり、進化生物学、古生物学、疫学、地史学、天文学などでは過去を操ることはできません。

 

そういった分野で「科学を行なう」新たな手法として考えられたのが、「自然実験」あるいは「比較研究法」というものです。

これは、異なったシステム同士を統計的な分析を交えて比較するというものです。

疫学というものはすでに数々の成果を挙げていますが、これも「自然実験」の一種と見なすことができるものです。

 

このような「自然実験」というものを用いて、様々な歴史上の問題を解析していこうというのが本書です。

取り上げられているのは、ポリネシアの島々の運命、19世紀の植民地の比較、一つの島(イスパニョーラ島)の東と西がなぜ異なる状態になったか、奴隷貿易がアフリカに与えた影響、などのものです。

 

もちろん、このような自然実験という手法にも落とし穴が存在します。

実験を行なう研究者がまったく気が付かない要因が隠れており、その影響の方が実際は大きければ不適当な結果を出してしまうこともあるでしょう。

因果関係というものが実際は存在していないにも関わらず、あるように見えてしまうということも良くあることです。因果を逆に判断するということも起きます。

 

しかし、特に社会科学系の学問ではすでに自然実験という手法を盛んに用いて研究を進めて来ています。

経済学、政治学、心理学、考古学などの分野では多くの実績があるようです。

それに比べると歴史学の分野への応用はまだまだ進んでいません。

歴史学者の中にはこのような手法への抵抗感を強く持つ人も多いようです。

本書ではこのような自然実験という手法の実例を示し、その妥当性をアピールするという意味が強いようです。

 

ポリネシアの島々、ニュージーランド近海からイースター島、ハワイまでには、共通の先祖を持つポリネシア人が徐々に広がっていきました。

大航海時代になってクックなどの探検家がそれらを発見したのですが、その時点で島々の様相はすでに大きく異なる状態となっていました。

武力闘争が頻繁なところもあり、イースター島のようにすでに資源を使い果たし滅亡しかけていたところもあり、ハワイでは王政が機能していました。

これらは、もともとは同じ人種の文化も同じ人々が移り住んだものの、島々の物理的な状況に差があったために生まれた社会構造の差と言うことができます。

 

アフリカからの奴隷貿易というと、アメリカ大陸に向けてのものが有名ですが、それだけではなく各地に送られた奴隷が居たようです。

その総数は研究者によって諸説あるようですが、1200万人とも言われています。

奴隷が多く連れ去られた地域では人口の減少によりその後の社会の発展が阻害されたと言われています。

しかし、その事実を証明することは簡単ではありません。

まず、本当に奴隷とされた人々がどこから連れ去られたのか、それを明確にすることはかなり困難です。

それらの障害を越えて算出した結果を解析するとある程度はっきりした結果が出てきます。

奴隷を多く出した地域というものは、その当時では比較的発達した社会であったようです。

だからこそ、外部の商人と接触して奴隷貿易を行おうという動きも出てきました。

さらに、ある程度の人口があり、それら同士が内部抗争などをしているという段階でなければ戦争捕虜の奴隷化といったことも起きませんでした。

さらに、日常的に近隣住民を奴隷として売って金銭を稼ぐという行動も、それを知らなければ不可能でした。

つまり、ある程度発達した社会で、奴隷を作り出し商人に売り飛ばすという動きが活発になったとみなせます。

それが、アフリカ西部で顕著だったのですが、現在ではその地域はアフリカの中でも最貧困として知られています。これには奴隷化により人口減があったということ以外に、近隣の住民まで襲って奴隷化するという行動のために、モラルが低下して地域社会を発展させるという意志が崩壊したということの影響も強かったということです。

 

本書あとがきに、編者のダイアモンドとロビンソンがこの「自然実験」という手法についてのまとめを書いています。

説明された事例では自然実験という手法がきれいな結果を導いているように見えますが、そういう例ばかりではないようです。

さらに、同じように初期条件の違いや、撹乱の発生が起きていても、その結果がまったく同じになってしまったという事例も観察されるそうです。

なかなか魅力的な実験手法であると感じますが、まったく間違った結果を導き出す危険性も多いのではと感じます。

 

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史