爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「この洋画タイトル、英語では何て言う?」東郷星人著

映画のタイトルはその映画の人気とも関わるためにいろいろ考えられて付けられています。

英語圏の映画は当然ながらだいたい英語のタイトルが付けられていますが、それを輸入して日本で封切りする場合、あまり直訳調でもまずいということで、まったく違うタイトルに変えられた場合も昔は多かったようです。

最近では、訳しもせずにそのままという例も増えていますが、どちらが良いのでしょうか。

 

この本は、そういった洋画のタイトルについて、本職は医者でありながらミステリー小説や映画が大好きという著者がいろいろな例を挙げて紹介しています。

一応、クイズ仕立てになっていますので、自分の知識を確かめるということもできるでしょう。

 

往年の名作映画でもいろいろな例があります。

ほぼ直訳そのものというのが、「風と共に去りぬ」(原題:Gone with the Wind)や「戦争と平和」(War and Peace)といったところです。

 

全く違うのでは、「慕情」(Love is a Many Splendored Thing)、「翼よ、あれが巴里の火だ」(The Spirit of St.Louis)といったものがあります。

 

ただし、日本語の題名でも流行というものがあり、たとえば

何がなんでも「愛と◯◯◯の✕✕✕」というのもありました。

一番早いものでは1947年の「愛と王冠の壁の中に」というのもありますが、これはそれほどヒットしたわけではないので、やはり1977年の「愛と喝采の日々」(The Turning Point)あたりがブームの始まりだったようです。

 

同様に、1930年代から40年代にかけて、「踊る・・・・・」という題名のミュージカルが次々と封切られていました。

「踊るブロードウェイ」「踊るアメリカ艦隊」等々ですが、別に原題に「dancing」が入っていると言うわけでもなく、ただ単にヒット作にあやかって付けられた邦題のようです。

 

あまりかけ離れた邦題もどうかと思いますが、昨今のように英語題名をただカタカナにしただけというのも芸がないようです。

直訳ではまったく意味が分からないものも多いようですので、頭の使い方次第と言うことでしょうか。

 

この洋画タイトル、英語では何て言う??英語の力もぐんぐん身につく映画タイトル・クイズ

この洋画タイトル、英語では何て言う??英語の力もぐんぐん身につく映画タイトル・クイズ

 

 

微生物の話 乳酸菌 その1

しばらくぶりに「微生物の話」です。今回は乳酸菌。

 なお、以前に微生物の話として「Lactobacillus plantarum」のことを書きましたが、今回はより広く乳酸菌全体の話とします。

sohujojo.hatenablog.com

 

乳酸菌は食品にはおなじみの微生物で、酒類でも日本酒には意識的に生育させる場合があります。

しかし、現在はその健康に対しての効果が強調され、ヨーグルトなどだけでなく、乳酸菌が入ったと言われる食品の宣伝も盛んで、中には「乳酸菌入の青汁」なんていうものも流行ってきました。

 

まあ、ちょっと硬い話にはなりますが、乳酸菌というものがどんなものか、解説してみましょう。

 

まず、「乳酸菌」と言ってもその種類は非常に多いものです。

糖分を栄養源として、乳酸を作り出すというのが乳酸菌の条件ですので、多種類の微生物がそこには含まれます。

 

しかし、少なくともそれは「グラム陽性菌」には含まれます。

グラム陽性菌とは、グラム染色と言う細胞染色法によって青または紫色に染まって見えるというもので、細胞膜の構造に由来します。

グラム陰性菌に比べて細胞膜のペプチドグリカン層が厚いと言う特徴を持ちます。

様々な種が含まれますが、納豆菌や肺炎球菌、放線菌などもその一種です。

 

ウィキペディアによれば、乳酸菌であるという最低条件は次のようなものです。

乳酸菌 - Wikipedia

  1. グラム陽性
  2. 桿菌球菌
  3. 芽胞=なし
  4. 運動性=なし
  5. 消費ブドウ糖に対して50%以上の乳酸を生成
  6. ナイアシン(B3)を必須要求

形態だけ見ても、桿菌も球菌も含まれるということで、広範囲にわたっていることが分かります。

また、ブドウ糖を消費して乳酸を50%以上生成すると言う条件ですが、これは乳酸だけを作り出すホモ乳酸菌と、アルコールや酢酸など他のものも同時に作り出すヘテロ乳酸菌とが含まれていることを示しています。

また、ビタミンB3(ナイアシン)を必須要求ということは、これがなければ生育しないと言うことですが、乳酸菌の種類によっては他にも多くの物質を要求します。

それだけ、生育が難しいということでもあります。

乳酸菌がよく生える環境に、動物の乳がありますが、これには非常に多くの栄養成分が含まれていますので、生育可能であるとも言えます。

 

 主な菌種としては、Lactobacillus, Lactococcus, Enterococcus, Pediococcus,Leuconostoc, Streptococcus, Bifidobacterium等があります。

ヨーグルト製造に使われる菌だけに限ってもLactobacullus以外にも多種が使われています。

利用する際のポイントとしては、これまでは生育のしやすさ、香りや味の良さ、といったものでしたが、最近では健康効果が強いかどうかといったところまで問題とされています。

 

(その2に続く)

 

道路を横断する歩行者の保護について

時々チラチラと見ている、読売新聞のサイトの「発言小町」という、掲示板ですが、そこに「横断歩道以外を渡る歩行者が居て困る」という話題が載っていました。

 

(面倒なので場所の引用はしません)

 

それに対する意見では「危険な場所を渡る歩行者は自己責任」などという暴言もあり、ほとんどがドライバー側の意見でしょうが、危険なものを感じます。

 

歩行者が道路を横断する場合はどのような状況か、整理してみましょう。

1.信号のある横断歩道を信号に従って横断する。(赤信号で横断する場合は略)

2.信号のない横断歩道を渡る。

3.横断歩道から離れた場所で渡る。

4.「歩行者横断禁止」の場所で渡る。

 

いずれも、歩行者側としては飛び出し等の行為はしないものとします。

 

1.の場合は完全に歩行者は保護されます。事故が起きた場合は100%自動車側の責任です。

ただし、時々変なドライバーが居て「信号は赤だったけど行けると思った」なんていうのが突っ込みますから、油断は禁物です。

 

2.の場合、道交法では「横断歩道を渡ろうとする歩行者が居たら車は停止」と定まっているにも関わらず、JAF日本自動車連盟)の調査では9割以上のドライバーが停止しないとなっています。

もちろん、横断歩道上で自動車にはねられた場合は自動車側に全責任があります。

 

3.の場合が、元の発言小町の例でも議論になっているところですが、これも歩行者保護の原則があります。

ただし、事故の場合にはある程度の歩行者責任が認められるようです。

5%から25%程度の賠償減額がされるということです。

しかし、「事故が起きても歩行者の自己責任」などということは無いのは当然です。

 

4.は一応歩行者の責任が重くなりますが、それでも100%ということはありません。

せいぜい50:50程度のようです。

それよりも、気になるのは単に道路が広くて通行量が多いからと言って「歩行者横断禁止」の標識を出すだけで済むのかということです。

横断の代替案なしに一方的に禁止というのは憲法違反になるのではとも思いますが。

 

それにしても、車社会一色の日本では、こういった最低限の法律知識すら行き渡っていないのでしょうか。

 

ニュージーランドで牛を多数殺処分。マイコプラズマ・ボビスの感染症

「安心?!食べ物情報」で紹介されていましたが、ニュージーランドで病原菌マイコプラズマ・ボビスの牛への感染が明らかになり、多数の牛が殺処分されるそうです。

http://food.kenji.ne.jp/review/review967.html

 

その数は12万頭に上りますが、この菌は非常に感染力が強く、速やかな対策が必要なようです。

なお、この菌の人間への感染は無く、またミルクや肉からの影響もないということです。

 

鳥インフルエンザの時の鶏の殺処分のニュースを思い出しますが、感染症対策というものの厳しさを感じさせられます。

 

それとともに、マイコプラズマという菌にも思い出があります。

Mycoplasma属の菌では人間に肺炎を起こす、M. pneumoniaeと言う菌種もあり、こちらはかつては4年毎に大感染を起こすと言われたものです。

当時はこれに効果がある抗生物質マクロライド系であるということで、かつて勤めていた会社の製造品目がその時だけ特に売れたということもありました。

また、一時は関連抗生物質の研究もしたことがあり、その点でも関係がありましたが、Mycoplasmaは取り扱いができず、薬効の直接の検証もできませんでした。

 

その後、マクロライド系抗生物質に対しての耐性菌が増加して、現在ではMycoplasmaには効果がなくなっているようです。

 

感染症というものは、集中して飼育するところから起こります。人間でも集中して住んでいるところから流行します。

いまさら、バラバラに住むわけにもいきませんし、家畜の飼育も止めるわけには行かない以上、このような騒ぎは続けられるのでしょう。

「もっと面白い本」成毛眞著

パソコン興隆期の有名人で、日本マイクロソフトの社長を務めておられた成毛さんですが、2000年に社長を退かれたあとはあまりお名前を目にしてはいなかったようです。

その後は投資コンサルタントをされているそうですが、それとともに、「読書」を奨める活動をされているようで、これまでにもその方向の本を何冊も出版されているとか。

 

岩波新書から「面白い本」という、読書を奨める本を出版、その後続編として出されたのがこの「もっと面白い本」ということです。

 

いろいろなコンセプトのテーマごとに、推薦する本を紹介するというもので、私も細々と真似をしている書評書きをずらっと集めて本にしたと言うものです。

 

前作とはコンセプトを少し変えたということですが、本書では「人間」「宇宙」「歴史」「芸術」「科学」といったものを取り上げています。

 

1冊あたりの紹介文はせいぜい2ページ、しかしコンパクトながらその本の面白さは十分に伝わるように描かれています。

 

しかし、数えてはいないので正確には分かりませんが数十冊の本が紹介されていながら、私が読んだことのある本が1冊も入っていないというのは衝撃でした。

読書傾向がまったく噛み合わない。

 

まあ、どちらが偏っているかといえば私の方でしょう。

 

中で一つ、非常に興味深いが、自分では絶対にすすんで読もうとはしない本について。

小林凛さんという方の書いた「ランドセル俳人の五七五、いじめられ行きたし行けぬ春の雨 11歳不登校の少年、生きる希望は俳句を詠むこと」というものです。

低体重出生児で水頭症の疑いもあるということで、ハンデのある子どもが、小学校でいじめを受け、学校には行けなくなったがそれやこれやについて、俳句を詠むというものです。

俳句も紹介されていますが、優れたものです。

 

まあ、考えるべき内容で、文章も優れたものなんでしょうが、まず読もうとは思わないのが普段の私の読書傾向です。

 

他も読むに値する優れた本ばかりの紹介のようです。

 と書きながらも、なにか心に引っかかるものが感じられるのですが。

もっと面白い本 (岩波新書)

もっと面白い本 (岩波新書)

 

 

地上イージス、果たして必要となるのでしょうか

ミサイル防衛システムとして導入が押し付けられた(トランプ訪日のお土産)地上イージスの設置場所には秋田付近が最適と言うことです。

 

www.sankei.com

もちろん、これを設置すれば攻撃目標になるのは明らかですから地元の反対も予想されますが、それに対してどれだけ金を配るかというところが問題になるのでしょう。

 

ただし、元に戻れば「いったい何のため」ということになりそうです。

北朝鮮の核ミサイルの脅威を盛んに言い立てて、巨額の費用も当然かのように見せてのトランプへの貢物でした。

その脅威自体がどうなるか分からないところで本当に進むのでしょうか。

 

どうしても導入を図るということになれば、中国やロシアに対する防衛と言うことになり、彼らの反発も大きくなるでしょう。

 

まあトランプ外交もどうなるか分からない時点では進めざるを得ないのが官僚の悲しさでしょうが、無駄骨に終わることが最上の結果でしょうか。

「歴史に学ぶもの逆らうもの」吉岡吉典著

著者はすでに亡くなっていますが、共産党の中央委員会委員で参議院議員としても長く活躍されていた人です。

この本は1988年の出版、ちょうど昭和天皇が亡くなり平成に入った頃のことです。

 

昭和天皇の病状悪化から危篤、逝去までの世相というものは、もはや覚えている人も年を取ってしまったでしょうが、多くのイベントが自粛の名の下で取りやめになり、静かな町になりました。

それとともに、昭和天皇の平和主義者である面のみを強調する論調ばかりとなり、歴史的な事実としてそればかりでもないということは無視されました。

 

本書はそこの記述から始まりますが、主題は天皇の戦争責任を語ることではありません。

 

昭和から平成に変わる頃、別に時を合わせたわけではないのでしょうが、太平洋戦争の侵略性を否定したり、戦争犯罪を無かったことにしようとしたりといった、歴史上の問題についての攻撃が、主に自民党の有力政治家から発せられるようになります。

 

そのような政治的活動が、昭和天皇への過度とも見える対応と相俟って、軍国主義全体主義への回帰となるのではないかとの恐れから、歴史的事実を再確認しようとするのが、著者の主張です。

 

記述は歴史修正側からの主張を一つ一つ論破していくものとなっており、日韓併合は韓国側も同調したとか、閔妃殺害事件も性格をあやふやにごまかすとか、明らかに捏造した論議や、侵略を否定した中曽根発言など、少し前のことで忘れかけていた論議を思い出しました。

 

ちょうど30年経った本ですが、この問題を取り巻く状況はさらに悪化しています。

ここに書かれている「第二次世界大戦の教訓」ばかりでなく、「歴史論議の教訓」と言う教訓も意識しなければならないこととなってきたようです。

特に、この時代にはまだ生まれていなかった若い世代が良いように取り込まれている事態には危機感が募ります。