爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「歴史に気候を読む」吉野正敏著

歴史の多くの展開に気候というものが大きな影響を及ぼしたということは、容易に想像できますが、実は歴史学ではあまりそれを取り上げることはなかったようです。

 

これまでにその観点から論じたのは、1940年代に西岡秀雄氏が、1983年に原田常治氏が発表されたそうですが、いずれも学界からはほとんど無視されたままでした。

これには、彼らの学説が根拠不十分であったということもあるのですが、その中には考えるべき事実も隠されていたようです。

 

本書はそのような気候の人間社会への影響そのものを論じるというものではありませんが、古今東西で様々な気候が社会の営みにどのような影響を与えたかという例を数多く挙げています。

 

東アジアでは、8世紀から10世紀の頃には温暖な気候に恵まれました。

その頃はすでに日本では公家の間で日記記録をつける習慣が生まれており、そこでは桜の開花の記述が見られその日付も分かるようになっています。

それを見ると、この年代では他の時代に比べて桜開花が早まっており、気温も1℃から1.5℃も高かったようです。その後は低温期になりました。

その時期は中国でも唐王朝の最盛時にあたり、安定した農業生産で政治も安定したようです。

 

戦国時代、武田信玄上杉謙信が何度も争った川中島の戦いは有名ですが、その記録を見ると徐々に低温傾向となり、小氷期に向かっていることが分かるそうです。

その数年後、武田勝頼を滅ぼした織田軍はその帰途に現在の4月30日に多くの兵が風雪で凍死したそうです。

 

瀬戸内海に勢力を持った、村上水軍はその操船法が優れていたことでも有名ですが、気候についても優れた知識と洞察力を持ち、風を利用した操船が巧みであったそうです。

村上雅房が1456年に著した、「一品流三島村上流船行要術」は我が国最初の気象学の書と見なせるそうです。

これは、コロンブスより60年早く、ガリレオより140年早いとか。

 

気候の影響はなかなか大きいもののようです。

ほんの数℃の気温上昇で世界破滅かと唱えている現代では、歴史の見方も変えなければいけないのではないでしょうか。

 

歴史に気候を読む

歴史に気候を読む

 

 

「やる気もある!能力もある!でもどうにもならない職場 閉塞感の正体」草間徹著

閉塞感とは、個人が抱く感覚ですが、職場や社会の中で「狭いところに閉じ込められ」「身動きができない」「手のうちようがない」と感じられる状態です。

 

今の日本社会はこのような閉塞感が充満しているようです。

 

著者の草間さんは、クレイア・コンサルティングという企業の組織や人事をコンサルティングする会社を経営しており、そのような企業の雰囲気をなんとかして変えようということに取り組んでいます。

 

この本はそのような多数の実例から、少しでも働く人々が希望を持てるようにできる方策を探っています。

 

現在の企業では、20代から50代までの幅広い年齢、キャリア、地位の人々の誰もが閉塞感を感じてしまうという状況になっています。

第1章では、そのような人々の実例を架空の物語として示していますが、どれも実話を元に書かれています。

30代の中堅システムエンジニアは、マネージャーへの昇進の道は閉ざされています。

40代のOA機器メーカーのフィールドエンジニアは子会社への出向を迫られ行けばもう帰る事はありません。

50代の人事部長は会社が合併され社員のリストラを実施させられ、多くの人を辞めさせたあと自分も退職せざるを得ません。

20代のベンチャー企業社員はやりがいのある仕事を求めて転職をしたら条件の悪い求人しか無く、転落寸前です。

 

こういった閉塞状況になってしまったのはなぜかということを、次章以降で解説しています。

事業の変化、組織の目詰まりというものが起こり、社員の年齢構成の逆転が起き、どこでも高年齢社員が多く、若年社員が少ないということになってしまいました。

これでは、昇進どころか定年まで働くということも危なくなります。

また、事業が急激に変化しているために専門性を持った仕事をしている社員もその仕事自体無くなってしまうという事態も頻発しています。

 

会社のビジネスモデルと言うもの自体、非常に速い速度で変化していきます。かつては儲けの仕組みであったやり方がもはや通用しなくなっているにも関わらず、そこから抜け出せない会社が多いのです。

いよいよだめとなって拠点閉鎖となると、そこに勤めていた人には転勤か退職かという道しか残されていません。

会社側も希望退職の募集を行いますが、それも度重なると社員たちの人心の荒廃となります。

 

現在の多くの企業では、業績評価制度を採用していますが、その制度の基本となっているのは予算制度です。

営業職の場合では、販売予算というものが決められておりそれの到達度で評価されるということが多いのですが、これまでのデフレ経済ではほとんどの場合売上が昨年より低下します。

しかし、販売予算は必ず前年より上回って作られますので、ほとんどの場合予算未達となり、到達度は低くなるようになっているのです。

しかも、販売促進費や支援スタッフ費用は削られています。ますます追い詰められていくばかりです。

 

会社の年齢構成で、ピラミッド構造ということが言われますが、実際に高度成長期の日本経済ではこのような構造が存在できる状況でした。

どんどんと事業が拡大していったために、若年層はどんどんと増加し、中年層の就くべき管理職も増加していました。

あまり苦労もせずにピラミッド構造が構築できたのです。

しかし、常に拡大していく企業でなければこのような事態はもう望めません。

それでもその構造を続けていたのですから、破綻しないわけには行きません。

 

さて、現状とその経緯は分かったとして、それではどうすれば良いのでしょうか。

本書第4章に書かれているのがその方策です。

自社の人事制度を熟知し、そこで最良の結果を出す。

専門性の変化に対応し、新技術でも専門家としてやっていける実力を付ける。

社外でも通用する人材となり、場合によっては事業を興す。

 

まあ、お説ごもっともなんですが、そんなことができる人ならそもそも「閉塞感」なんて持っていないと思いますが。

 

なお、最後にこのような日本の企業社会での閉塞感の原因は「最初に入社した会社でその後の職業人生が決まる」ことにあるとしています。

これはまったく間違いないところで、ここに全ての問題点も凝縮されていると感じます。

大企業や国家公務員がそうであるのは言うまでもないのですが、ベンチャー企業などもすぐにそれに染まってしまうようです。

退職金や年金制度も長期の勤続が有利となっており、制度から変えていかなければ動かないでしょうが、どこかで手を付けなければならないことでしょう。

 

 

「再読:”法令遵守”が日本を滅ぼす」郷原信郎著

この本は4年ちょっと前に一度読んでおり、ブログも書いていますがその内容はあまり整理されておらず、その当時はまだまだ自分の読解力も未熟だったなと思います。

だからというわけでもないのですが、再読してみました。

(これはいつもの”気が付かずまた読んじゃった”ではありません。と強調しておく)

 

やはりこの、「法令遵守」というものの問題性が昨今さらに深まっているように感じられるせいもあります。

 

法令を守っていないと指摘され、企業などが謝罪するという、コンプライアンス事件は最近でも頻発しています。

しかし、郷原さんの指摘するのは「法令遵守」で済まそうとするのは全くの方向違いであるということです。

逆に、法令遵守というものが弊害ばかりをもたらすものであるということです。

 

日本が「無法国家」であるとは言えません。明治以来欧米から輸入した近代法で精緻な法体系を作り上げた「法令国家」です。

しかし、官僚統制経済体制のもとでは、そのような法令というものは「象徴としての存在」に過ぎず、「法令と実態の乖離」というものが横行する社会となっています。

それが「非法治国家たる法令国家」という他にはほとんど例のない奇妙な国家となっています。

そのような状況では、「法令遵守」ばかりを唱えるのは逆効果になるというものです。

 

郷原さんは以上のような観点から、日本が法治国家であるかどうか、また「法令遵守」を行うだけでは企業がやっていけないということを、建設業界の談合問題、経済界でのライブドア事件村上ファンド事件を例として説明しています。

また、耐震強度事件も「法の失敗」という見方から論じています。

パロマガス湯沸かし器の引き起こした多数の死亡事故も法令遵守はしても事故が起きたのはなぜかという点から見ています。

 

日本の法令というものは、あちこちに実態からの乖離が生じせいぜい象徴程度の意味しか持てなくなっているのですが、それでも法令が作られたからには、何らかの社会的要請が存在したはずです。

本来であれば、法令を守ってさえ居れば社会的要請に答えることができたはずですが、すでに法令と実態に乖離があるために法令ばかり見ていると社会的要請には答えられないことになります。

その例として、JR福知山線脱線事故の際に被害者家族が医療機関に肉親の安否を問い合わせても、個人情報保護を楯にとって回答拒否をしたということがあります。

個人情報保護法が何のためにあるかを考えれば、そんな対応ができるはずはないのですが、その社会的要請を考えることができない担当者は法律の条文に従って作られた対応マニュアルだけを見て回答拒否をしました。

 

昨今のマスコミ報道でも、コンプライアンスというものを単純に「法令遵守」とだけ置き換えた態度を取ります。

(ただし、マスコミの文字の用法では遵守の遵の字は仕えないので法令順守ですが)

そのような子供っぽい態度のせいで、社会全体が法令遵守至上主義のようになってしまいました。

 

アメリカのような法令中心、司法中心の社会では、法令遵守を完全に成し遂げれば社会的要請にも応えられるのですが、日本はそのような法体系になっていません。

 

そこで、郷原さんは「フルセット・コンプライアンス」ということを提唱しています。

第一に、社会的要請を的確に把握し、その要請に応えていくための組織としての方針を明らかにすること。

第二に、その方針に従いバランスよく応えていくための組織体制を構築すること。

第三に、組織全体を方針実現に向けて機能させていくこと。

第四に、方針に反する行為が行われた事実が明らかになった時は原因究明し再発防止すること。

第五に、一つに組織だけで社会的要請に応えようとしても困難な事情、すなわち組織が活動する環境自体に問題がある場合にはその環境から改めること。

 

「真の法治国家」に日本を作り変えていくということが必要なのでしょう。

 

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

 

 

2018年年頭にあたり

昨年の年頭予測大外れにもくじけずに今年もやります。何者も怖れずに今年の予測。

 

2018年も大変な年になることは確かでしょう。

 

気象災害は水害がどこかで起きるのは間違いありません。

大台風による強風被害も起きるかも。

沖縄でいつも被っている風速50m以上の台風来襲が他の地域に来ればその被害は大きなものになるでしょう。

 

地震・火山はどうでしょうか。

やはり無いとは言えないでしょう。

阿蘇山カルデラ噴火も危険と裁判官様がおっしゃっていましたし。

 

世界中でテロ事件は毎日のように起きるでしょう。

それを止める術はありません。

 

北朝鮮情勢はさらに緊迫。

それを口実にした軍備増強が進むでしょう。

 

アメリカのバブル経済崩壊が心配されるところです。

株価崩壊が起きれば日本にも波及。アベノミクスの果実どころか社会崩壊にもつながりかねません。

この予測ばかりは外れることを祈るだけですが。

 

日本の政権はそのような経済崩壊がない限りはこのまま続きそうです。

民衆にそれを変えようという機運がありません。植民地根性が隅々まではびこってしまいました。

 

平昌オリンピックなどというものもありますが、日本のメダル獲得などと言っている以前に、選手たちが無事に帰ってこれるかどうかが不安な情勢です。

北朝鮮の挑発(という言い方は好みませんが)が加えられないとも限りません。

 

芸能人の麻薬・不倫は取り上げる気も無いくらいに蔓延するかもしれません。もうどうでも良いような気もしてきました。

 

大相撲の混乱もどうでも良くなってきました。

もしかしたら貴乃花一門相撲協会離脱などということにもなるかもしれません。

新相撲協会」などを立てて別の興行を始めるかも。

 

まあ、とても良い予測などはできない年になりそうです。

 

2017年年末にあたり 「年頭にあたり」なんていう予言をしちゃったんで。

本年1月1日に「2017年年頭にあたり」なんていう予言をしちゃったんで、その総括をしておきます。

まあ、当たるも八卦当たらぬも八卦に近い確率でしょうか。

sohujojo.hatenablog.com

まず、「大きな地震が2~3回、火山爆発も起きる」と言ってしまいましたが、幸いにもこれは外れたと言って良いでしょう。

昨年が熊本地震を始めとして被害を出すような大地震が頻発したため、今年も続くと思いましたが、少し平静を取り戻したのでしょうか。

しかし、まだまだ安心はできないものと思います。

 

集中豪雨は予想的中。犠牲者がでなければと書きましたが、九州北部豪雨では多数の死者が出てしまいました。

これは、予想などというものではなく、水害被害者が出ていない年などないので予想的中などとは言えず当然とも言えることです。ただし、「どこで起きるか」だけは予測不能です。どこででも起きる可能性があります。

 

世界各地でテロ事件頻発、犠牲者多数というのも的中です。

今年は自動車で歩行者に突っ込むなどという手口も増えてきました。

 爆弾や銃による本格的?なテロは実行が難しくなってきたのかもしれませんが、自動車を使えばそれに劣らぬ成果?をあげられるということが分かってしまいました。

 

トランプバブルはすぐに弾けるというのは予想外れ。いまだにバブル続行で株価は上がりっぱなしのようです。ますます、危険性が増しているだけですが。

 

芸能人の麻薬覚醒剤事件、不倫報道頻発は、的中。いくつあったのか分からないほどです。

 

アメリカ軍の士気低下で事件頻発という予想はその通りになりました。

もうどうしようもない状況で、今後も事件は続発でしょう。

ますます矛盾が大きくなりそうです。

 

最後に書いた「願望」の部分は総外れでした。まあ、あまり期待もしていませんでしたが。

安倍内閣の暴走ぶりは予測以上でした。

もう、どうでもなれという心理状態にまた落ち込みそうです。

 

「来年はもっとひどい年になる」と思っていれば間違いないでしょう。

 

2017年を振り返る 10月~12月

10月

衆議院議員選挙。内閣支持率は低くても自公圧勝というとんでもない結果に。

 まあ、野党に投票したくない気持ちも分かるけれど、自公に入れてもどうにもならないということも分からなくなっているこの日本国民。

 

★スペインカタルーニャ州で独立を求める住民投票実施。圧倒的多数の賛成を得られたものの、スペイン政府の反撃も激しく状況は混沌。

 これに対し、スペイン国王も「法律と民主主義を踏みにじった」などと言う発言をしていました。

 「法律」も「民主主義」も都合の良い使い方をされればこうなるという見本です。

 

★アメリカラスベガスで行われていた音楽イベントに集まった人々に向けて高性能銃での乱射事件。58人が死亡。

 いつまで続けるんでしょうか。

 

東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を事実上容認。東電管内では初。

 

NHKの記者が2013年に過労死していたことを遺族が公表。

 

★アメリカカリフォルニア州で大規模な山火事。ナパなどのワイン生産地も類焼。

 

神戸製鋼所が品質データ改竄、品質基準未達の製品を出荷。

 

★日産に続きスバルでも完成検査を無資格者にさせていた。

 

★神奈川県座間市のアパートで9人の遺体を発見。自殺志願者を連れ込んで殺すという前代未聞の大量殺人事件発覚。

 

11月

トランプ大統領訪日。前日のイヴァンカ・トランプ大統領補佐官来日時の報道も過熱。

 その結果があのミサイルや戦闘機購入表明か。

 

三菱マテリアル東レでも品質データ改竄が明らかになった。

 

★大相撲の横綱日馬富士が、前月の巡業中に酒の席で貴ノ岩を殴って怪我をさせていたことが判明。日馬富士九州場所休場のあと、引退に。

 この事件をめぐり貴乃花親方と相撲協会横綱白鵬などが泥仕合

 年末になってもまだ混迷。

 

12月

天皇譲位の日程決定。

 

★将棋の羽生善治が「永世七冠」達成。

 

北九州市のテーマパーク、スペースワールドが27年の歴史に幕を閉じ閉園。

 

大相撲暴力問題 貴乃花に処分だが、それに対するマスコミの論調がおかしい

相撲協会貴乃花親方に対しての処分案を決めたということです。

あいかわらず、テレビ番組ではその報道が延々と続いています。

 

ようやく貴乃花に対しての相撲協会側の聴取が始まったということで、貴乃花の弁明も漏れ伝わってきましたが、私などそれを見て「貴乃花終わった」と思ってしまったのですが、どうやら世間にはそうは感じない人も多いようです。

 

曰く「僕って悪くないもんね」「相撲協会には警察から連絡が行くと思った」等々、子供じみた幼稚な弁明であり、もうまともに考える必要もないレベルと感じたのですが。

 

対して、相撲協会の危機管理委員会からの報告書は論理的で冷静なものであり、他を納得させられるものと感じました。

https://mainichi.jp/articles/20171229/k00/00m/050/047000c

 

当然のことながら、ここでは「貴乃花親方についての調査報告書」とされており、暴行事件自体についてはすでに詳細は触れていません。

相撲協会という組織について、貴乃花の組織人としての行為の問題について報告されています。

 

相撲協会という組織が、その前近代的な体制、すなわち「部屋の管理者としての親方」と「協会の役員」というものが分け難く両立しているという体制に依っているのが、このような混乱の要因なのですが、そこもはっきりと認識できていない人も居るようです。

 

貴乃花の行動は「被害者の保護者である師匠としての行動」だけに特化しており、「相撲協会の理事であり、巡業部長」という役割をすっかり忘れ去っていました。

 

被害者である貴ノ岩の負傷は重大であり、さらに実力者である横綱が加害者、もっと実力者の横綱が発端という、事情は確かに厳しいものであり、全力で貴ノ岩を支えなければならないというのも分かりますが、ここで貴乃花がすべきことは「まず協会に事実を報告し、その事情から巡業部長としての役務を継続することは困難であるので、代行選任を申し入れる」ことでした。

 

こんなことは、普通の社会人でしたら常識以前の常識です。

それができなかったから処分した。当然の対応でしょう。

 

さて、もう一点の「マスコミの論調」です。

とはいえ、新聞など「まだマシな方」の話ではなく、テレビのワイドショーや報道番組に出てくるコメンテーター、「いわゆる文化人」の連中です。

 

貴乃花処分の報道に対し、「町の人にインタビュー」というどうでもいい情報を入れ込む作りの番組が数多くあり、お得意の両論併記で極めてまともな「処分は仕方ない」という意見と「重すぎる」(これならまだ良いが)、「被害者なのに処分なんてひどい」(組織としての処分ということをまったく理解できていない無知丸出し)といった意見が流されました。

 

問題は、コメンテータの連中もこの町中意見と同程度のものが散見されることです。

 

だいたい、こういったコメンテータなる人々をどうやって選んでいるかも分かりませんが、評論家や大学教授、ジャーナリストといったのが多いようです。

もちろん、どういった経歴でどのような著作があるかということもよく分かりません。

なんとなく出ていて、時々司会者から意見を求められればそれに答えるという役割です。

彼らのしゃべっていることが、どうも前述の「貴乃花びいきの町中おっさん意見」そっくりなようです。

 

あまりにしつこい報道に、最近はあまり相撲事件関係の番組を見る気もしなくなっていたのですが、こういった「トンデモ意見」はしばらく楽しめるかもしれません。