NHKBSで放映されている「にっぽん縦断こころ旅」、視聴者からの手紙の場所を火野正平さんが自転車で訪れるという人気番組で、今回で10年となります。
私も生まれてからこれまで、全国あちこちの都県で(”道”と”府”はほとんどなし)思い出の場所と言うものが数多くありますので、何通も手紙を書いているのですがすべてボツ。
結構力を入れて書いているのですが、ダメですね。
今回も愛知県について書いて送ったのですが、またもボツだったようなので、この際こちらで公開してしまえということにしました。
愛知県
記憶に残る風景
正平さん、スタッフの皆さんこんにちは。
私の心に残る風景は「伊勢湾台風の翌朝の光景」です。
伊勢湾台風は1959年9月26日に東海地方を襲い、特に伊勢湾沿岸地方で高潮の被害が大きく5000人以上の方が亡くなったという大災害でした。
しかし、私はその時は4歳、そのような大きな出来事がすぐそばで起きているなどと言うことはまったく知りませんでした。
亡くなった方や遺族の方々にとっては大変な事態でしたが、幼児の私にとってもかすかな記憶が残っています。
そのころ、父の仕事の関係で千種区大久手の社宅に両親と兄、弟の5人で住んでいました。
平屋の小さな家ですが狭いながらも庭もありました。
大きな台風が近づいているということは、大人には分かっていたのでしょう。
しかし、小さかった私と弟は何が起きているのかも分からずにいつもの通り眠ってしまいました。
ぐっすりと眠り、普通通りに明るくなってから起きました。
その時にはすでに雨や風も止み静かだったように思います。
しかし、外を眺めてみて驚きました。
庭の周りにぐるりと板塀があったのですが、それが全部倒れてしまっていました。
狭い庭に板塀が囲ってあったので少し暗いイメージのところだったのですが、明るい庭になっていました。
さらに、愛用の三輪車もどこかに飛んで行ってしまったようでした。
びっくりして親に聞くと夜は大変な風雨だったということでした。
家の中でもあちこちに雨漏りがしていたのですが、奇跡的に子供二人が寝ていた部屋だけは雨漏りもなく、神様のご加護だと母は言っていました。
両親と10歳年上だった兄はその夜はほとんど眠れなかったそうです。
その起きていた3人は皆鬼籍に入ってしまいました。
その社宅のあったあたりは、昔の建物とはかなり変わってしまいどこがどこかはよくわかりません。
大久手の交差点を南側に斜めに入る道を進み、最初の信号の吉田病院のところでまた斜めに進んで二つ目の十字路のあたり、駐車場になっているところではないかと思います。
60年以上も前ですが、家族が暴風の中で震えていた場所をご覧ください。
なお、ついでながら大久手の交差点の反対側には初めて入学した千種小学校もあります。
2年生になる寸前に父の転勤で転校となり、それ以降は一度も見たことがありません。
そこも見て頂ければと思います。
それではよろしくお願いいたします。
名古屋にはその後も何度も行ってはいますが、ここの付近には行く機会はありません。
なんとなく見たい風景であるのは確かです。