内田樹さんのブログ、「研究室」より、今回は内田さんが編者となってまとめられた「街場の平成論」(晶文社刊)がまもなく出版されるそうですが、そのまえがきとして書かれたものを掲載されています。
平成を振り返るという本は数多く出版されているようですが、その中で晶文社は内田さんを名指しで編者として起用し、多くの人に文書を依頼してまとめ上げたということで、さすがに一捻りしたものが多いのでしょう。
その本の「まえがき」を掲載していますが、そのまえがきの大部分は内田さんが著者として選んだ方々への依頼文でした。
平成が始まった30年前の日本と世界の情勢、そしてその時に自分がどういう未来を考えていたかということを記載し、そしてその予測がことごとく外れ当時は思いもしなかったような現代を迎えているということを、正直に明かし、その上で思うところを書いてくれという依頼文でした。
たしかに、平成の始まった1989年には、私もまだ30代でしたがその雰囲気はまだその場にあるかのように覚えています。
30年前、平成が始まった年、1989年のことをみなさんは覚えておいでですか。
89年というのは、北京で天安門が起き、ポーランドで「連帯」が圧勝し、鄧小平から江沢民への世代交代があり、ドイツのホーネッカーが失脚し、ソニーがコロンビア映画を買収し、三菱地所がロックフェラーセンターを買収し、ベルリンの壁が崩れ、ルーマニアのチャウシェスクが失脚し、日経平均株価が史上最高値を記録した年でした。それに加えて、わが国では昭和天皇の崩御と、今上天皇の即位があったのです。ちなみに首相は竹下登、宇野宗佑、海部俊樹と一年間で三人を数えました。
こう列挙してみただけで、それからの30年で世の中の「空気」がずいぶん変わってしまったことに気づくはずです。
ソ連崩壊に至る動きが急激となり、天安門事件もあり、さらに日本ではバブル絶頂で不動産買い占めという時代というものは、忘れることのできないものです。
そして、その後に書かれた内田さんの「未来予測」というものも興味深いものです。
あの年に、30年後にはロシアの市民たちがプーチンのような強権的な支配者を歓呼の声で迎え、習近平が軍事的・経済的成功を背景に毛沢東以来の個人崇拝体制を再構築し、アメリカがドナルド・トランプのような知性と倫理性にともに問題をかかえた人物を大統領に戴くことになると想像できた人なんて、ほとんどいなかっただろうと僕は思います。
少なくとも、僕はまったく想像していませんでした。
僕は東欧の市民革命はさらに進行するだろうと思っていました。ロシアは覇権国家としての行き方を放棄し、二度とかつての国威を回復することはないだろう。中国政府はいずれしぶしぶとではあれ民主化に譲歩して、市民社会の成熟と歩調を合わせるようにして近代化を遂げるだろう。そして、日本についてはこう考えていました。
日本はさらに金持ちになるだろう。世界中の土地や権益を買い漁り、札びらで相手の頬を叩くようなしかたで世界各地に事実上の「植民地」を手に入れるだろう。宗主国アメリカには欲しがるだけの「小遣い」を渡してうるさい口出しを封じ、そうすることで「国家主権を金で買い戻す」という世界史上どんな国も果たし得なかった偉業を成し遂げるだろう。その成功体験は日本人すべてが自信たっぷりの厭味な拝金主義者になるという重篤な副作用をもたらすだろう。
私自身は、その当時に日本がさらに金持ちになるだろうとは思っていませんでした。
自分はその頃もただのサラリーマンで少しずつ給料は上がったものの、大してバブルおこぼれを貰うこともなく、いつかはこんな馬鹿騒ぎは終わるだろうとは思っていました。
しかし、これほど落ち込みが長く続くとも思いませんでしたが。
出版される本の中身は「読んでのお楽しみ」のようですが、一人だけ、仲野徹さんが「予測不可能性」について書かれているということは、小出しに宣伝してありました。
読みたいな。だけど高いんだろうな。