1923年に起こった関東大震災、それから90年が経った2013年にその記憶をまとめる活動としてまとめられた本です。
90年以上前とは言いながら、今でもホットな話題を提供してくれます。
小池都知事が追悼行事にこれまでの都知事が出してきた追悼文を拒絶したとか、
小池百合子東京都知事の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼文送付拒否問題について | 希望のまち東京をつくる会 宇都宮けんじ公式サイト
北朝鮮が、当時の朝鮮人虐殺の真相解明と、謝罪賠償を求めたとか、
www.tenkinoarekore.com9月1日付近にはそういったことが今だに吹き出してきます。
それはなぜか、と考えるには、この本のようにその時に本当は何が起きたのかということを、調査研究している人々の解説を見ておくことは有益でしょう。
関東大震災では、建物倒壊や火災により多くの人が死亡したのですが、それとともに、地震後の混乱の中で、朝鮮人、中国人や社会主義者などが殺害されたということも知られています。
(ただし、近年はこれらを隠蔽しようとする勢力も強くなっています)
しかし、その中でも日本人社会主義者の虐殺はある程度明確になっていても、朝鮮人中国人がどの程度殺害されたかということはあまり知られていません。
この本を読んで驚いたのは、その実態がほとんど調査もされていないということです。
殺害被害者の数も分かりません。
これを捉えて、「被害者数も曖昧な、”だから起きたかどうかも分からない”事件」だとする人々も居る始末です。
こういった事実も、この本の執筆者たちは細かく調査を続けています。
かつて、おぼろげながらも語られていたのは、「朝鮮人などが地震の混乱に乗じ、強盗や婦女暴行、井戸に毒を入れるといったデマに対抗して自警団が作られ、彼らが朝鮮人などを捕らえて殺害した」というものです。
しかし、本書によれば、その多くに警察や軍隊などの官憲が主導権を取り、実際の殺害も多くは実行したようです。
彼らはその後は徹底的に隠蔽工作を行ったために、自警団が自然発生的にやったというイメージを確固としました。
しかし、部分的に残された記録からも軍と警察主導というのは誤りのないことのようです。
このような状況で、また東京近辺にアメリカ軍の空襲が加えられた太平洋戦争時には、震災時の記憶として「朝鮮人の暴動」というものだけが民衆の意識に植え付けられていたために、空襲被災時には朝鮮人を危険視する動きがあったようです。
また、これもよく知られた挿話として、「朝鮮人と間違えられた聾者(話のできない人)が多数虐殺された」というものがあります。
朝鮮人かどうかを調べるために、日本語の話し方がどうかを見るということが自警団を中心に実施されたのは事実です。
その際に、話のできない聾者は朝鮮人だと決めつけられ、殺害されたというものでした。
しかし、詳細に調査をしてもただひとり、東京聾唖学校の生徒が殺害されたという記録はあるものの「多数」ということは証明されないようです。
非常に重い話ですが、まだきちんと決着されていない事件であったと思います。