8月15日は昭和天皇が戦争に敗けたと言っただけで、本当は終戦の日とは言えないという話もありますが、まあそれは置いておいて。
8月15日には日本全国で「不戦の誓い」やら戦争犠牲者の追悼やら、多くの催しがあります。
そこでは必ず「戦争はいけない」という言葉が飛び交います。
これについては、今までも大体この時期に書いてきました。
去年は北朝鮮脅威が最大に上がっていた頃で、もしも東京の真ん中にミサイルが飛んできても「戦争はいけない」なんて言えるのかと書いていますが、今年も同様でしょう。
核兵器というものの存在のために、戦争という手段に訴えるということが、大国の間ではやりづらくなっていますが、かつてはほんの小さなきっかけで戦端が開かれていました。
第1次世界大戦はオーストリア皇太子が暗殺された事件がきっかけですが、自国民が殺害されたという事件をきっかけ(あるいは口実)として開戦というのはよくある話です。
それが、自国領土内であるなら大問題ですが、かつては相手国でやりたい放題やっていた人々が殺害されるということもありました。
これなどは、初めから開戦の口実を目指していたという見方もできるでしょう。
それではどの程度の事件が起きれば開戦してもやむを得ないと感じるか。
これは人によって大きく違います。
何をされても絶対に戦争はしないという、イエス・キリストのような人もいるでしょう。
日の丸の旗を燃やされただけでも戦争しても良いと思う人もいます。
それでは、仮想敵国として北朝鮮を使わせてもらって、開戦の理由とできるかどうか、考えてみましょう。
1東京に核ミサイルが発射され、爆発し数十万人が死亡
2玉砕覚悟の特別攻撃隊が上陸し、住民を殺害した上で原発を占拠し爆破
3核ミサイルを発射したが、失敗か故意にか、方向が違い相模湾沖に落下
4公海航行中の貨物船が攻撃を受け沈没、船員が死亡
5公海上空を飛行中の旅客機が攻撃を受け、乗員乗客全員死亡
6韓国在住の日本人が北軍による攻撃に巻き込まれ死亡
7北朝鮮に入国した日本人が拘束され処刑
8北朝鮮の国際放送で、日本政府を罵倒(いつものことか)
9北朝鮮国内で日本国旗を侮辱し燃やす
もちろん、下に行くほど開戦理由としては弱くなります。
上の1,2あたりはおそらくほとんどの人が開戦を認めるのではないでしょうか。
それでも「戦争はいけない」のか。空虚な言葉が今日はあちこちで飛び交います。
それとともに、戦前の人々を描く多くの映画やドラマで必ず耳にするのは「お国のため」という言葉です。
お国のために全てを投げ出し挙句の果てに生命まで取られてしまった人がたくさん居ました。
ただ単に、そこで産まれただけでなぜそこまで尽くさなければならなかったのでしょう。
国があることで、様々な利益が受けられていたのであれば、それに報いるということもあるかもしれませんが、多くの人は搾り取られ、徴兵され、殺されただけでした。
多くの利益を受けていた富裕層は徴兵を逃れ、行ったとしても安全な任務についていたということもありそうです。
この「お国のため」は過去の話だけではありません。
「国を愛する」といった美辞麗句で刷り込み「愛する国のためならば」というすり替えで再び国民を好き勝手に使おうという策謀があります。
今住んでいるこの「国」というものが、本当に「自分の国」と言えるのか。
政治権力者が勝手気ままに国民の財産を食いつぶしていないか。
誰も望んでいない方向へ捻じ曲げられていないか。
極めて怪しい状態でしょう。