内田樹さんのサイト「内田樹の研究室」を拝読させていただいていますが、その中で最新記事が「人口減社会に向けて」という表題で掲載されました。
http://blog.tatsuru.com/2018/03/16_0950.php
元は日本農業新聞というところに依頼されて書いたコラムということです。
毎日新聞が専門家を招いて人口減社会についての座談会を開いたそうですが、そこでの結論は、
「楽観する問題ではないが、かといって悲観的になるのではなく、人口減は既定の事実と受け止めて、対処法をどうするか考えたらいい」
だったそうです。
内田さんもその後に書いているように、「これは結論ではなく議論の前提である」ということでしょう。
さらに、出席者の一人の福田赳夫元首相が、
「国家の行く末を総合的に考える中心がいない」と言い捨てて話は終わった。
ということです。
人口減については、政府部内では何のプランもなく、誰かがプランを立てなければならないということについての合意さえ存在しない
ということがわかった。その点では有意義な座談会だった。
内田さんはその他の方向に話を進めていますが、人口減社会についての問題に話を戻すと、結局の所は政府や政治家・官僚なども「その点についてまともに考えている人がいない」ということのようです。
お笑いのような「人口増加策」を考える人は居ても、現実に起きている人口減への対策は何も為されていないということなのでしょう。
年金や健康保険、社会保障など国家財政に大きな影響を及ぼすのがこの人口減問題であり、すでに大問題となっているにも関わらず、まともに考えていないというのがこの国の政治の現況なのでしょう。
かつて、このブログの中で「仮定の話」と題し、「仮定の話には答えられない」というフレーズを連発した元首相の姿勢を批判したことがありました。
最近でも、政治上の大きな問題があるにも関わらず、国会討論でもインタビューを受けてもこのフレーズで答える政治家が目に付きますが、私などどうしても「あらゆる仮定を考慮するのが政治家の責任だろう」と思ってしまうので、違和感を感じてしましますが、その一方で「政治家としては無責任な話はできないということなのかも」とやや同情するような気も少しありました。
しかし、どうやら「本当に仮定の話を考えていないのかもしれない」ということなのかもしれません。
これは本当に大変なことです。まったく政治的に無能な政治家と官僚に日本の政治を任せているということなのかもしれません。
想像力を養うということがなければ、このような対処ができないのでしょうが、私利私欲だけの政治家や、知識だけを問う試験秀才の官僚には無理なことなのでしょうか。