爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「かぐや姫の結婚」繁田信一著

神奈川大学日本常民文化研究所の特別研究員と言う繁田さんが、平安時代のお姫様の生涯について記したものです。
藤原道長の全盛期に、「かぐや姫」と世間から呼ばれていたお姫様が居たそうです。藤原千古(ちふる)といって、小野宮右大臣と呼ばれた藤原実資(さねすけ)の娘です。実資は道長とは従兄弟の子供同士という間柄で、道長家とは距離があるものの最上流と言える貴族の家柄でした。
実資は小右記という日記を書き残したことでも知られており、そこに書いてあることで千古についても知ることができます。

実資には子供も数人居ましたが、もっとも年上の男子は生母の身分が低かったため出家させ、他には男子がなかったため甥を養子にしています。また女子も数人居ましたが皆小さい頃に夭折してしまいました。
五十歳を過ぎてから産まれたのが千古で、実資の可愛がり様はすごかったようです。

とはいえ、年頃になると縁談も進めなければいけませんが、上流貴族にもなるとなかなか釣り合う相手も居らず難航したようです。道長の息子の長家との縁談もありましたが、まとまりませんでした。そこには周囲の思惑なども関わっており、上流貴族の勢力争いでもありました。

当時としては異例とも言える20歳に近くなってからようやく道長の孫とはいえやや傍流になっていた兼頼と結婚することができました。実資は相当な資産があったため、兼頼もそれを狙っていたようです。
実資はすでに70代になっていました。
しかし、結婚後娘を産んだのちに千古は亡くなってしまったようです。小右記にもその辺の事情は全く記されていませんので、よく判らないようですが、年のいった父親よりも早く亡くなったのは間違いないようです。
その娘も長寿で、数えで百歳になる寸前まで長生きしたそうですから、長寿の家系だったのでしょう。

上流貴族といっても子供が夭折するというのは現代から見ると過酷なようです。子供だけでなく大人も流行病で死ぬことが多く、上流貴族といっても父親が若死にすると残された家族も一気に零落することもあったようです。