「外国文学」の翻訳書を置いてある書店をみても、英米文学、フランス文学、ドイツ文学などと分類されている隅に「その他の外国文学」などと表示されているコーナーがあります。
たしかにそれ以外の言語の文学は一つの棚を当てるほどの数があるわけでもないのですが、考えてみればちょっと失礼な話ではあります。
この本ではそういった「その他の外国文学」とされている言語の文学を日本語に翻訳する人々に焦点を当て、インタビューをしてまとめています。
対象とした言語および訳者の方々は、ヘブライ語(鴨志田聡子)、チベット語(星泉)、ベンガル語(丹羽京子)、マヤ語(丹羽栄人)、ノルウェー語(青木順子)、バスク語(金子奈美)、タイ語(福冨渉)、ポルトガル語(木下眞穂)、チェコ語(阿部賢一)
なお、その言語の話者の数からいえばポルトガル語などとマヤ語、バスク語とはかなり差がありそうですが、まあ日本で翻訳書がほとんど出されていないという点では同様に扱っても仕方ないのかもしれません。
ほとんどの翻訳者の方々はその言葉に関わりがあったというわけでもなく、何らかのきっかけで学ぶようになったということが多いようです。
とはいえ、日本国内では学習の手段すらないという言語もあり、わずかなテキストで少しだけ習ったらもう現地に赴きそこで習ってくるという行動力は皆さんお持ちのようでした。
マヤ語、バスク語という言葉は、現在でこそ国内でも認められているもののかつては禁止されるという目に会ったということが共通しています。
それ以降、政府の政策の転換で認められるようになったものの、その地域でも話せる人、話せない人が混在ということで難しい状況のようです。
それでもその言葉を愛し残していくために文学作品を残そうという人がおり、その作品を日本語にして紹介しようという翻訳者が居ます。
なお、どちらの言葉もその話者はそれぞれスペイン語も話すというバイリンガルで、原作者もマヤ語、バスク語とスペイン語の双方で作品を発表しているということが多いようです。
それでも同じ作者が書いたバスク語版、スペイン語版の原作を比べるとその雰囲気がかなり違うということで、そこにも征服者側の言葉と被征服者との立場の相違が出てしまうのだとか。
マヤ語の吉田さんはもともと文化人類学者でマヤに調査に行っていて言葉にも詳しくなり、翻訳も手掛けるようになったそうです。
しかしマヤ語を学ぼうとしても現地にも辞書や教材と言ったものはなく、そこから自分で作っていったとか。
ほんの少し前まで言語使用禁止という政策もされていたために、そういった基本的な資料すらなかったそうです。
それでも現在はソル・ケー・モオーといった作者などが積極的にマヤ語での創作を広めているそうです。
バスク語もスペイン語学習者が興味を持って習い始めることが多いのですが、しかしスペインはバスクを征服した側であり、その言語を用いてバスク語を習うというとどうしてもその歴史を引きずりかねないようです。
それでも現在はバスク語の復権がかなり進んでおり、文学書も数多いそうです。
英語だけが世界言語のような顔をしてのさばり、それが当然のように感じる人も多い中、しっかりと自らの言葉を守る作家たちとそれを日本語に訳す翻訳者たちの実情が見られるようです。