池波正太郎の小説の中でも、「三大江戸シリーズ」と著者が呼ぶのが、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人梅安」です。
その中では現実の江戸の町の中で話が進行しているかのように詳細に描かれています。
池波自身が江戸時代の古地図を詳細に検討していたのは間違いないと思われますが、それ以上に深い要素であるのが池波の「郷愁」であったと見ています。
池波は東京浅草で生まれ育ち、少年時代には日本橋兜町で証券会社の小僧として働くという経歴を持ち、まだ江戸時代の雰囲気を色濃く残す町に慣れ親しんできました。
そしてそれが戦災によってほとんど失われるということになり、江戸の町に対しての郷愁というものを強く感じていたのでしょう。
だからこそ、古地図を詳細に検討しそれを作品の中で生かし切っていたのでしょう。
この本では東京の町をブロックごとに分けて、江戸時代の地図と現代の地図を並べて示し、そこに上記三大シリーズの何が当てはめられているのか、地図に示すとともに原文を紹介しています。
本の構成上、新宿から始まり赤坂、四谷、麻布と山手から辿っていき、ようやく半ばほどで外神田・湯島、そして根岸、本所、浅草と下町に降りていきます。
私も鬼平犯科帳は全部読んでいますが、地名が出てきてもぼんやりと見過ごしていてそれが現代で言えばどこにあたるかといったことも考えずにいました。
それをこのように地図上に整理されて示してもらえば非常に分かりすいのは言うまでもなく、東京の町が立体的に小説の中に感じられるようです。
鬼平犯科帳では主人公の鬼平こと長谷川平蔵は本所入江町の生まれと描かれています。
しかし実在の人物長谷川平蔵は実際には赤坂で生まれました。現在の住所でいえば赤坂6丁目だそうです。
生家の住所を変えたばかりでなく、鬼平犯科帳には赤坂周辺を舞台にした話もありません。
これは池波が赤坂という街を嫌いだったということではなく、やはりちょうど小説を発表していった時代の赤坂の発展ぶりに書きづらくなったのではという見方です。
白金は今では高級住宅街となっていますが、江戸時代には森林と田畑ばかりの寂しいところでした。
そこの「樹木谷」という場所が小説の中では繰り返し舞台として登場します。
人気も少ない寂しいところですが、この名は元は「地獄谷」であり、幕府の罪人処刑の場所だったということです。
今はその名は残っていませんが、清正公覚林寺と言う寺院はそのまま残っており、その近辺だそうです。
湯島天神はちょうど山手と下町の境で坂道が多い近辺にあります。
その周辺には料理屋や茶店が軒を連ねていました。
その店を三大シリーズのそれぞれで登場させているのですが、その描写がみな「場所柄、こぎれいな造り」で共通しているということです。
実際にそのような店が多かったのでしょうが、それ以上に池波の印象がそのようなものだったということもあるのでしょう。
また鬼平犯科帳を読みなおしてみようかと思わせられました。