冬場ともなればテレビでは毎週のように駅伝やマラソンの中継放送が流れているほど陸上長距離が好きな日本人ですが、オリンピックでの好成績というものは最近ほとんど見ることがありません。
本書は東京でのオリンピック開催が決まった時期の執筆で、そのマラソンでメダルを取るとすれば何が必要かということを示しています。
著者の酒井さんは東京農大で駅伝に取り組み、1年の時には箱根駅伝に出場したものの2年以降は故障で活動できず、その後はスポーツライターとして活躍するようになりました。
陸上競技関係者では様々なしがらみで書くことができないことをはっきりと書いて、日本の陸上界がなぜ世界に太刀打ちできなくなったのかを示そうというものです。
日本はかつてマラソン王国とまで言われました。
前回の東京オリンピックでは円谷が銅、メキシコオリンピックで君原が銀、幻のモスクワ大会では瀬古はもし出場すれば金間違いなしと言われていました。
女子ではシドニーで高橋、次のアテネで野口が金メダル獲得と活躍しました。
しかしその後は成績が低迷、8位入賞すらほどんと不可能となっています。
マラソンの世界記録を見ても、世界はどんどん高速化が進んでいます。
1988年には世界記録が2時間6分50秒(デンシモ)に対し、日本記録が2時間7分35秒(児玉)とわずかな差だったのですが、日本記録はその後伸び悩んでいるのに対し世界記録はどんどんと縮められ、2014年の時点では2時間2分57秒です。(その後さらに速くなっています)
マラソンだけでなく、高速化のトレーニングとしても重要な1万m走でも記録は伸びず28年前の記録がそのままとなっています。
そこには近年の長距離界ではもっとも成功したと言われる、高岡寿成の経歴が逆に作用したとも言えます。
彼は大学時代に5000mで日本記録、さらにシドニー五輪では1万mで7位入賞し、翌年には1万で日本記録を塗り替えました。
そして31歳でマラソンへ転向、2002年には日本記録を打ち立てます。
その成功例が特に大学での駅伝有望選手に影響を与えており、皆「高岡さんのようにまずトラックでスピードを磨きそれからマラソンに挑戦します」と言うようになりました。
しかし、その結果がそのようなエリートランナーたちのプランとは全く逆の「とにかくマラソンを走る」公務員ランナー、川内優輝に多くのマラソン大会で実業団ランナーがまったく勝てないという現状となっています。
そこには大学・実業団と続く長距離界というものの甘い実情が影響しているということです。
陸上長距離の社会は学校から実業団までほぼ駅伝を最重要視する風潮になっています。
ちょっと有望な選手が現れると上の学校、実業団のスカウトが引っ張ろうとしてそこに進むと駅伝漬けの生活となります。
そこには学校や会社が駅伝の成績を宣伝に使いたいという思惑もあり、他の大会などには目もくれず有名駅伝大会だけを目指すこととなります。
そこに一石を投じたのが主にアフリカからの選手導入ですが、そこにも外国人はチーム一人だけとか、何区だけを外人区間とすると言った大甘の対応で日本人の実力向上に結び付かないものとしています。
2000年以降実業団では駅伝王者とまで言われたコニカミノルタですが、そこの選手はその他の世界大会等ではまったく見るべき成績を残していません。
駅伝の勝敗だけに偏った方針は選手の実力向上にはあまり役立っていないようです。
オリンピックの選手選考も毎回いろいろと物議を醸す状況となっています。
選考大会というものをいくつも置いているために不公平感が生まれます。
マラソン大会の多くではペースメーカーという選手を置いていますが、オリンピックではそれが無いために選手間のペースの駆け引きが厳しくなります。
選考大会でもやはりペースメーカーを置かずにするべきというのが主張です。
(その後、この点は少しは改良されたようですが)
なお、本書最後には「有望選手」として何人か挙げられています。
大迫傑、佐藤悠基、今井正人、前田彩里、鈴木亜由子、鷲見梓沙といった面々で、開催5年前の予測としては難しいのでしょうが、大迫と鈴木は出場、大迫は6位入賞という結果ですので、まずまずの眼力と言えるのかもしれません。
確かに駅伝重視という風潮は世界での選手の活躍にはあまり有利には働かないのでしょう。
なお、「東京オリンピックマラソンで日本がメダルを取る秘策」はコースを箱根駅伝の後半コース、茅ヶ崎スタートで箱根ゴールとすること、というのは確かに面白い秘策です。
こんなバカなコースをまともに走れる外国人はいないかもしれません。