松尾芭蕉は忍者であり、あの「おくのほそみち」の旅行は隠密の偵察であったとする説があります。
芭蕉が伊賀の出身であることからそう考えられたとされ、他愛もない俗説と片付けられているようですが、実はそうではなく真実が隠されているというのがこの本の著者の岡本さんの主張です。
芭蕉は伊賀上野の藤堂家に仕えていたということは認められているようですが、通説では大した身分でもなく下働きでそのうちにそこを辞めて江戸に出たと言われています。
しかし実際にはそうではなく江戸でも藤堂家に所縁のある武家と関係を保っていた。
そしてその中に「綱吉サロン」と称する将軍直属の人々が居たということです。
そういった事実を証明するものとして、それら関係者に関わる文書などを丹念に読み解き、芭蕉や曽良に関わる部分をつなぎ合わせていくという作業を丹念にこなし、やはり芭蕉の「おくのほそみち」は幕府御料という直轄地を探る旅だったという結論を出しています。
同行した門人曽良はその後若死にしたと言われていますが、これも関係する人々の文書を読んでいくとその後も見かけられたという話が出てきます。
さらに、その後曽良は幕府巡検使として筑後に赴いた伊奈半十郎の随員として同行したと見られています。
曽良という人間はもともとそういった職務を行なう家柄であったのではないかということも推測しています。
芭蕉が江戸で住んでいた芭蕉庵という家の場所もそれらを裏付けるように伊奈半十郎の邸の隣であり、他にも綱吉の近習であった綱吉サロンと見られる武家の邸が並んでいるところでした。
それだけで関係性を云々できるわけではないでしょうが、無関係とは言えないようにも思います。
「おくのほそみち」の旅行の間にしばらく滞在して句会などを開いていたのは、蕉門の門下生が少なかったところで、その勢力増加のためだったという推測をしている研究者もいるようです。
しかしそれ以上に芭蕉の向かった先が幕政の担当者が興味を持った地域であるということも言われています。
何か、本当にそうかもしれないと思わせるほどの丹念な歴史史料解析の跡が見えるような作品となっていました。