センスという言葉は皆があるイメージを持っているようでいて、その実態があまりつかめないというものでしょう。
「服のセンスが良い」と言われますが、それは着ている服が高価か安価か、また流行のものかどうかといったことと完全に重なるものではありません。
また、「バッティングセンス」などとも言われますが、これも捉えどころのないものです。
経営の分野でも「企業経営センス」と使われますが、これも何とも言いようがないものです。
そこで本書では最初に著者がその考えるところの「センスの定義」を出しています。
「センスの良さ」とは、数値化できない事象の良し悪しを判断し、最適化する能力である。
とのことです。
なお、著者の水野さんはグラフィックデザインから出発し、パッケージや製品企画、インテリアデザインなど数多く手がけ、NTTドコモの「iD」や熊本県公式キャラクター「くまモン」などの開発も行ったという方で、現在は慶応技術大学でも講義をしているということです。
センスというものが数字で測れないからこそ、「センスは特別な人にだけ生まれつき備わっている」とか「天から降ってくるひらめきのようなもの」といった誤解を持つ人が多いようです。
そのためか、「斬新なものを作り出すには、いまだかつて誰も考えたことも無いことをセンスを持ってひらめかないといけない」と思いつめ、いざ商品開発となると「普通じゃないアイデア」を追い求めてしまうことになりがちです。
しかしセンスが良い商品を作り出すためには「普通」とは何かをよく知らなければなりません。
ただし、本当の「普通」とは何かを知るためには数多くの事例を知らなければならない、つまりそれだけの知識を得る努力が必要となるということです。
このような思い違いを助長するような働きをしているのが、学校の美術や音楽、体育といった授業だそうです。
小学校の図画でも、これまでの美術の歴史を知って絵を描くのと何も知らずにいきなり描きだすのとははるかに効果が異なるのですが、そういったこと無しに、さあ描きなさいで始めさせるために無駄な時間を使うのだそうです。
企業の商品開発でも「クリエイティブなセンス」を求められながら、それを全く生かせない方向で進みがちです。
新たな商品開発と言いながら、たいていの企業では市場調査を行います。
対象として外部の消費者を集め、試作品の評価を頼むのですが、対象者は今ある製品と比べてどうかということしか判断できません。
そこには落とし穴があり、一つは「悪目立ちするものに目が行きがち」、そうして「新しい可能性をつぶしかねない」ということです。
これまでの商品の100が200になったものは評価せず、せいぜい101か102になったものしか良いと言われません。
これでは新しい価値はなかなか生まれてこないでしょう。
「センスというものは知識にもとづく予測である」とも書かれています。
これを「長年の勘だ」と表現する人もいますが、やはり長年積み重ねた知識での判断ということができます。
著者の観察によれば、よく当たる占い師というのもまさに知識の塊で、相談者のような事例を無数に知っていてその中から一番近そうなものを選び出し、その先も類推するという作業を行っています。
アリタリア航空から企業ロゴを作ってくれと言う依頼がもし来たとしても、「ヘルベチカ(Helbetica)」という書体は絶対に使ってはいけません。
ヘルベチカという書体は、もともとスイス連邦を表わすラテン語から来ており、スイス人のデザイナーが生み出したもので、もしもスイス航空のロゴであれば良いのですが、イタリアの企業のロゴに使うならばそれだけの説得力がなければなりません。
そのためにも知識を広く持っている必要があるということです。
まあ、私など最初からセンスなどというものはあきらめていますが。