爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「この町(故郷、現住所)が一番」という発言は。

テレビ番組などを見ていると、(特に地方を取材のもので)登場人物が「この町が一番良い」と発言するという場面がフィクション、ノンフィクションを問わずよく出てきます。

 

そういうものを見ると、「どうせ親戚友人が多いからだろう」と思ってしまうのは、私がそういう状況とは全く違うためのひがみなのかもしれませんが。

しかし、水害や雪害などの気象条件が厳しいところであったり、大きな天災に見舞われたところ、経済的に厳しい地方などでもそういった発言があるということは、やはり人的な条件という要素が強いものなのでしょう。

 

考えてみると、現在住んでいるところが先祖代々の土地であり、自分が生まれ育ったところだという人も結構多いのでは。

 

 

それを「故郷」というのだとしたら、それには次のような要素があるのでしょう。

「父祖代々住んでいること(まあ何千年も前というわけはありませんが、数百年だったらありそう)」「自分が生まれ、親兄弟や親族も住んでいる」「物心つく頃から育ち、学校に通い、友人も多い」「そこで仕事をして仕事仲間、顧客などもいる」「そこで結婚し家族を持ち暮らしている」「将来死んだ時にはそこの墓に葬られる」

これらが一か所であることが当然と思っている人もいるかもしれませんが、決してそうではなく、これを持たない人も数多いということが現実です。

 

私など、親代々の転勤族でこれがバラバラです。

父祖代々の地は長野(ただし祖父母4人のうち1人は岐阜)

自分が産まれたのは埼玉。

物心ついたのは名古屋。

小学校時代で一番長く住んでいたのは福岡。

親がその後家を建てて自分も中高大と過ごし、級友も一番多いのは神奈川。

仕事を始めて一番長く住み、結婚相手もそこで見つけ、その後家を建てて今も住んでいるのが熊本。

 

さて、私の故郷はどこでしょう。

どことも言えません。「第1の故郷」「第2の故郷」「第3の故郷」などと言っていますが、どこがそれかもよく分かりません。

 

したがって、「今いる町が一番好き」とも言い辛いところで、冒頭のような言葉を何の疑問も無く話せる人と言う存在に嫉妬を感じるところです。

 

しかし、考えてみれば人類のこれまでの歴史で生まれてからほぼ同じところで一生を過ごした人の方がおそらく多いのでしょう。

ホモサピエンスの歴史の約20万年は世界中に広がる流浪の歴史なのかもしれませんが、一人一人の一生を考えればそれほど大旅行をした人と言うのは一部で、多くは生まれたところ付近で暮らして死んでいったのでしょう。

 

しかし近代になってかなり多くの人が故郷を離れて暮らすようになったのかもしれません。

それは、より良い仕事を求めてであったり、また不幸にも戦争などで難民となる場合もあるでしょう。

国を越えて移動することも珍しくなくなりました。

私などまだ日本国内で済んでいますので、まだマシな方かもしれません。

 

なお、この状況は地方在住者を念頭に考えましたが、東京など大都会に住んでいる人と言うのはまた別のものです。

おそらくかなり多くの人が「東京が好き」と言うのかもしれません。

現在ではかなり生まれも育ちも東京と言う人も多いのかもしれませんが、一時代前にはほとんどが地方出身者で親や親戚は故郷にいるというのが普通でした。

そのような故郷分裂の状況でも現住の東京が好きというのは、その快適さや利便性、文化の集積、仕事の都合などからでしょう。

まあ、それはそれでどうぞご自由に。

 

好き好んでこのような状態になったわけではないのですが、行きがかりが積み重なっての結果です。

地方の農業や商工業者の後継ぎという人生も厳しい現実があるのでしょうが、それとは無縁の人生もそれほど良いものではないのでしょう。