「士農工商」という身分階級が定まっていた江戸時代から明治となり、それは士族と平民というものになりました。
そこから徐々に階級というものが無くなっていくのですが、それには長い時間がかかりました。
そのような階級というものの歴史を、明治期から太平洋戦争まで、見ていきます。
「はじめに」のところでは、日本の左翼とリベラル(革新勢力)のいびつな形が語られます。
戦前には「社会改革」という目標を掲げていた革新勢力ですが、それが敗戦とともにアメリカによってすべて与えられてしまいました。
小作農は自立農へ、労働組合の結成もストライキ権も団体交渉権も、女性参政権も、棚ぼたで与えられました。
それ以降、革新勢力は社会改革には何も目標を持てず、ただ「平和」と「自由」のみを言うしかなくなりました。
「国民の生活」を向上させてきたのは一貫して保守政党の自由民主党でした。
結局、それを政権政党に任せてしまった革新勢力には政権担当能力がなくなったということでしょう。
明治期以降、階級を形成した各層を本書では概数の人数で示します。
福沢諭吉の「分権論」では、明治維新で「武士」から「士族」になったものは40万人、家族を含めると200万人と見積もっています。
一方、土地を所有し地租改正によって地租を納めることとされた地主は約90万人でした。
小作農、自作だが小作にも出る自小作農の数は正確には分かりませんが、360万戸程度と考えられます。
議会開会は1890年ですが、その時に衆議院とならんで開かれた貴族院の議員となる貴族は1884年の華族令によって定められました。
公卿から大名、維新の功労者などを華族としたのですが、総数509名でした。
その中から244人が貴族院議員となりました。
衆議院議員は300人、これは高額納税者50万人が選挙権を持ち議員もその中から選ばれました。
1925年には男子普通選挙法と治安維持法が同時に成立しました。
本書の副題として「政治的平等と社会的不平等」とあるのはこの時の状態で、選挙権は男子すべてに与えられましたが、社会的な不平等は非常に大きいままでした。
小作人や労働者にも選挙権が与えられるということで、彼らの票が社会主義政党に集まるのではないかと考えられたのですが、1932年の総選挙では政友会の得票数が568万であったのに対し社会主義政党は26万に過ぎないものでした。
小作人や労働者の票は合わせて470万はあったはずですが、そのほとんどは既成政党の政友会、地主と資本家のための政党に流れていたことになります。
本書のテーマである「階級」と「政治」の関係の変化というものは、どうやら非常に変化が遅くゆっくりと展開しているようです。
私たちはどうしても同時に起こったことは必然的な因果関係があると考えがちです。
しかしどうも変化の遅さを考えると関係のないことをあると誤解しているのかもしれません。
「戦争」のおかげで「平等」になったということが言われますが、これも本当は違うのかもしれません。