文章の端々に面白みを感じるという文学は一昔前の方が多かったように思います。
最近はそれすら楽しむことが少なくなってしまったのでしょうか。
本書の著者の中村さんは国立国語研究所から大学教授へと転じましたが、国語辞典の作成に関わったりする一方、一般向けの著作も数多く出版されているようです。
その中にはユーモアに関するものが多いようで、その成り立ちというものも興味の対象だったのでしょう。
本書の中では、昭和初期から戦後しばらくの書物に現れるユーモアというものを、その成因を説き明かしながら解明していきます。
その引用書のリストも巻末に掲載されていますが、坪内逍遥、夏目漱石といった大家から遠藤周作、井伏鱒二など戦後の作家のものも対象とされています。
中にはほとんど名も知らぬ(私が知らないだけかもしれませんが)作家のものも入っています。
どういう文章からユーモアを感じるかということから、その成り立ちをグループ分けして考察されています。
たとえば、「用語ずらし」、「極端に誇張」、「違和感の活用」、「とっぴな喩え」、「失敗談」と挙げれば思い当たることがあるかもしれません。
「用語ずらし」の例では、遠藤周作の「ヘチマ」の中で次のような文章が示されています。
雀の涙ほどの金をもらって、今日から豊臣鮒吉は自由の身、はっきり言えばルンペンになったのである。
「自由の身」という用語が実際は「ルンペン」という意味であったというズレから面白みを出すということです。
戸川秋骨の「古外套」という短篇の中には、
ヨーロッパで大きな店の中を歩いていると、向こうから立派な日本の紳士が来た。帽子を取って挨拶しようとしたら、大きな鏡に自分の姿が映っていた。
という失敗談?があるそうです。
まあ、失敗談と言えるかどうかは分かりませんが。
掲載されている文章例を見ても、少し古い時代感だと感じてしまいます。
それなら現代のユーモアは何かと言われても、あまり思い当たらないようなのですが。