爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「左遷論」楠木新著

日本の会社員にとっては常に意識にあるかのような「左遷」という言葉です。

これは日本独特の風習とも言えるようですが、それを作り出してきた日本における会社組織というものと強く結びついているようです。

著者の楠木さんは生命保険会社に長年勤務し、営業畑と人事関係を両方経験してきたため、こういった問題にはその双方の視点から見ることができるようになったそうです。

 

歴史的に有名な左遷は菅原道真でしょう。

右大臣にまで登ったものの藤原時平の中傷によって大宰権帥になり赴任後すぐに死んでしまいました。

これが有名になったというのは本人が異例の昇進をしたということもあり、また死後にその祟りと言われることが頻発したためのようです。

森鴎外がその本職の陸軍軍医の方でも出世街道を驀進していたのですが、東京から小倉の師団に転任となったものを本人も左遷と認識していたそうです。

これは昇進の上での転任なので栄転ではないかとも言われているようですが、やはり九州まで流されるという意識が強かったのでしょう。

 

欧米には左遷というものはあまり意識されないようです。

同じ職場で役付きを解除されるといった「降格」や、「お前は首だ」といった解職は普通なのですが、日本でいうような「左遷」つまり職位や収入がほとんど変わらないままで違う職種に転任させ、本人が「左遷された」と認識するような異動というものは見られないそうです。

 

それが日本で特異的に発生したのはなぜか。

やはり終身雇用と年功序列、そして新卒一括採用といった日本独特の雇用制度が関係していたようです。

特に大手の金融関係や商社などで見れれたように、同期入社が何十人もいてそれが出世競争とするという中では、誰が一番の出世頭か、そして自分は不本意な部署に異動させられたという意識が強く、また周囲からもそういう風にみられるということもあって左遷という意識が生まれてきたのでしょう。

 

ただし、著者は人事部署も経験していたということで、人事から見た「左遷」についても書かれています。

それによると、人事からはあまり左遷ということは考えていないとか。

それどころか、ある部署を改善しようとして有能な人間をそこに移すということも良くあるのですが、それも本人がきちんと理解していなければ「左遷された」と考えて意気消沈することもあるとかで、難しいところのようです。

 

日本独特とも言えるようなこういった状況ですが、どうやら日本では特に会社の中では仕事と人との結び付きが弱いようです。

というより意識的に弱くして、誰がどこを担当しても変わりなく運用できるようにするということが重視されています。

アメリカではそれよりも経理であるとか企画であるとかいった職種と自分とつながりが重視され、そこから会社内でも別の職種に異動させるということの方が問題視されるようです。

それが転職を容易にするような雰囲気を作っていると言えます。

日本ではそれがないために会社にしがみつくということになっているのでしょう。

 

私は技術系で出世争いをするような同期というのも無かったのですが、それでも会社に勤めている間には意に添わぬ異動というものを何度も経験しました。

しかし、左遷ということではなかったのでしょう。とにかく会社にとってはあまり役に立つ働きをしませんでしたので。

とはいえ、こういった左遷論、今のような非正規雇用が蔓延している世の中ではもう時代が違うという感覚がしてしまいます。

今では左遷どころか「明日から来なくていいよ」で済んでしまいそうですから。

古き良き時代の昔話かもしれません。