爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本人ビジネスマン ”見せかけの勤勉”の正体」大田肇著

副題は「なぜ成果主義は失敗したか」というものです。

 

職場などでの人事評価を成果によって判断し、大きく配分を変えるという成果主義は低成長時代に入り広範囲に広がってしまいましたが、どこでもそれが効果を上げるということはなく、かえって弊害ばかりが目立っています。

 

私も会社勤務時代には中間管理職として評価する立場にも、評価される立場にも立たされ、苦しまされました。

 

本書によると、日本の成果主義は本来の「成果」を基にした判断が不可能となり、「やる気・熱意」だけで見てしまう、「やる気主義」とでも言うようなものになってしまいました。

そのために、「やる気を出せ」と言われてかえって真のやる気を失う人が大多数を占め、またポーズだけやる気を示すような人が高評価となって、しかし実際の業績は上がらないということになりました。

 

本書著者の太田さんは組織論や人事管理論といったものを専門とする同志社大学経済学部教授という方です。

様々な組織での人事管理も研究してこられ、どこに問題があるのか、どうすれば良いのかということも提言されています。

 

労働者の勤務態度を世界的に調査すると、日本人の労働時間の長さというのは際立っています。

帰宅時間の遅さというのは突出していますし、有給休暇の取得率も低いままです。

 

しかし、意識調査を見ると「仕事に対して高い熱意を感じている」人はわずか9%に過ぎず、これは調査対象の14カ国中最低の数値です。

日本人は「世界で一番やる気がない」と言えそうです。

さらに、日本人の長所としてチームワークの良さということが言われていましたが、実はその点でも意識が低下しているそうです。

 

著者はその原因が何なのかを調査してきました。

その方法として、手間はかかるものの調査対象の労働者に「これまでの経験でやる気を失ったのはどんな時か」を尋ねて記述してもらうということを実施しました。

これにより本当の「ホンネ」が引き出されたものとしています。

 

それによると、5つの「足かせ」が浮かび上がりました。

一つは、意味のない残業です。

ここには曖昧な人事評価が関わってきます。仕事をテキパキ終わらせて早く帰るというのをマイナス評価している。もしくはしているように感じるために、だらだらと帰れないというのが多くの職場で横行しています。

それが労働者のやる気というものを大きく阻害しています。

 

 次に、目標が定まらないことです。

上司の質にもよるのでしょうが、期待した人材にはさらに目標を高くしがちで結局その心身にもダメージを与えることになります。

 

また管理職が勘違いをして過剰に管理をするということでやる気を削ぐこともしばしば起こります。

そもそも「管理職」という名称があるので、「管理しなければ」と思い込むのかもしれません。

 

同僚との人間関係がもつれることも職場の雰囲気を壊すことになります。

人間関係を濃くする方向に進めるのが良いと思い違いをして、かえっていじめを引き起こしたりすることもあります。

 

評価・処遇が不公平であるということは、やる気を阻害するという作用を非常に強く表します。

給与などの処遇が悪い会社というのが存在するのは確かですが、それが会社内では皆が悪いということであれば、そこまで不満が高まることはないのですが、例え平均的には給与が高い会社であってもその中で不公平感が強ければその不満は高まります。

そこには相対的不満が発生し、自分のプライドを傷つけられたと感じる社員が表れます。

プライドを傷つけられた人間は何をするか分からないというのが、より怖い結果を生み出す可能性にもつながります。

 

このように、「やる気を削ぐ足かせ」になる条件を考えていくと、そこには「監督」というものが大きく関わっていることが分かります。

どうやら、日本の組織というものは「監督」ということのやり方を取り違えているために、やる気を出させようとしながら、かえってそれを削いでいるのです。

 

 

ここには、管理者の間に蔓延している「やる気主義」というものがまったく逆に作用しているという皮肉な現象が表れています。

 

日本では昔から「やる気」をことのほか大切にしてきたようです。

精神一到何事かならざらん」という言葉が真理のように使われてきました。

政治家が「額に汗する人が報われる世にしたい」と言えば誰もそれに反対しません。

逆に、濡れ手で粟のように大金をつかむ(そこには天才的な才能があったとしても)こと自体に反発を感じるのが一般の感覚です。

 

この結果、「成果主義」を導入した時にその内容を改ざんしてしまいました。

そのときには「成果主義と結果主義とは違う」とか、「成果にいたるプロセスが大事だ」とかいう、一見もっともらしい説明がされました。

日本生産性本部の調査によると、2004年に成果主義を取り入れている企業の91%が「評価する場合に業績などの結果だけでなく、そこに至るプロセスも評価に反映させている」と答えたそうです。

しかも、注目すべきはそう答えた企業の3分の1以上が「プロセスを評価する基準が客観的ではない」ことを認めていました。

結局、「プロセス」で評価すると言っても現場の管理者は「プロセスらしきもの」で評価していただけです。その結果、残業したり休日出勤したりという見た目のやる気に騙されてしまいました。

 

本当にやる気というものを出させるためには、大きな管理法の変革が必要です。

「やらされ感」というものを持っていては真のやる気は出せません。

そのためには「所有感」というものが必要になります。

これは、仕事の企画・運営などは本人に所有させてしまうということを意味しています。

それを持たせた人は徐々に自分からやる気というものを出してくるようになります。

 

これを「金魚すくいの法則」というそうです。

金魚すくいの下手な人はこちらから金魚を追いかけ、すぐにアミを破ってしまいます。

上手な人は金魚を泳がせて近づいた所にさっとすくう。それがコツということです。

 

今はパート・アルバイトといった雇用者も多いのが労働環境ですが、やりようによってはバイト社員にも「所有感」をもたせることは可能です。

 

部下の管理というものも「カリスマ性」は必要としません。

一般のビジネス書などを見ると、武田信玄上杉謙信など名将に習うといった記事が多いのですが、「上司が部下の上に立つ」という考え自体が間違いです。

管理者をマネージャーということが多いようですが、この英語のニュアンスは日本語の「管理者」とはかなり違います。

昔からクラブ活動のマネージャー、芸能人のマネージャーという人が居ました。

実はこの方が本来の「マネージャー」に近いということです。

つまり、物事を円滑に進めるというのが本来であり、人の上に立って管理するということではありません。

マネージャーは人の管理をするのではなく、仕事の管理をするのだと考えるべきです。

 

部下が仕事をしていく上での障害を取り除いてやりやすくすること。それが究極の上司だということです。

 

昔、会社でしがない課長をやっていたころに読みたかった本でした。

今となっては何の意味もなくなってしまいました。