編著者の西谷さんは、国立歴史民俗博物館の教授ですが、2015年に「ニセモノ博覧会」という企画展を実施したそうです。
骨董や絵画、古文書などが本物かニセモノか、それを取り上げたテレビ番組が長く人気を保っていますが、歴史的に見てみるとニセモノと分かっていてもそれを利用したという文化があったようです。
本書第1章も「ニセモノとおもてなし」というものですが、近世以降も各地域の旧家、素封家といった家で様々な客を招いての宴というものがしばしば開かれ、そこでは酒肴のもてなしの他に、多くの書画骨董を並べるということも「おもてなし」の一つでした。
旧家ともなればある程度の品物を持っているのが当然とも思われていたものですが、その家での宴会ではそれを披露するということが一つの趣向であり、必要不可欠でもあったようです。
そのためには、真贋というよりも「有名な作品を持っているかどうか」の方が重要でした。
本物ではあっても名の知られていない作家の作品よりは、たとえ贋物でも雪舟や狩野探幽、谷文晁などといった「誰でも名を知っている有名人の作」が並んでいた方が受けたのでしょう。
そういった風潮のため贋作を作成するというのも一大産業であり、かくして名家に所蔵されている書画骨董のほとんどは贋物ということになってしまいました。
ただし、「ニセモノ」といってもその内容は様々です。
英語で言えば、フェイク。
贋作、偽文書、偽造といったものです。
イミテーションというのは、模倣、模造品。
本物と言って売ればフェイクですが、ニセモノらしくしていればイミテーションとなります。
コピーは複製、模作。
レプリカは写し、復元品。
コピーとレプリカの差は難しいようですが、博物館では展示用にレプリカを使うことがあります。
かつては芸術家はその弟子と一緒に一つの工房を構成し、そこで弟子がコピーを作ったりレプリカを作ったりということがありました。
地方の名家に伝わる書画骨董は「威信財」とも呼ばれます。
つまり、その家の「威信」を示すような物品であるということです。
そのため、名のある作家の作品を集めるということが行われ、そこに贋作の入り込む隙も多くなりました。
したがって、作者の名も地域によって差があり、雪舟は山口の大内氏に招かれたため中国地方に多く、酒井抱一は姫路藩の大名家の生まれなので兵庫県の家には必須、長野や山梨には何と言っても武田信玄の書状というのが地域性となっています。
博物館には本物の展示もありますが、けっこう多いのがレプリカ展示です。
レプリカは復元品とも言いますが、本物では経験できない触って楽しむ体験や、製作途中の様子を見せたりと、重要な役割を果たしています。
銅鐸は弥生時代の祭器ですが、おそらく当時は叩いて鳴らして音を聞いたものと思われています。
もちろん本物の銅鐸を叩くことなどできませんが、レプリカの銅鐸を叩いて音を聞くという体験ができる博物館もあります。
冒頭に書いた、歴博で開かれた「ニセモノ博覧会」は博物館としては異色の企画でした。
それには前例があり、1990年にイギリスの大英博物館で、「万国贋作博覧会」と言うものが開かれ大きな話題となったそうです。
資料の真贋問題というのは、博物館にとっては命取りともなる危険な領域に入るのですが、それでも一度はやってみたいというものだそうです。
来場者にアンケートを取った結果も、批判の声もあったようですが、多くは好意的なもので、また若い世代の来館者が増えたという効果もあったとか。
色々と考えてやっているようです。