昨日、ドイツのエネルギー事情の現実として、天然ガスの価格高騰により電力不足が懸念されるということを報じる記事を紹介しました。
エネルギーの確保もままならぬ状況を軽視し、脱原発や脱石炭火力を進めてしまうというドイツの現状は、非常に愚かな行為ではあるのですが、しかし自らの理念(それがいかに誤っていようと)に沿って行動しようとするその姿勢は、ある種の敬意すら感じます。
日本はどうでしょう。
あの未曽有の原発大事故があっても、脱原発の声が上がるのはその時だけ。
もうすでに再稼働もなし崩しに行われ、それに対する反対の声もほとんどありません。
脱炭素もほとんど実現の可能性もないような夢の技術ばかり次々と現れるものの、火力発電を着実に減らしていこうなどと言う動きは全く無く、いつ実用化できるのかも怪しいような再生可能エネルギーとやらの開発を待つと言いながら行動は無し。
まったく、金儲けしか頭にないのか、この国の民はと言いたくもなります。
それでいて、全国民がとんでもない金額を負担している再生エネルギー賦課金については誰も疑問を持たずに毎月多額の上納金を払っています。
金儲けに奔走する人間と、黙って金を払い続ける者と、同じ国民なのでしょうか。
それとも機会さえあれば誰もが金儲けに走るのでしょうか。
こういった一見矛盾したような行動をするという基底には「経済成長」がすべてであるかのような誤った思い込みが全国民に根強くあるからでしょう。
ちょうど行われていた国会での討論でも、最低最悪のアベ、次点のスガに続いて、それに負けずとも劣らぬ最悪候補のキシダが、「経済成長最優先」と表明し、この先の日本は真っ暗闇となることを明らかにしてしまいました。
(注1)
経済成長はこの産業革命以降のエネルギー依存文明では、常に「エネルギー使用量の拡大」とほぼ同じ意味を持ちました。
経済成長率の高い時期には必ずエネルギー消費量の増大が伴い、(と言うかだからこその経済成長)それは分けられるものではなくなってしまいました。
バブル以降のこの時期に経済成長が出来なかったのは、実はエネルギー消費量が増やせなかったからではないのか。
これもそれほど突飛な発想と言うわけではないのでは。
つまり、これ以降、経済成長を求めてもできないのは、「代替エネルギー開発が上手く行かずエネルギー使用量の増大が不可能」だからではないのか。
現在開発中の代替エネルギーは、「代替」にもならない中途半端なものです。
結局は、資源量が尽きるまで化石燃料頼りの状況は変わらないでしょう。
代替エネルギー開発の不調とともに沈み込むだけの日本経済は成長どころか衰退から崩壊へと向かうしかないのでは。
もはや、「経済成長」に依存するだけの文明(=資本主義)はこれ以上の存続は不可能だということです。
このような明白な事実も、もっと激しく露骨な証拠が目の前に来なければ信じられないのでしょうか。
つまり、「資本主義の破綻」です。
(注1)
この最悪宰相候補は「成長無くして分配無し」などと、恐ろしいことを言いました。
もう、日本には公正な分配などというものは自公内閣が続く限りあり得ないということなのでしょう。
この言い方を参考にして真実を言えば「エネルギー無くして成長なし」です。
つまり、化石燃料エネルギーのさらなる使用なくしての経済成長などはあり得ず、と言うことはそれに制限を掛ける行為すべては成長を阻害するものとなるでしょう。