28日付熊本日日新聞の社説に「電力需給逼迫」に関する記事が載っていました。
(5.28熊本日日新聞より)
元々は政府経産省から発表されたもののようです。
理由はと言えば、火力発電燃料の液化天然ガスの在庫減少と、老朽化した石炭火力発電所を休廃止したためということです。
東日本大震災後の福島原発事故の際には全国の原発を停止させたことで、電力供給減少により停電の危機があるということで、首都圏などでは計画停電といった対策が取られましたが、その時お世話になったのが休止中の旧型火力発電でした。
それらをフル稼働することで原発停止の電力減を乗り切ったのですが、その恩を忘れ脱炭素などと言う譫言で冷たく切り捨てようとする報いが出るということでしょう。
上記の熊日新聞社説は、「蓄電池の活用強化と送電網増強」などと結んでいますが、いったいどれほど蓄電池を設置すれば良いと思っているのでしょうか。
莫大な費用が掛かるというだけでなく、それに費やす資源の量も想像を絶するものでしょう。
とは言え、本当に電力供給が不足して突発的停電などと言うことになれば、いかにこの社会が電力に頼り切っているかということを認識できてかえって良いのかもしれません。
便利便利で電化生活に突き進んでいくのはもう無理だということでしょう。
それにしてもこの話の出所が経産省というのがちょっときな臭いところです。
脱炭素などと言ってはしゃいでいるのが環境省のボンボン大臣というところで、経産省がかなり反感を強めているのか。
それでかなり早い時期からこういったリスク情報を垂れ流しているのかも。
しかしこの過度なまでに進んでしまった電化社会、それにさらにデジタル化の圧力を強めていますが、これを支えているのは非常に高品質、つまり電圧、周波数の変動がほとんど無いという素晴らしい品質の電力です。
それを忘れたかのように、低品質の太陽光や風力発電の電力を増やそうというのでは、いずれ大きな痛手を蒙るでしょう。
なお、これほどまでに危機を煽りながら、本当に大事な事すなわち「需要を減らせ」という声を一つも上げないのはなぜでしょう。
電気をそこまで浪費しないような生活にしましょうとなぜ言えないのでしょうか。
まずそこから始めるべきでしょう。