著者は古代ローマの日常を描いた前著「古代ローマ人の24時間」が好評となったのに気を良くし?、さらに範囲をローマ帝国全域に広げてこの本を書きました。
時は紀元115年、トラヤヌス帝の治世のもと繁栄していたローマ帝国のほぼ全域を、ローマで鍛造されたセステルティウス青銅貨が旅をするという形で描かれています。
もちろん、硬貨が一人で旅をするはずもないので、それを持った人が旅をしてその先で支払いなどに硬貨を支払い、またそれを受け取った人が次の場所に出かけるといった風に話をつなげていきます。
なお、登場人物やその環境などはほとんどが史料や考古学的発掘物で実在が確認されているということで、その史料蒐集にも相当な労力が費やされているのでしょう。
ただし、彼らが直面する事態などは完全に著者の想像によるものであり、小説として書かれたものでその創作力もかなりのものです。
時代によっても違いはあるのでしょうが、当時の貨幣制度ではセステルティウス貨は日常生活で使いやすい程度の価値のもので、おそらく現在の価値にすれば1セステルティウス貨が2ユーロ程度ということです。
アウレウス金貨は1枚で100セステルティウス貨と同等、デナリウス銀貨は4セステルティウス貨、また補助貨幣としてドゥポンディウス青銅貨、アス銅貨、セミス銅貨がありました。
話はローマ市内にあった帝国造幣所から始まります。
そこで、1枚のセステルティウス貨が作られます。
青銅の延べ棒を薄くスライスし、鋳型の上に載せて大きなハンマーで強打して皇帝の顔を刻印するわけです。
そして、それで作られた硬貨が旅人に運ばれて当時のローマ帝国のあちこちに動き回り、それに関わる人々の物語を続けていくというのが本書の構成となります。
まあそういった小説的描写は詳述はしませんが、興味あるものをいくつか引用します。
現在の建物では戸口のドアは外側に開くことが多いのですが、ローマ時代の扉は必ず建物の内側に向かって開くように作られていました。
建物の外側というのは公共の土地であり、わずかな間でもドアが外側に開くということは公共の土地の一部と個人の目的のために使用することとなるために許されないことだったそうです。
それは希少性があり色もきれいだったということもあるのですが、琥珀には帯電性がありこすると静電気を生じることから、当時の知識ではわからない「超自然的な力」があるものと考えられたそうです。
古代ギリシア人は琥珀のことを「エレクトロン」と呼んでおり、それが現代の「電気(エレクトリシティ)」となりました。
古代ローマ人は風呂、浴場というものを非常に好んでいたということは良く知られていますが、温泉でないほとんどのところでは薪でお湯を温めていました。
カラカッラ浴場は規模の大きいものでしたが、そこでは一日当たり少なくとも10トン以上の薪が消費されていました。
そしてローマ市内だけでこのような大浴場が11か所、小浴場に至っては800か所以上あり、どこでも大量の薪が毎日消費されていました。
これに使う薪を船を使って帝国内あらゆるところから運び、結局あちこちの森林を破壊してしまいました。
環境破壊という点でも現代を先取りしていたようなものでした。
アウレウス金貨が帝国貨幣制度の根本とされたために、金の保有と言うことが財政の基盤となりましたが、ローマ国外から流入する絹や香辛料などの高級商材が増加するにつれ、それに支払う金貨がどんどんと国外に流出してしまい、国内保有の金は減少していきました。
経済基盤が崩壊することを防ごうと、なんとか金鉱を見つけ掘り出すことが必要でした。
現在のスペインのアンダルシア地方にあった金鉱での採掘風景が描写されています。
当時はすべて手掘りで進めるしかなく、奴隷や労働者を酷使しての採掘作業でした。
ハンマーなどで切れ目を入れて、現在であればそこにダイナマイトを入れて爆破するのでしょうが、それのなかった当時は、遠くの川から引き込んだ水を流し込んでその水流の圧力で破壊したそうです。
古代ローマ人の生活を活き活きと描写した内容も興味深いものでした。
賭博や売春、人さらいといったものも当時の社会としては不可欠だったのでしょう。
自分がそのまま古代ローマを旅しているかのように感じさせる、巧みな描写でした。