爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『平家物語』という世界文学」日下力著

軍記物語という一群の文学があります。

その中でも「平家物語」というものは広く庶民の間にも語られたものでした。

しかし、戦争というものをテーマにした文学は世界各国にもあり、「叙事詩」と言われることが多いようです。

これらの叙事詩と、日本の平家物語はどこが違ってどこが似ているのか、軍記物語の研究者の日下さんが比較検討しています。

 

近現代の戦争を扱った文学では、その悲惨さを強調するものがある一方で、国威発揚の思惑がありありと見えるものもありました。

しかし、源平合戦の時代を描いた平家物語では、壮烈な合戦描写があり、闘いというものを肯定的に捉えてはいるものの、公達の最期の描写では無常観をただよわせるという部分もあります。

近現代と中世の時代の差かと感じ、世界各国でも古代から中世の戦争を扱った文学と平家物語との比較という方向に研究を進めていったのですが、どうやら日本の軍記物語には他の世界各国の文学とは異なる点があったようです。

 

対象とした世界各国の叙事詩は、ギルガメッシュイリアスオデュッセイアから始まりガリア戦記ラーマーヤナマハーバーラタアーサー王物語、オシアン、等々広範囲のものが取り上げられました。

 

平家物語の大きな特徴は「時代と登場人物の年齢にこだわる」ということです。

特に若くして戦いの犠牲となった少年たちの年齢は、敦盛が16歳、源為義の子どもたちは13,11,9,7歳で命を奪われると言ったふうに詳細に記されています。

これに対して諸国の叙事詩では登場人物の年齢などまったく構わず、事実上ありえないような年齢設定になってしまうことも多々見られます。

 

これは、どうも日本の軍記物語はその事件があった時からほどなく書かれたためのようです。

その時点では、たとえば源平合戦で生き残った関係者などはまだ存命している人も多く、そういった人たちから直接話も聞ける状況でした。

それに比べて、ギリシアの物語はイリアスなどはそもそも神々がまだ人間界に現れて来た頃の世界です。

はるか昔の伝説を後世に描いたものであり、その目的も違うものでした。

 

また、日本国内での戦いは敵味方といっても同じ民族、はなはだしい場合は同族が敵味方に別れての戦いも多く、敵を獣のように考えて戦いでは皆殺しにすることに何の呵責も感じなかった海外の場合とは大きく異なりました。

それが敵味方問わずに少年の死には哀悼を感じる描写になりました。

 

平家物語は、戦争の文学として優れているのは確かでしょう。

あの時代に、殺したくもない相手を殺さねばならぬという兵士の心理を、書き込んでいるというのは現代文学とも共通するほどの世界です。

ただし、平家物語ではそれだから反戦を目指すという方向には進みません。

無常観を感じてもやはり戦い続けると言う時代だったのでしょう。

 

「平家物語」という世界文学

「平家物語」という世界文学