爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「トロイアの真実」大村幸弘著

トロイアの遺跡といえばシュリーマンが子供の頃に読んだホメロスイリアスの記述をそのまま信じて発掘し、プリアモスの財宝を掘り当てたという物語が有名で、世界遺産にもなっていますが、実はそれほど単純な話ではないということを大学卒業後にすぐにトルコに渡り考古学研究に従事し、現在はアナトリア考古学研究所長という著者が書かれたものです。

 

なお、日本ではあの地域のことをトルコと呼ぶことが多いようですが、地域名としては「アナトリア」という方が正確なようです。トルコとはあくまでも民族名であり、アナトリアに現在トルコ民族が住んでいるというべきでしょう。

著者はトロイアを直接発掘したということではなく、別の遺跡を専門に取り組んでおられます。そこはカマン・カレホユックという場所でそのすぐそばにアナトリア考古学研究所もあるということです。

その遺跡は古代に最初にこの地を治めたヒッタイト帝国から始まり、東ローマ帝国オスマン・トルコ帝国と各時代の遺物が積み重なっているもので、彼の地の遺跡というものはたいていそのような構成になっています。

しかし、そこで思われるのはどうしても「トロイアの遺跡は現在そう言われているようにヒサルルック遺跡なのか」ということでした。

つまり、古代から複雑に重なり合った遺跡を無闇に掘り返しただけの発掘でトロイアであると決めたのではないかという疑問です。

 

著者はヒサルルック遺跡を訪ね、その博物館の学芸員となっていた昔の研究仲間のオメール・オズタン氏と再会し発掘物などを特別に見せてもらいます。

 

トロイア遺跡はよく知られているようにドイツ人の元貿易商のシュリーマンが引退後に考古学を学び、ホメロスイリアスは真実を伝えているという信念の元にヒサルルックの地が間違いなくトロイアであると思い込み、それまで蓄えた富を使って掘り進めたというものです。

イリアスでは落城の際に火に包まれたという記述があるというところから、火災の跡に着目して探しました。そして火災の痕跡のある城壁を掘り当て、さらに幾つかの金製品が出土したため、金のあふれたプリアモス王の宮殿であろうと断定しそこがトロイアだと結論づけました。

しかし、アナトリアのこのような古代から続く遺跡を発掘する際の鉄則とも言える層状の遺跡を記録を取りながら徐々に掘り進めるという手法を無視し、直線的に掘り進めるという乱暴な方法であったために、もはや状況の復元もできず重要な見落としがあったようです。

 

しかし、それまではイリアスというのは神話に過ぎないと考えられていたヨーロッパの社会にはシュリーマンの発表は衝撃を与えるものでした。

ただし、当然ながらその妥当性、判断の正当性については学会や社会から相当な批判を浴びたようです。

そこでシュリーマンは考古学の専門家のデルプフェルトの助けも得て再度発掘をすることになります。

途中でシュリーマンは亡くなるのですが、その後もデルプフェルトは発掘を継続します。彼もやはりホメロスの物語を信じておりそれに相応しい発掘物を求めていたようです。

 しかし、デルプフェルトが考古学の常識に基づいて層状の遺跡群の年代を編纂した結果、火災にあった城壁の年代もプリアモスの財宝と言われた遺物の発見された場所も、前3000年紀の前期青銅器時代のものと結論付けられてしまいました。

 

その後、1930年代にアメリカの考古学者ブレーゲンが、そして1980年代にはドイツのコルフマンが再度ヒサルルック遺跡の発掘に挑戦します。しかしこれがトロイアだという決定的な証拠は発掘されませんでした。

 

実は、アナトリアの遺跡はどこでも発掘していくと火災の跡が残っているそうです。そしてその周辺には武器の破片や人骨があり、戦闘の末に落城し焼かれたと見られるそうです。

しかし、ヒサルルック遺跡では火災の跡はあるものの人骨や武器は見られないのも疑問点です。

 

なお、これらの遺跡の火災の跡は青銅器時代の終わりのヒッタイト帝国終焉の時期であることが多いようです。それがどの勢力に攻められたものかということは分かっていません。いわゆる、海の民なのかどうか決定的なものはないようです。

その後はほとんど建築も文化財も見られない「暗黒の時代」が300年以上続きます。

 

このように、ヒサルルック遺跡がトロイアであるという証拠は得られず、それを否定するようなものが多いのですが、それでもこれがトロイア遺跡であるとして世界遺産に登録されました。これはヨーロッパにとってのホメロスイリアスというものが非常に重要な意味があるということの現れなのかもしれません。

 

本書の刊行にあたり、著者の大村幸弘さんは実兄の写真家の大村次郷氏に依頼してアナトリアの遺跡の写真を撮影し、それを非常に美しいカラーページとして数多く掲載しています。アナトリア(トルコ)などイスタンブールカッパドキアくらいしか知らないのが普通でしょうから、各地の風景がきれいな写真で見られるだけでも価値があるものでした。