爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

英語民間試験導入、疑惑の本体はやはり下村元文相、ただし「ためにする議論」ってどういう意味。

大学入試英語への民間試験導入が延期されましたが、その導入自体に疑惑が持たれています。

その疑惑の本体は、やはり安倍首相の側近中の側近、下村元文部大臣であることが示唆されています。

www.nikkan-gendai.com民間試験導入などと言っても、当然ながらそれを請け負う企業にとっては莫大な利益になるのは明らかであり、そこには完璧な公正さがなければならないところですが、彼らにとっては公正などという言葉は死語なのでしょう。

 

まあ、その点については今後も各社取材陣や野党が追求するでしょうから、今後の進展を見守るとして、下村自身に質問がされて答えたという記事が出ています。

www.nikkansports.com

まあ、案の定の完全否定ですが、根拠は別に示されていないようです。

 

ただし、この答弁の中で「これは”ためにする議論だ”」と言ってそれ以上の言葉は無かったようです。

 

ためにする議論」という言い回しは、私はあまり使うこともありませんが、(もちろん聞いてはいますがあまり品格のある言葉とは思えず、使いません)どうもはっきりとした意味が無いようです。

 

weblio辞書では、

為にする議論タメにするギロン

  1. 議論において、その結果としての結論を出すことを目的とせず、まず結論があって、議論をしたという体裁を整えるために行うもの

またデジタル大辞泉では、「ためにする」の意味として

  ある目的に役立てようとする下心をもって事を行う。

 

とあります。

下心というものが強調されているように、卑しい目的があってという認識があるようです。

 

さて、今回の下村氏に対する質問はどのような「下心」があってのことと言えるのでしょうか。

 

もちろん、記者側は何らかの利益誘導疑惑があると疑っているのだろうというのが、下村側の認識であり、それには答える必要もないと言うことなのでしょう。

 

しかし、制度を決定する政権側とそれにより影響を受ける(正も負も)民間側には当然ながら正当、不当を含めて様々な働きかけと返答があるのも当たり前であり、そこにどこに出しても恥ずかしくない公正さがあるかどうかは、政権が本来言われなくても示すべきものです。

 

そこを尋ねる記者の質問が「ためにするもの」であるのも当然であり、それをあたかも下品なもののように攻撃して質問を遮るというのは、政治家としてあるべき姿ではないでしょう。

 

しかし、記者も記者、この程度の屁理屈にすごすごと引き下がったのでしょうか。

記者の国語能力の衰退も激しいものかも知れません。