私はこのブログで、日頃から政権批判を続けておりますが、政治のあるべき姿というものを主張することはあまりありません。
そのため、もしかしたら「批判だけで対案を持たないのではないか」と疑惑を持たれているのではないかという恐れを抱いております。
これでは、私の主張の真意を汲むこともせずにスルーという態度の人も多いのではと思い、少々ご説明をしておきたいと考えました。
まあ、これを読めば私の主張なるものは到底一般人の納得できるものではなく、言うだけ無駄という気にもなるだろうということは、すぐにお分かりいただけるでしょうから、今後はいちいち触れることも必要ないでしょうが。
一言で言えば
それは、「脱エネルギー日本の構築」です。
現在の社会は、日本に限らず先進国と途上国の大部分も含め、エネルギー漬けとも言うべき状態になっています。
私はこれを「エネルギーバブル文明」と呼んでいますが、イギリスに始まった産業革命以来巨大な埋蔵量の化石燃料を使い、現代の科学・物質文明を恐ろしい勢いで発展させてしまいました。
もちろん、これには資本主義というものも大きく関わっていますが。
(この辺のことについては、当ブログの「エネルギー文明論」と題されたところに書いています)
しかし、そのエネルギー供給に陰りが見え始めると文明自体にも「軋み(きしみ)」があちこちに出てきています。
この主因に気付かない人は、宗教対立が問題であるとか、経済政策が問題だとかいった分析をし、迷路に入り込んでいますが、このエネルギー供給ということを真剣に考えれば分かりやすいでしょう。
このまま行けば、人類は永続どころかこの先100年も持たないのではないかと危惧しています。
そこで、急いで転換すべきなのが「脱エネルギー社会」に向けての社会変革です。
この点について、昨年1月から3月にかけて7回シリーズで「エネルギー半減のための社会改革」という文章を書きました。
もちろん、半減程度ではどうしようもないところまで現代文明は行き着いてしまっているのですが、それでも何もしないで破局を待つわけには行かないという思いです。
ただし、この目標に向かうとしてもそのためには想像もできないほどの社会構造の変化を覚悟しなければなりません。
経済成長も不可能どころか、大幅な経済縮小となるでしょう。
そのようなことが、民主主義のもとでできるかどうか、自明のことです。無理。
そんなわけで、現代文明はこのまま座して死を待つのみでしょう。
ただし、怖いのはそれが分からない者共による暴発です。そうなれば地獄絵図になるかもしれません。
まあそれを見ながら自分の観察は間違いないという自己満足だけを楽しみに、文明が壊れていくのを眺めるのかもしれません。