「自分探し」と言うことを、特に若い女性などはよく考えるようです。
日常のつまらない勉強や仕事に追われている自分は、「本当の自分」ではない。
どこか別にキラキラ輝く自分があるはずだと思い、それを探そうと言うのです。
しかし、長年臨床で精神科医をしてきた著者の春日さんから見れば、そのような隠れた心理と言うものはそれほど良いものではなく、それを知るとかえって怖ろしいことになることもあるということです。
例えば、高いところに登ると怖いと言うのは大抵の人が共通して思うことで、かえって何の緊張もしないという人のほうが異常とも言えるのですが、それは必ずしもその位置でバランスを崩しそうな危険性があるからというのではなく、「何か心の奥底から別の自分が出てきて、”飛び降りなければ”と言うということが無意識に予測される」からだそうです。
そのような、普段の自分からは想像できないようなとんでもないことを仕出かす「別の自分」、それを探し出してしまう「自分探し」というのは相当危険なことなのかもしれません。
この本では、春日さんが臨床で見てきた患者さんなどの実例を、分かりやすい小説仕立てで書かれており、「深層心理の衝動」といったものの数々を描いています。
「自分自身の経験」として書かれていることですが、
小学生の頃に友人と遊んでいる時に、どういう心理からか分からないけれど手近にあった金属製のハサミをコンセントに差し込んでショートさせたと言うことがあったそうです。
もう小学校も高学年だったので、コンセントに金属を入れれば感電するという知識も持っていたはずですが、ハサミを手にして弄んでいるうちにコンセントが怪しく誘ってきて危険としりながら入れてしまったとしか考えられないものでした。
この体験は、ご自身の「自分自身に対する信頼性」を大きく損なう出来事でした。
自分は何をするかわからないと言う思いは、自信を相当失わせることになりました。
精神科医の現場に居た頃に、自殺未遂の少女を診察することがありました。
彼女は高校中退してフリーター、付き合っていた彼氏に振られて睡眠薬を多量に飲んでしまったのですが、幸いにも死亡すること無く身体は回復しました。
心理的な治療のために著者が診察にあたったのですが、その対話の中で彼女が「自分はしっかり頑張っているし、周りも認めてくれている」と話したことで、著者はめまいを感じます。
社会的にはどうしようもない境遇になっており、それが苦になり自殺未遂をしたと思っていたのに、「自分は十分頑張っている」?
どうも現実と自己認識の間に大きな齟齬がありそうです。
「自分探し」の危なさは、多くの人が持ち合わせている「内心の下品さ」にもあります。
つんと澄ましたような人でも、心の中では相当下品なものも持ち合わせているはずです。
それが圧倒的な人も居ますが、本人に「お前は下品だ」と言ってしまうと喧嘩になるでしょう。
しかし、多かれ少なかれ誰にでも下品なところはあるものです。
自分探しで、そのような下品なところを見つけてしまったらどうでしょう。
これも怖ろしい話ではあります。
私自身は「自分探し」などということはまったく考えたこともありませんでした。
どのようなものがあったとしても、それが自分であると言う観念を持っていましたので、驚くことも少ないし、がっかりすることもありません。
まあ、「自分の中に怖ろしいものを見つけた」というのは、よほど心理的に自らを抑圧しているのでしょう。