爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ヒトはなぜ戦争をするのか? アインシュタインとフロイトの往復書簡」アインシュタイン、フロイト、養老孟司解説

アルバート・アインシュタイン、ジグムント・フロイト、どちらも非常に有名な科学者です。

その二人が「戦争論」について往復書簡で語り合った。

この事実はほとんど知られていません。

 

それがなぜ広く知られていないかという問題にも、戦争とナチスドイツが関わっています。

 

事の起こりは、1932年に当時の国際連盟が、著名な物理学者であるアインシュタインに次のようなことを依頼したということです。

「人間にとって最も大事だと思われる問題を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」と。

 

そして、アインシュタインが取り上げた問題は「戦争」、相手は「フロイト」でした。

 

1932年当時、アインシュタインはドイツのポツダムに、フロイトオーストリアのウィーンに居ました。二人ともすでにそれぞれの分野で名声を得ていました。

そして、二人ともユダヤ系でした。

 

ドイツではナチスが政権を取る寸前であり、アインシュタインの危惧もそこにありました。

フロイトのウィーンではまだそこまでの危機感が無く、それが二人の書簡の違いにも現れます。

直後にナチスの迫害が始まり、アインシュタインは1933年にアメリカに亡命しました。

オーストリアナチスが侵略したのは1938年、そのときにフロイトはロンドンに亡命します。

 

アインシュタインの周辺ではすでにナチスが勢力を伸ばし政権に向かっていました。

そのために、アインシュタインの文章の中にも、

なぜ少数の人たちが夥しい数の国民を動かし、自分たちの欲望の道具にすることができるのか? 戦争が起きれば一般の国民は苦しむだけなのに、なぜ少数の人間の欲望に手を貸すような真似をするのか?

と、ナチスだけでなく多くの国民も自分たちが苦しむだけなのにナチスに手を貸す様子が見えています。

 

それに対するフロイトの書簡では、さすがにまだナチスの直接の脅威を感じず、歴史的な権力と暴力の展開といった抽象的な話題に終始している様子が見えます。

 

解説の養老さんは、二人の書簡の内容から現代の日本社会の「平和主義」にも話を進めています。

戦後日本は徹底した「平和主義」によってきました。「暴力はいけない」ということです。

暴力がいけないならば、どうやって平和を維持するか。

その点がはっきり考えられていないようです。

 

二人の書簡を大きく取り上げようとした国際連盟の期待は、ナチスドイツの勢力拡大で不可能となり、書簡自体が失われることはなかったものの、その意味を覚えている人もいなくなってしまいました。

ようやく2000年になって、日本ではこの形で出版されたということです。

 

ヒトはなぜ戦争をするのか?―アインシュタインとフロイトの往復書簡

ヒトはなぜ戦争をするのか?―アインシュタインとフロイトの往復書簡