ノーベル賞に日本人が選出されるかどうか、毎年大騒ぎをしていますが、その選考ということについては日本ではほとんど話題になることもないようです。
本書著者のノルビーさんはスウェーデンのカロリンスカ研究所の教授を長く務め、ノーベル賞の生理学・医学賞の選考委員も20年にわたって務めたという方で、最近はノーベル賞についての著書も連続して書かれているということです。
ノーベル賞の選考についての記録は、ノーベル文書館というところに収められているのですが、その公開は受賞後50年間はできないそうです。
そのため、本書では生理学・医学賞の中でも1960年代に受賞した人々についての物語を記しています。
ただし、「裏面史」というほど「裏話」が披露されているということではないようです。
まあ、だいたいの所は噂としてはあったものが確認されたと言うところでしょうか。
この生理学・医学の分野では、当時は4つの大きな発展がありました。
ウイルス学、免疫学、タンパク質の立体構造、そして遺伝子としての核酸の働きの解明でした。
どれをとっても世界に大きな影響を与える学問分野なのですが、ノーベル賞は1年に1組にしか与えられないこととなっているので、その受賞の順番も重要なことになります。
オーストラリアのウイルス学者、フランク・バーネットがノーベル賞候補として初めて登場したのは、1948年でした。
しかし、なかなか受賞することができないまま毎年のように候補として挙げられていきます。
そのまま、受賞できないと言う人も多いのですが、彼は1960年になって初めて受賞することができました。
しかし、その受賞理由は専門のウイルスではなく、後天的免疫寛容に関する研究だったそうです。
1960年にバーネットと共に受賞したイギリス人、ピーター・メダワーは免疫学が専門でした。
当時は戦争の影響もあり、怪我を負った人に対しての移植手術というものが頻繁に行われたのですが、拒絶反応が起きて失敗するということが起きました。
これが、免疫反応によるということ、そしてそれを避ける方法の発展が続くわけです。
これなしでは、現在のように臓器移植の実施が日常的に行われるようにはなり得ませんでした。
この分野からは2011年までに7回ノーベル賞が選定され贈られています。
ただし、この分野での大きな発見でもノーベル賞が贈られなかった例もあり、例えばB細胞、T細胞の発見といった研究に対してもノーベル賞受賞に値すると評されながらも受賞には至っていません。他分野のより大きな受賞と重なったためで、不運としか言えないものでした。
この分野での当時のノーベル賞受賞の研究の中でも、もっとも有名なのは「DNAの二重らせん構造の解明」でしょう。
1962年に、ワトソン、クリック、ウィルキンズに贈られましたが、一般的には「ワトソン・クリック」の名で知られているのに、ウィルキンズと言う研究者も共同受賞しているのは意外かもしれません。
その研究の中での役割では、ロザリンド・フランクリンと言う女性研究者の方が大きなものだったようです。
しかし、フランクリンは1958年に亡くなってしまっていたために、死亡者には贈られないというノーベル賞規約によってその機会を失いました。
「もしもフランクリンが生きていたら」おそらくそのノーベル賞受賞者に連なっていたということです。
著者はこの本を若い研究者に読んでもらいたいそうです。
ノーベル賞受賞者という、雲の上のように感じられる存在でも研究途上では様々な悩みを感じ、それに立ち向かっていったということを知ってほしいということです。