爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「バイオエシックス」米本昌平著

バイオエシックス(bioethics)は生命倫理学と訳されるようです。

生命全体を対象としますが、最近では人間の医療関連で言われる方が多いように感じます。

1970年代からアメリカで発展してきました。

日本への紹介は、この本の著者の米本昌平氏も早くから行っていたようで、この本も1985年の出版ですからその初期のものと言えます。

 

脳死安楽死、クローン人間など様々な対象を扱いますが、この本では最初に遺伝子操作を主としたバイオテクノロジーを扱っており、やや広い対象範囲であったように思います。

 

体外受精や臓器移植といった点も当時から論議となっていたものであり、多くのページを使って論じています。

 

なお、その当時はまだ初期段階であったとはいえ、胎児診断の問題も取り上げられており、それに伴う選択的中絶についても欧米と日本での論点の差というものまで示されています。

 

これは最近では胎児のDNA診断でより広範囲の異常診断ができるようになり、選択的中絶という問題がさらに大きくなっていますが、そこへの論議がまったく30年前から進んでいないことが分かります。

 

キリスト教などでは肉体とは魂の宿る機械であるとも言えるものであり、魂が天国へ去ったあとはそれを有効活用するのは何ら躊躇なく行えるのですが、日本の宗教感覚はまったく異なるようです。

我々はたとえ亡くなったあとの遺体であってもそれにメスを入れることを酷いと感じるようです。そこには別の感覚があります。

 

アメリカでは、79年当時から羊水穿刺による胎児の染色体異常の検知を行い、そこで異常が発見された場合はすべて中絶されました。

日本ではそのような選択的中絶は現在生きている障害者に対する差別につながるとして、反対意見が強いようです。

アメリカでは、そのような遺伝病スクリーニングに反対する勢力は、保守的な中絶反対同盟です。つまり、中絶はすべて反対なのでスクリーニングにも反対ということです。

日本では、中絶一般は必要悪として黙認しても、選択的中絶には反対という複雑な立場になります。

 

この本が書かれた当時から30年以上が経過しますが、バイオテクノロジーというものは遥かに高いレベルにまで進化しました。

しかし、倫理という面からこの技術を考えるということは、さほど進展していないようです。