この本を読んでいると、前半では明治維新以降に急激に増加した人口というものが多くの問題点を引き起こし最終的には海外への侵略まで進んで第2次大戦での敗北に至るという過程を描き、人口増が問題なのかと思っていたら、後半になると少子化を策謀したのはGHQでありその戦略が当たって日本は少子化が進んだということを厳しく批判しており、前半の人口増の危機感は何だったのと思ってしまいます。
はっきり言って支離滅裂という観があります。
著者は産経新聞論説委員の傍ら大学の客員教授も勤め、政府の人口政策の有識者委員でもあるという、人口政策については専門家のようですが、戦後の連合国、特にGHQの策謀による日本の人口抑制戦略ということについては自信をお持ちのようです。
しかし、少子化により人口減になると国力が落ちるということが何も詳しい解説が無いまま前提条件のように示されると、大戦前後のような食糧難は人口増のためであり食べるものが足らないという危機は何だったのという疑問は大きく残ります。
結局、現在の金さえあれば食料はいくらでも買えるという状況があってこその人口増礼賛論であり、それ以上ではないのでしょう。
記述されている人口問題についての歴史的事実、当事者の発言の記録等、非常に詳細でありこれらについては知っておくだけの価値は十分にあるものです。
明治維新以降、急激に増加していた人口は毎年100万人以上という伸び率であり、食料確保が難しくなるという国としての危機になっていきます。
そのために食料購入のほか移民の増加なども模索されますが、そう上手くは行かず人口増が続く中、欧米各国の日本に対する警戒感は強まる一方となりました。
その少し前に同様に人口増が起きたヨーロッパ各国は世界中に植民地を広げるという方策でこれに対したわけですが、欧米は日本の植民地獲得は許さないという方向の政策を取り、これが日本政府との軋轢を増す要因となります。
そんな中、国民の側でも警戒感が強まり、産児制限という方向に向かうという意識が強まっていきます。
しかし、時はちょうど軍部主導で大陸への進出を進めようとする時であり、政府も人口制限とは正反対の「産めよ増やせよ」政策へと転換してしまいます。
満州に500万人移住という計画を立てるのですが、それらを進めるためにも軍人や労働者要員としての国民が増えるほど良いということになり、産児制限運動などは弾圧、結婚から出産まであらゆる奨励策を取ってでも人口増を目指すということになります。
しかし、実際はすでにこの頃には出生率の低下は紛れも無く始まっており、大正9年をピークとしてどんどんと下落していたのが事実でした。
しかし大戦に負けGHQに統治されることとなり、GHQは日本の国力を削ぐという政策を取ることになります。その一環として人口減のための策も含まれていたということです。
産児制限というものがGHQの巧妙な政策により日本人から発案されたように見せて制定されたというのが著者の主張ですが、これには特にアメリカで強力なキリスト教徒からの反発を避けるという意味が強かったようです。
堕胎や中絶、避妊もキリスト教徒からは非難を受けるためにGHQが直接介入したような形は取れなかったということですが、いずれにせよ日本の施策としての優生保護法は1948年に成立、条件は付けられるものの中絶の容認ということになりました。
さらに翌年には「経済的理由」での中絶も容認する法改正が行われ、中絶手術の大きな広がりを見せる事になります。
これは大戦後に起きた「ベビーブーム」の急速な終焉につながりました。他国の例では大きな戦争後の出産急増というものはしばらく続くのが普通なのですが、日本ではわずか2年ほどで終わってしまいました。
さらに「家族計画」の奨励ということでより徹底的な少子化への方向付けが政治の側からの動きとして行われてしまいました。
また、「家制度」を民法改正で破壊したというのも、家を守る子孫を残すというこれまでの思想から変換してしまうことになり、さらに少子化に繋がるということになりました。
この前の民主党政権まで延々と少子化奨励の政策が続いてしまい、ようやく安倍政権になり歯止めがかかったということです。安倍政権とお友達の産経新聞ならではの評価でした。
結局、戦前には大きな問題であった人口を支える食料確保というものについて何の懸念も持たないまま、人口増加をしなければならないということなのでしょう。
こういった人が政府の言う「有識者」であるということなんですね。