爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「メアリー・ポピンズのイギリス」野口祐子編著

メアリー・ポピンズといえば、ジュリー・アンドリュースが主演した1964年のディズニー映画が有名でしょう。

原作はイギリスの作家P.L.トラヴァーズが1934年に出版した小説ですが、映画はその細部にかなりの変更を加えているようです。

 

原作ではその年代は明確にはされていませんが、映画では1910年のイギリスとはっきりとさせています。この辺にも製作者の意図がありそうです。

1910年といえば第1次世界大戦寸前ですが、イギリスの帝国主義の繁栄がまだ残っている時でした。後の時代の我々から見ればその直後に激動がやってくると分かりますが、もちろん登場人物にはそのようなことは予測ができません。

 

また、映画では1910年のイギリスの価値観を描きながらその背景には1964年のアメリカの価値観があります。実は2004年にもイギリスの舞台で公演されましたが、その中身は小説とも映画とも微妙に異なるのは、時代性を反映せざるを得ない興業としては当然なのでしょう。

 

メアリー・ポピンズは銀行員の主人の一家のバンクス家にナニーとして雇われます。

ナニーとは、19世紀から第二次大戦前までのイギリスで中流階級以上の家庭では必ずのように雇われていた子供の養育係でした。

当時の家庭では、子供はほとんどナニーのみによって育てられ、父親も母親も1日にほんの数回子供の挨拶を受けるだけと言った状況であったようです。

ナニーとなるのは、労働者階級の娘が主であったようですが、イギリスの有名な話す言葉による階級差別もあるために、会話や教養を身につけさせるナニー養成学校というものもあったようです。

しかし、メアリー・ポピンズはそのような普通のナニーとは比べ物にならないような、「あらゆる点で完璧(practically perfect in every way)」と自称しています。

なにしろ、はっきりと示されてはいませんが、魔女のようですから。

 

父親のバンクス氏は銀行員で、保守主義の権化のような人です。

家庭内も軍隊のような規律と秩序が必要と信じています。

母親は当時の中流階級の主婦の常として、家事も育児も召使などに任せきりで何もしません。召使の監督だけが役割のようなものですが、女性参政権獲得運動に参加したりしています。。

 

映画の中でもきちんと描写されているように、バンクス氏の話す英語は「標準英語」です。

これを「キングス・イングリッシュ」と呼ぶこともありますが、文字通り「国王が話す英語」ということです。

実はこのような標準英語を話す人々の数は当時でもごく少数であったようです。

上流階級や中流の上といった人たちだけが話していました。

それ以外の人たちは上中流階級の人々から見れば野卑で崩れた言葉を話していました。

ロンドンの下町英語を「コックニー」と呼びますが、これを主題として扱ったのが、ほぼ同じ時期に映画も出た「マイ・フェア・レディ」(小説名はピグマリオン)でした。

 

映画「メアリーポピンズ」の中ではメアリーの友達の職業不詳のバートがこのような話し方をするのですが、これをアメリカ人のディック・バン・ダイクが演じていたために、イギリス人からは「コックニーらしくない」と不評だったそうです。

 

映画では、父親が子供たちを銀行に連れて行ったところ、とんでもない騒ぎを起こしたために父親も解雇ということになってしまいますが、その時にはメアリーの影響で家族を大切に思う気持ちに目覚めた父親はそんなことは気にせずに子供たちを凧揚げをして遊ぶということになります。

母親も召使任せの家事を見直して、めでたしめでたしなのですが、このあたりは1964年のアメリカの家族観に支配されているようです。

 

なかなか深く見ていけば興味深いところも多いようです。ただし、英語力や社会情勢、歴史など相当な知識が必要でしょう。

 

メアリー・ポピンズのイギリス―映画で学ぶ言語と文化

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